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薬院法律事務所

企業法務

事業主が労災認定の取消訴訟を起こせる?


2019年10月17日労働事件

事業主は、労働者の労災認定が不本意でもこれを争えない、これが実務常識でした。しかし、近時これを覆す裁判例が現れ、実際に取消し訴訟も起こされるようになりました。

メリット制が適用される特定事業主は、労災認定自体の取消訴訟ができるというのが東京地裁行政部の立場です。2年9月前の裁判例ですが、チェックが漏れていました。
判例タイムズの解説にもありますが、「労災認定自体を事業主は争えない。」これが常識でした。労災関係では重要判例です。東京高裁でも維持されています。

平成29年1月31日/東京地方裁判所
判例タイムズ 1442号 82頁

【(イ) 原告は,実務上はこれまで特定事業主に業務災害支給処分の取消訴訟に係る原告適格があるとは考えられてこなかったこと(昭和36年東京地裁判決参照)を理由として,特定事業主の手続的保障が不十分である旨主張する。
しかしながら,違法性の承継の可否に係る判断の前提となる先行の処分に係る取消訴訟の原告適格など手続的保障の有無の評価は,本来採るべき解釈に基づいて考察すべきものである上,特定事業主が自らの事業に係る業務災害支給処分の取消訴訟において原告適格を有しないと解する見解は地方裁判所の裁判例や文献等において採られてきたものにとどまり,かえって,特定事業主は労災保険給付の不支給処分の取消訴訟において法律上の利害関係を有する者として補助参加をすることができる旨を判示した前記(1)イ(ウ)の前掲最高裁平成13年2月22日第一小法廷決定の判旨によれば,特定事業主が自らの事業に係る業務災害支給処分の取消訴訟において原告適格を有すると解することが同最高裁決定の趣旨に沿うものであることは十分に看取し得るものということができるから,仮にこれまで一定数の特定事業主が上記の原告適格を消極に解する見解を前提に上記の取消訴訟を提起してこなかったなどの事情があったとしても,そのことによって,後行の処分である労働保険料認定処分に係る違法性の承継の有無に関する前記オの判断が左右され得るものとはいえず,原告の上記主張は採用することができない。】

(判例タイムズの解説)
【イ この点につき,従前,労災保険給付の支給決定処分の取消訴訟に係る事業主の原告適格については,これを消極に解する裁判例(東京地判昭36.11.21労民集12巻6号1003頁。なお,審査請求適格に係る事案)があり,労働災害関係の文献においてはこの裁判例が引用されることが少なくなく,国会においても上記の解釈を前提とする所管省庁の所掌者の答弁がされていた。しかしながら,上記裁判例については,当時からメリット制との関連において疑問が呈する見解もあったほか(保原喜志夫「労働判例研究第109回」ジュリスト278号83頁),本判決も摘示する最一小判平13.2.22集民201号201頁,判タ1058号119頁は,労災保険給付の不支給決定処分の取消訴訟に係る特定事業主の補助参加の利益につき,特定事業においては,労災保険給付の不支給決定の取消判決が確定すると,行訴法33条1項の定める取消判決の拘束力により労災保険給付の支給決定がされて保険給付が行われ,次々年度以降の保険料が増額される可能性があるから,特定事業主は労働基準監督署長の敗訴を防ぐことに法律上の利害関係を有するとして上記利益を肯定しており,上記の理は,特定事業主の原告適格についても同様に妥当し得るものと考えられる。
本判決は,この最高裁判例や,上記アにおいてみた原告適格に関する最高裁判例及び平成16年の行訴法改正の趣旨等を踏まえ,前記アのとおり判断したものとみられる(なお,本判決には,本来,省令〔労災規則〕上,業務災害支給処分がされた場合における特定事業主に対する通知の規定が整備されることが,特定事業主の手続的保障を十全にする上で望ましい旨の付言も付されている。)。 】

 

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=86895

 

平成29年度重要判例解説 41ページ

【2 災害支給処分取消訴訟の原告適格
従来,業務災害支給処分の取消訴訟における事業主の原告適格の有無について判断した裁判例は存在したが, Xと同一の状況について判断したものはなく,結論も分かれていた(肯定例に,大阪地判昭和31. ll・17労民集7巻6号1087頁が,否定例に東京地判昭和36・11.21労民集12巻6号1003頁があった)。ただし,本判決も言及した最決平成13.2.22 (判時1745号144頁)は,遺族補償給付等を支給しない旨の処分の取消訴訟を遺族が提起し, これに対して事業主が,次年度以降の保険料が増額される可能性があることなどを主張し,労基署長に対する補助参加を申し出た事案で,事業主は,労基署長の敗訴を防ぐ…ことに法律上の利害関係を有するとして, これを補助するために訴訟に参加をすることを認めた。この最高裁決定は,業務災害支給処分によりメリットシステムを通じて保険料増額の通知を受けるという事業主の不利益が「法律上の利益」の侵害と認められる可能性を示していたとは言える(岩村正彦・社会保障百選〔第5版] 143頁)。しかし, 同決定も原告適格に関する判断ではなかった。本判決は,最判平成25・7・12(判時2203号22頁)および最判平成18.1. 19(民集60巻1号65頁)を引用し, さらに上記平成13年の最高裁決定にも言及して,特定事業主の自らの事業にかかわって行われた災害支給処分の取消訴訟について原告適格を初めて認めた。】

 

