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薬院法律事務所

一般民事

PTSDと交通事故訴訟(民事事件)


2024年02月16日読書メモ

交通事故訴訟においては、被害者に「PTSD」が生じたと主張される事案があります。しかし、裁判例は、被害者に発症したとされる精神症状につき、医師の診断書があるからといってただちにPTSDがあるとはせず、DSMやICDによる一般的な診断基準を厳格に適用して判断するものが大勢です。この点につき、文献を調査しましたので紹介します。

 

①中武由紀「交通事故損害賠償事件における非器質性精神障害をめぐる問題(1)」判タ1377号(2012) 10頁

【裁判例においては, PTSD該当性について,ICD-10, DSM-IV-TRのいずれか, あるいは両方の基準に則って厳格に判断する方法が定着しており, PTSDの主張がなされた事例28例中,肯定例は4例のみであった。肯定例のうち2例がPTSD該当性について当事者問に争いがない事案(【43】,【471), 1例が鑑定結果に従ってPTSDと認めた事案(【33】)であり, ICD-10, DSM-IV-TRの基準にあてはめた結果, その該当性を肯定した事例はl例(【59】)のみで, それ以外は否定されている。PTSDを主張したが否定された事例(24例)については,いずれもPTSDあるいは外傷後ストレス障害(「疑い」を含む) との医師の診断がなされていたが,裁判所は医師の付した診断名をそのまま採用せず,DSM-IV, ICD-10等の基準に照らしてその該当性を検討した上でこれを否定していることが見て取れ,裁判例は,容易にPTSDを認めない傾向にある68)。】(24頁)

中武由紀「交通事故損害賠償事件における非器質性精神障害をめぐる問題(2)」判タ1378号(2012) 14頁

中武由紀「交通事故損害賠償事件における非器質性精神障害をめぐる問題(3)」判タ1379号(2012) 11頁

 

②辻川靖夫「最高裁判所判例解説刑事編 最判平24・7 ・24刑集66・8・709」※刑事事件

【なお,本決定は, 「被害者について, …一時的な精神的苦痛やストレスを感じたという程度にとどまらず,いわゆる再体験症状,回避・精神麻陣症状及び過覚醒症状といった医学的な診断基準において求められている特徴的な精神症状が継続して発現していることなどから……PTSDの発症が認められた」という事実関係を前提として,上記の判断がされたものである。下級審においてPTSD発症の傷害該当性が問題となった事案の中には,前記高裁判決⑪,⑫の事例のように, 1審判決が,医学的な診断基準に照らしてPTSDの発症を認めることに疑問が残るような証拠関係でありながら,PTSDの傷害を負わせたとして傷害罪等の成立を認め,控訴審において破棄されたものが見られるところ, 当然のことではあるが,不十分な証拠関係でPTSDの傷害を負わせたと判断することがないよう留意する必要があると思(注29)われる。】(273~274頁)

 

③村上貴昭「61 PTSD 東京地裁平成14年7月17日判決」新美育文ほか編『交通事故判例百選[第5版]』(有斐閣,2017年10月)124頁

【DSMやICDは,臨床等のために用いられることを想定した医学的診断基準である上, その文言も抽象的であるため,交通損害賠償訴訟におけるPTSDの判断に当たっては,慎重に適用せざるを得ないDSM-5には,「DSM5・・・・・・が司法的な目的のために用いられるとき,診断に関する情報が誤用されたり誤解されたりする危険がある。この危険が生じるのは,法律上の究極の関心という問題と臨床診断に含まれる情報とが充全には一致しないためである」との注意書きがある〔米国精神医学会・前掲25頁〕)。また,臨床医によるPTSDの診断は,患者の治療を念頭に置いている上,臨床医が診断に当たって把握した情報と,訴訟における主張立証を通じて裁判所が得る判断資料とは一致しないのが通常であるため,臨床医の診断があるからといって, PTSDを認定できるわけではない。これらの事情は,本判決も指摘するところであり,診断基準を厳格に適用する裁判例もこれらの事情を踏まえたものと思われる。】(125頁)

 

④高野真人「第3 非器質性精神障害」高野真人編著『[改訂版]後遺障害等級認定と裁判実務-訴訟上の争点と実務の視点-』(新日本法規出版,2017年8月)178頁

【一時注目を浴びたPTSDであるが,最近でも事故によりPTSDが発症したと主張がなされ争点となることは少なくない。ただ,端的に傾向を述べれば, PTSDの発症を認めるものは少ない。PTSDに関する議論が高まった後に, 下級審裁判例は, 医師によりPTSDと診断されただけでPTSDが発症したと認めることはせずに,診断基準に照らして,診断要件を充足しているかを検証して結論を出すもの(【裁判例46】)が多くなってきたと言える。この傾向自体は変わったとは思われないが,最近の裁判例を見ると,診断基準の全要件を吟味することはせずに,外傷体験(端的に言えば死の恐怖を味わう状況)の有無(一般的には事故状況の激烈さということになろう)の観点だけから, PTSDが発症するような状況ではないことを否定の理由としているかのように思われる事案が相当数見られる。精神医療分野の医師によりPTSDという診断がなされていても,診断根拠明らかにされておらず,信用性がないという心証を得られることから. 簡単な検討で結論を出すことに抵抗感がないという状況なのかも知れない。

