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薬院法律事務所

弁護士業・雑感

法律学の意義について。


2018年07月20日弁護士業・雑感

文系の学問はどれもそうですが、自然科学を専攻する人には法律学の価値が理解されにくいことがあります。

理論が明確でない、エビデンスがない、客観的な検証可能性がない云々といったことです。ただ、それは厳密な証明を必要とする自然科学と、経験に基づく智恵によって形成されている法律学を混同していると思います。

悪いことをした奴がいたら警察が捕まえてくれる、約束が守られなければ強制的に財産を差し押さえられる、権力者から好き放題にされない等々当たり前の環境は法律という約束事がきちんと定められているから実現しています。そういった環境があるからこそ、多くの人の力を合わせることができて、社会も技術も発展出来るのです。

ただ、法律が作られるのは、ルールがなく、あるいは不公平なルールであったために紛争が生じて失敗した、という経験に基づくものなので、そこには必ず主観的な判断が含まれます。

そして、時代によって適当なルールというのも変わってきます。例えば、明治時代の法制を現代の価値観で断罪するのは、社会の前提を無視しています。共産主義が歴史の一時代に力を持ったのも、それを必要とする切実な格差が存在していたという背景があるわけです。

故に、完全な法制度というものはありえず、今の時点ではこれが「穏当」かな、といったものが現実の制度になります。革命を起こして強制的に変革がされる場合もありますが、虐殺などの悲劇を生むか、現実にあわせて変化していくことになります。

しかし、そういったことは、法律学の弱点ではなく、むしろ優れた点だと思っています。不完全なところが人間的で、だからこそ柔軟に環境に対応できるのだと。

法律学は、時代の変化にあわせて、過去からの智恵に現代の智恵を取り入れて、より良いルールを追及し続ける学問です。社会の安定と人間の幸せに不可欠な学問と思っています。

私が学生時代に読んだ本で、気に入った例え話がありました。

うろ覚えなところがありますが、法制度は、嵐の海に浮かぶ一隻の船だと。ともかくも浮かばないといけないし、修理もしていかないといけない、理想的(と考える)船にぱっと乗り換えるということは出来ない。材料だって限られている。政治家は船の上で一生懸命嵐を乗りきって航海を続けられるように考えるんだと。

いっぽう、弁護士を含めた法律実務家は、船底で、トンカチと板切れを持って、汗だくになりながら一生懸命穴を塞いでいるというイメージです。

きらびやかなイメージで語られることも多い仕事ですが、私にとっての弁護士のイメージはそういったものです。そこに弁護士の存在価値があると思っています。