弁護士業務を通じてみる、サイコパスについての雑感(刑事弁護、一般民事)
2024年02月15日労働事件(企業法務)
弁護士業務をしていると、サイコパスではないかという人たちを見かけます。
サイコパスとは、「あえて」ざっくりと表現すると、情動的共感性の機能不全のため、他人が苦しんでも一切自身の心が痛まない人たちのことです(学術的には厳密なチェックリストがありますし、グレーゾーンもあります)。学術的な説明は末尾の参考記事をご覧下さい。「普通の人」が関わってしまうと、高度に発達した心理操作の技術により、徹底的に搾取され、しかも搾取されていることの自覚すら奪われることがあります(最も、後述するように、逆に特性を活かして多くの人を喜ばせるパターンもありえます)。サイコパスの特性自体は「優秀」な素質ですが、それをどうやって用いるかにより、聖人にもなり得ますし、大悪人にもなり得ます。残念ながら弁護士業務で出会うのは後者の側が多いです。
反社会的なサイコパスの特徴ですが、私は、「相手の苦痛が一切自分の苦痛にならず(むしろ喜ぶことすらある)」、「呼吸するように嘘をつく」のが特徴だと思っています。他人の心理操作が巧みなことも特徴です。「他者に対して魅力的な人間であるように振る舞う」パターンも多いですが、必ずしもそうではなく「みじめで哀れな存在」に擬態することもあります(寄生型サイコパス)。要するに「相手をコントロール」するために最適な手法を選んでいるのです。人口の1~4%ほどいると言われていますが、普段は「擬態」していますのでサイコパスとはわからず、ごく身近な人の心と行動を操り、「道具」として使い倒していることがあります。良く、フィクションではクールで冷静なキャラクターが「サイコパス」として描かれることがありますが…実際は「人情のある人」に擬態していることが多いと思います。その方が現代社会で生きていくには好都合だからでしょう。一見すると、「頼りがいのある人」に見えたり、「優しい人」に見えたり、「正義感がある人」に見えたり、「かわいそうな人」に見えたりするので、その擬態により「優しい(情動的共感性の高い)」人を騙して取り込んで、様々な心理操作のテクニックで逆らえないように…いや、むしろ自発的に奉仕をするように仕向けます。
末尾の『図解 サイコパスの話』の監修者名越康文氏は、サイコパスが他人を巧みにコントロールするのは、「人間を冷たく観察すること」で学んだものであり、サイコパスにとって人間は観察対象であり、ある意味、自分とは異なった種類の生物と見ているのだろうと述べています(68-69頁)。私もそうだろうと考えています。罪悪感が存在しないので、行動に「悪意」はありません。「反省」もしませんし、落ち込むこともありません。自分自身の苦痛にも鈍感なのです(原田隆之 『サイコパスの真実』に掲載されている受刑者のエピソードが参考になります)。ただ、自分にとって有利になると思えば、「反省したふり」、「落ち込んだふり」をすることは良くあります。すべてが「擬態」です。
※参考記事
事例から学ぶ:#027 精神病質の不正実行者を見分ける
https://www.acfe.jp/case-studies/cs-27/
【ヘア氏: 他の不正疑惑と同様に、不正の疑いのあるサイコパスと対峙する際には、事前にすべての事実を入手、検証、理解したうえで、企業の方針と適正な手続きに沿って進めなくてはなりません。しかし同時に、サイコパスがどのような反応を示すかを予期することも重要です。想定される反応には、「一見もっともらしい」憤りや否定、非難や責任の分散、「より強い」権限を有する者への訴え、暴言、訴訟を起こすという脅しなどがあります。このような場合には、容疑者に対する申し立てが事実的にも法的にも妥当であり「一歩も引かない」ものであることを確認することが不可欠です。
不正行為の嫌疑を掛けられた者が、事実を認めたうえで、それは魔が差してやってしまったことであり改心すると神妙に誓うという、一風変わった戦術を取ることもある。しかし、サイコパスがそのようなことを言う場合には、健全な懐疑心をもって対処しなくてはなりません。サイコパスは更正することができる、あるいは更正すべきであるという証拠はほとんどありません。彼らの行動は、確立し安定した人格構造を反映したものです。人間は通常、自分自身の行動をもたらす動機に関する一定の見識をもち、よき企業人になるために自分は替わらなくてはならないということを受け入れます。残念ながら、サイコパスは既に自分の動機を認識しており、それが間違っているとも変える必要があるとも思っていません。しかし、「更正」することが自分の身勝手で実利的な目的達成に資すると思えば、サイコパスは「救済された」もしくは「あがなわれた」罪人を演ずる能力には長けています。】