他方では,被害者の症状がPTSDだと肯定している事例もないではないが,それらは,被害者の状態がPTSDであるかないかが争われたため,診断基準充足性を詳細に検討したものはなく,加害者側が争っていないか.具体的かつ詳細に症状などを踏まえた反証活動が見られない事案である(【裁判例48】~【裁判例51】)。被害者側がPTSDの主張をしても,PTSDかどうかについては明言せず,非器質性精神障害があるとしてその程度評価をする事案はよく見られるし, PTSDと診断できるかどうかはあまり意味がないと指摘する例もある(【裁判例47】)。】(205~206頁)

 

⑤栗山健一「Q交通事故後にPTSDになったと自ら訴える患者さんが初診しました。どのようなことに注意して診察するとよいでしょうか?(「精神科治療学」第33巻増刊号2018年11月)」

【多くの交通事故は加害一被害関係を生じ, 特に被害者心理として加害者の責任を追及し・被害賠償を求める心理的力動が生じやすく, PTSDという疾患はこうした影響を考慮して診断に臨まざるを得ない場合も多い。特に。金銭.社会的な賠償が伴う場合には,疾患による影響のみならず。事故の客観的状況,被害者の性格素因,生活環境等様々な要因を考慮し総合的な判断が求められる。

(略)

PTSDの特徴的症状として,事故(トラウマ)の想起を回避し, さらに事故の重大な側面の想起不全(解離性健忘) を伴うことが多い。事故訴訟や保険・福祉請求の際にはトラウマを想起せざるを得ない状況(裁判・事情聴取・書類記載等)が生じるため, 重度のPTSDでは,損得を抜きにして上記状況をむしろ避けようとする症例も多い。一方,トラウマ想起を促しうる好訴的行動をとる背景には, 他の重大な要素(経済的問題。身体的後遺障害の併存,性格素因,合併精神疾患等)が影響している可能性を想定して評価する必要がある。】(112~113頁)。

 

⑥野々山優子「非器質性精神障害をめぐる問題」赤い本2019(下)49頁

【訴訟においては、PTSDを認めた医師の診断書が書証として提出されることも多くみられますが, 「実際にまたは危うく死ぬ,重症を負うような外傷的な出来事への曝露」, 「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こすような,例外的に著しく脅威を与えたり破局的な性質をもった, ストレス性の出来事あるいは状況」との要件に当たらないものについても, PTSDと診断しているものがみられます。

この点に関し,交通事故の事案ではありませんが,最高裁平成23年4月26日第三小法廷判決(集民236号497頁)は,頭痛を訴えて精神神経科を受診した患者が,精神神経科医師の言動に接した後に別の医師によりPTSDと診断された事案において,PTSDについて広く用いられている診断基準の一つであるDSM-W-TRの診断基準に照らすならば,精神神経科医師の言動自体がPTSDの発症原因となり得る外傷的な出来事に当たるとみる余地はないとしており,裁判例をみますと,医師の診断があるからといって直ちにPTSDの発症を認めるのではなく,被害者に発症したとされる精神症状につき, DSMやICDによる一般的な診断基準を厳格に適用して判断するものが大勢です。】(53~54頁)

 

⑦武富一晃「4 後遺障害(高次脳機能障害、脳脊髄液漏出症、PTSD)」加藤新太郎・谷口園恵編『裁判官が説く民事裁判実務の重要論点[交通損害賠償編]』(第一法規,2021年3月)

【近時の裁判例は、前掲平成23年最判[28171567) と同様に、医師によりPTSDと診断されたというだけでその発症を認めることはせず、PTSDについての一般的な診断基準(DSM、ICD)の要件を充足するか否かを検討して厳格に判断するものが大勢である32.

当該交通事故が「外傷的出来事」に該当するかの検討においては、事故態様や事故による衝撃の大きさからうかがわれる被害者の心身に対する影響の程度が重要な考慮要素となる。

(略)

裁判例は、PTSDの発症を認めた場合の後遺障害等級について、自賠責保険における等級認定基準に沿って、14級、12級又は9級と判断しているものが大勢である。労働能力喪失率についても、自賠責保険における扱いと同じく、労働省労働基準局長通牒(昭和32年7月2日付け基発第551号)別表の労働能力喪失率表記載の喪失率を認定する例が多い。ただし、被害者の既往症や心因的要因を考慮して素因減額がされることがある33。また、労働能力喪失期間については、回復可能性等を考慮して5年ないし10年程度に制限される例が少なくない34.】(238~240頁)

 

⑧古笛恵子監修『実務に役立つ交通事故判例-東京地裁民事第27部裁判例から』(保険毎日新聞社,2022年2月)

【かつては、診断基準をめぐる、PISD論争、A基準論争が繰り広げられたが、東京地判平成14年7月17日(判時1792号92頁)が、PISDの判断にあたっては、医学的診断基準を厳格に適用する必要があると判示してからは、近年、交通事故訴訟においては、PISDとの認定が厳格になされるようになり、PTSDをめぐる争いは少なくなっている。】(93頁)