季刊労働法2017年冬 205ページ
(社労士・駒澤大学非常勤講師北岡大介)
【本判決は違法性の承継を否定し,原告側の請求を斥けたが,判旨理由中において労災支給決定処分に対する使用者の原告適格性を肯定しており,この点が極めて注目される。
行政事件訴訟法9条1項は行政取消訴訟における原告適格について規定するが, 同条の「法律上の利益」に当たるか否かは,判例・学説ともに「法律上保護された利益説」つまりは行政法規が当該利益を個別的利益として保護しているか否かによって決せられるとする。本判決は判旨②のとおり労災支給決定処分によって,使用者に対する労災保険料率が労災メリット制によって増額しうる点を捉え.同人に「直接具体的な不利益を被るおそれ」があるとするが, ここで問題とすべきは使用者の労災保険料増額という「不利益」が,労災保険法等において保護される個別的利益といえるか否かであり, この点につき本判決は何ら説得的な説示を行っていない。
検討するに, まず労災保険法は,同条1条のとおり「業務上の事由…による労働者の負傷,疾病,障害,死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため,必要な保険給付」を行うことを目的としており, 同法が使用者に対する労災保険料負担の公平・適切性等を保護法益に含めたとみることはできない。
また継続事業に係る労災メリット制の適用対象となるには労働者100人以上など一定以上の規模が3保険年度にわたり連続することが求められているところ,中小企業等で年度ごとに労働者数の変動が生じた場合, 当該支給決定処分が反映される労災メリット制がそもそも適用されない可能性がある。また労災メリット収支率は3保険年度の保険給付「総額」をもって算定するため,個別の労災支給決定処分が果たして,労災保険メリット制に影響を及ぼすか否かは当該支給決定段階では全く判然としない。このように労災メリット制への影響があるか否か不確実性である中,使用者に対し「労災メリット制への影響可能性」のみをもって,労災支給決定処分ごとに取消訴訟の提起を求めることは極めて訴訟不経済を招く恐れがある。】

岩村正彦・中山慈夫・宮里邦雄編『ジュリスト増刊実務に効く労働判例精選〔第2版〕』(有斐閣,2018年10月)210ページ

【使用者は事業主証明等での関与にとどまり、支給決定に対する不服審査立ての資格はない。近年の下級審で事業主に取消訴訟の原告適格を認めたものがあるが異例であろう(東京地判平成29・1 ・31労判1176号65頁(国 ・歳入徴収官神奈川労働局長(医療法人社団総生会)事件〕)。】

労働判例1203号76ページ
東京高裁平29.9.21判決
【特定事業主は, 自らの事業にかかる業務災害支給処分がされた場合,同処分の法的効果により労働保険料の納付義務の範囲が増大して直接具体的な不利益を被るおそれのある者であるから,同処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」(行訴法9条1項)として,同処分の取消訴訟の原告適格を有するとした-審判断が維持された例】

【(2) 被控訴人は、労災保険給付の支給ないし不支給決定処分において、特定事業主の保険料に係る経済的利益が法律上保護されているとは解されず、同処分の取消訴訟における原告適格は認められないと主張する。
しかしながら、特定事業においては、当該事業につき業務災害が生じたとして業務災害支給処分がされると、当該処分に係る業務災害保険給付等の支給額に応じて当然にメリット収支率が上昇し、これによって当該特定事業主のメリット増減率も上昇するおそれがあり、これに応じて次々年度の労働保険料が増額されるおそれが生じることとなること、したがって、特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分がされた場合、同処分の名宛人以外の者ではあるものの、同処分の法的効果により労働保険料の納付義務の範囲が増大して直接具体的な不利益を被るおそれがあるから、特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消しによってこれを回復すべき法律上の利益を有するものということができることは、前記1認定説示のとおりである。被控訴人の主張は採用することができない。】

【(4) 業務災害支給処分の法律効果の早期安定の要請について
控訴人は、労働保険料認定処分の取消訴訟において、先行する業務災害支給処分の違法性が認定され、特定事業主の請求を認容する判断がされたとしても、先行の処分たる業務災害支給処分の職権取消しをするか否か、するとしても取り消す範囲を限定するか等、労働者保護の観点から個別の判断が可能であるのに対して、特定事業主が業務災害支給処分の取消訴訟を提起できるとした場合には、請求が認容されると業務災害支給処分は無限定に取り消されてしまうので、むしろ、特定事業主が業務災害支給処分の取消訴訟で争う場合の方が、労働者保護の観点から看過し難い結果を生ずる不都合は大きい旨主張する。
しかしながら、業務災害保険給付等の額が当該特定事業主に係る労働保険料に反映されるのは、基準日の属する保険年度の次々年度である(徴収法12条3項)から、業務災害支給処分がされてから労働保険料認定処分がされるまでに概ね2年が経過することになり、その後に提起される労働保険料認定処分取消訴訟において特定事業主が業務災害支給処分の違法を主張できることとなると、仮に被災労働者において上記訴訟が提起されていることを了知し、訴訟手続に参加したとしても、十分な訴訟行為をすることができない可能性が高く、手続及び法律効果の早期安定の要請が害されるおそれが高いことは、前記1説示のとおりである。また、仮に、労働保険料認定処分の取消訴訟の判決において業務災害支給処分が違法とされた場合には、同処分が所轄労基署長により職権で取り消される可能性が相応の範囲で生じることは否定し難いものといわざるを得ないことも、前記1認定説示のとおりである。
したがって、控訴人の主張は採用することができない。】