サイコパスは、「自傷行為」や「自殺未遂」をしてみせることもあると思います。そうすることで「反省」していると誤解して「同情」してしまう人がいるからです。サイコパスは、自分自身の痛みにも鈍感ですので、彼ら・彼女らにとってさしたる意味のある行為ではないのですが、「普通の人」は本人がそれだけ落ち込んで苦しんでいるのだろう、良心の呵責があるのだろうと騙されてしまうのです。後掲の参考文献から一節を引用します。本書も名著ですので、是非読んで欲しいです。
原田隆之『サイコパスの真実』(筑摩書房,2018年4月)24-25頁
【相手の顔面からはびっくりするほどの血が噴き出し、「被害者はまるで噴き出した自分の血で溺れるようだった」と事もなげに言ってのけた。それはまるで、「その日の天気は晴れでした」と言うのと同じような調子で、表情がゆがむでもなく、声が震えるでもなく、淡々と他人事のように「事実」を描写してみせた。私が図らずも鮮明にイメージした真っ赤な鮮血とは違って、彼の目に見えていたのは、モノクロの墨汁のような液体が、人の頻ではなく、のっぺりとした壁面を流れているような光景だったのかもしれない。しかし、私がもっと驚いたことがある。話が裁判のことに及び、どのような刑を予想するかと尋ねてみると、「弁護士の先生からも言われましたが、やったことがやったことなので、死刑か無期だと思います」と、これまた「明日の天気は雨でしょう」と言うのと同じような調子で、事もなげに言っあきらめているのとは違う。冷静を装っているのでもない。心が動いていない、まさにこれに尽きる。明日、死刑を言い渡されるかもしれない、無期懲役かもしれない。二十代の若さで、明日、死ぬか一生刑務所かという選択肢を突きつけられるかもしれない。その圧倒的な事実を前にすると、普通ならひるんで恐怖や不安に押しつぶされそうになるものだが、彼はまるで他人事のように、何食わぬ顔である。最初見せた神妙な頻は、最初からなかったかのように、すでに跡形もなく消え去っている。このとき、私は悟った。この男は、人の痛みがわからないのはもちろんだが、それだけでなく、自分の痛みもわからないのだと。これが、私が最初に出会ったサイコパスである。】
相手が反社会的なサイコパスか否かを見抜くのは難しく、きちんと調べるなら最低1年以上、できれば数年は必要といわれます(『図解 サイコパスの話』33頁)。ただ、そうやって迷っているうちに抜き差しならない関係に引きずり込まれてしまう危険があるので、反社会的なサイコパスの特性や、人を搾取する手口について学んでおくことはすべての人にとって重要なことです。サイコパスでなくても同じような手口を使う人たちもいます。『図解 サイコパスの話』は、反社会的なサイコパスの種類や、特性、特徴的な行動、対処法についてわかりやすく説明した名著です。内容の学術的な正確性については色々な意見があると思いますが、すべての方にお勧めできます。
この反社会的なサイコパスと思われる人たちですが、刑事事件で出会うこともありますが、民事事件の方がむしろ多いです。何故なら、彼ら・彼女らは心理操作が巧みなので、自分自身が「犯罪者」とされることを回避する能力も巧みだからです。これにより、人知れず苦しんでいて、しかも苦しんでいることを言い出せない人たちは多くいると思っています。
特に、若くてまだ認知的共感性が発達しておらず、生まれ持っての素質である情動的共感性が高い人(優しい人)が餌食とされることが多いです。非常に嫌な話なのですが、反社会的なサイコパスはそういう方を集中的に狙います。反社会的なサイコパスは、冷徹に、相手が「どういう表情」をしたらどう反応するか、「どういう言葉」をいえばどう反応するかを観察して、自分の言動を操作して相手を動かします。情動的共感性の高い人は、社会の中で傷つくことが多いので、そういう方に「理想的な他者」に擬態することで近づき、搾取するのです。一般的に、年齢を重ねるほど心理操作は熟練していきますので、「優しい人」あるいは「(生育環境が抑圧的だったために)嫌といえない」年下の相手を狙うパターンも多いと思います。
サイコパスは、教育と環境次第では社会的に振る舞うようになるそうです。さらにいえば、サイコパスは人を苦痛を与えるタイプのサイコパスに対抗する存在にもなり得ますし、「人を喜ばせて楽しむ」こともあるようですので(『図解 サイコパスの話』69頁)、向社会的な方向に専念したら多くの人を救う存在にもなると、私は期待しています。
私は、そのためには、サイコパスの存在が世間の常識になり(義務教育で教えられるべきだと思っています)、サイコパスが「向社会的」に生きるのが「もっとも有利」になる環境の構築が必要だと考えています。
※反社会的なサイコパスと関わってしまったことに気が付いた場合にどうすべきかですが、「一刻も早く関係を断つ」ことが最善の解決策です。反社会的なサイコパスの場合は何を言っても無駄というより、話せば話すほどマイナスです。彼ら・彼女らが改心することはなく、こちらの態度を冷徹に「観察」して、どうすればより効果的に「支配」できるかしか考えていません。心がすり減らされますし、人生の時間を無駄にして、他の人との交流のチャンスを失い、男性不信(女性不信)を植え付けられるなどの被害に遭います。相手にされないといずれ諦めます。彼ら・彼女らが唯一恐れることは「相手にされなくなる」ことですので。「良心をもたない人たち」「良心をもたない人たちへの対処法」という書籍に詳細で実践的な対処法が書かれていますので、参考にされてください。
【参考記事】
これは精神科の治療としては, 費用も人員もかかり,実行するのは現実的にかなり困難なものです。それくらい, 反社会性パーソナリティ障害の人の内面を本質的に変えていくことは難しいことなのです。】
https://www.kajo.co.jp/c/book/06/0605/40708000001
※参考文献(冒頭の2冊の書籍は名著ですので、強くお勧めいたします。中学生でも読めますので一家に一冊、自衛のために購入すべきです。とりわけ、「対処法」が具体的に記載されている点が特徴です。)
名越康文監修『図解 サイコパスの話 あなたの近くにも存在する! 身近な人や世間に潜む「裏の人格」を読み解く!』
原田隆之 『サイコパスの真実』
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480071378/
(感想記事)私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」
https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/
『良心をもたない人たち』――身近に潜む“サイコパス”にご注意を
https://ddnavi.com/review/407603/a/
※学術的な説明はこれらの記事をご参照ください。特に①の講演が参考になります。
①2022 年度第 1 回心理学部学術講演会
現在のサイコパス研究の到達点
-感情理解の特性と脳画像研究-
三重大学教育学部教授・三重大学教育学部附属小学校校長
松浦 直己
https://www.psy.kobegakuin.ac.jp/~kgjpsy/5_2/pdf/01_202303.pdf
【共感性と罪悪感 および協力行動
• 通常の社会的感情を持つ人は苦しんでいる人を見ると、自分も苦しい
• 自分のせいで人が苦しんでいるのを見ると、その苦しみはさらに大きい
• よって、苦しんでいる人を見ると助けたくなる(社会心理学では、協力行動・援助行動)
• 助けることにより、その人の苦しみが軽減されるだけでなく、自分の苦しみも緩和される。
• 進化論的には、このような社会的感情は、人間社会の社会的絆を進化させてきた(社会的行動)。
共感性と罪悪感
• つまり、共感性と罪悪感は極めて近い感情である。
• これらは、人間の向社会的行動の基盤となっている
• サイコパスはこれらの社会的感情が欠落しているか、もしくは十分なレベルに達していない。
• そこには、進化論的にみて、神経学的な障害があるのではないかと推測されてきた。
• 現在では、その神経学的メカニズムも解明されてきている】
②Japanese Psychological Review2019, Vol. 62, No. 1, 39–50
米田英嗣 ・間野陽子 ・板倉昭二
「こころの多様な現象としての共感性」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/62/1/62_39/_pdf/-char/ja
③ Web医事新報 No.4758 (2015年07月04日発行) P.68
福井裕輝 「精神病質者(サイコパス)とは」
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3772
【サイコパス研究から見えてきたことは,彼らの病理の中核に情動障害があるということです。つまり,共感性の欠如などがあるために,その結果として様々な問題行動を引き起こすのです。】
文献紹介 草柳和之「効果的なDV被害者支援のために : 被害者ファーストを探求する」家庭の法と裁判46号(2023年10月号)