セクシャル・ハラスメントと「強いられた同意」(犯罪被害者、労働事件)
2021年12月25日労働事件(企業法務)
あまり知られていない言葉だと思いますが、ハラスメント関係では重要な用語です。
内田貴先生が平成19年に発表した論考に出ています。長めに引用いたします。
内田貴・大村敦志編『民法の争点』(有斐閣,2007年9月)306頁
内田貴「セクシュアル・ハラスメント」
【第2に、セクシュアル・ハラスメントは相手の同意があれば問題とはならないため、 同意の有無が争われることが多いが、同意は有るか無いかで割り切れるほど単純ではない。同意のように解される事実はあるが実は真の同意とはいえない、という事例も少なくない。これを本稿では「強いられた同意」と呼ぶ。最も困難な問題を提起するのは、継続型かつ「強いられた同意」型のセクシュアル・ハラスメントである。】
【「強いられた同意」型は、同意が表面的には存在するように見える事例である。しかも,加害者は、少なくとも主観的には、好意や恋愛感情から行動していて自分の行為が不法行為にあたるという意識を持っていないこともある。とりわけ、加害者がずうずうしいタイプの人間であればあるほど,被害者が嫌がっていることなど思いもよらないという場合がある。そのようなタイプのセクシュアル・ハラスメントにおける同意には、次のような特殊性がある。
第1に、「強いられた同意」は、単なる同意の不存在と同じではない。もし、端的に、 同意の欠如した性的行為が行われたと認定できるなら、同意がないことは加害者にも認識できるのが通常であるから、加害者の主観的要件を特に問題とすることなく不法行為の成立を肯定できる。過去のセクシュアル・ハラスメント訴訟には同意の不存在を認定することで決着がつけられている事例が多く(このため,小島妙子=水谷英夫「ジェンダーと法DV・セクハラ・ストーカー』[2004) 272頁は,加害者の故意・過失要件は「通常争点とならない」と述べている)、このような処理は、理論的に最も問題が少ないため、「強いられた同意」型とも見うる事例においても多くの裁判例はこの手法を用いている(熊本地判平成9.6.25判時1638号135頁,仙台地判平成11 .5.24判タ1013号182頁,広島地判平成15. 1 . 16判タ1131号131頁等。また,京都地判平成9. 3 .27判タ992号190頁も、被害者に対する不法行為責任の成否が争われたわけではないが、「強いられた同意」型セクシュアル・ハラスメントと見うる〔判決では意に反していたと認定されている〕)。その際男性の行為を拒否しなかったことが同意を意味するわけではないという経験則がしばしば援用される(水谷・前掲272頁以下参照)。しかし,継続的な関係の中で問題となることが多い「強いられた同意」型においては、自由な意思が完全に抑圧されているとまではいえない状況の下で、同意を示すような事実が存在していることがある(女性の方から被害のあとで加害男性に対してプレゼントをするなど。水谷・前掲書307~308頁に紹介されている仙台地判平成11 .7.29)。そのような事案においては、「強いられた同意」という類型を認知することによって、強姦などとは異なる事案の特質をより正しく認識することができる。すなわち、「強いられた同意」型においては、同意はあるように見えて、実は、拒絶の自由が保障された中での真実の同意ではない。その認定は,後述の権力関係の存在に加えて、被害者の性格をも考慮に入れてなされる必要があり、通常の「意思の存否」の認定に尽きない困難さがある。同時に、同意があったと信じたという加害者からの主張の扱いも問題となる。】
【第2に、「強いられた同意」は、権力関係が背後になければ、私的領域の問題として法的問題にはならない。対等な男女間においては、たとえ明確な同意がなくても、行われた性的行為が刑法上の強姦や強制わいせつと評価されるものでない限り、通常は、自己責任が支配する私的領域の事柄と評価されるからである。とりわけ、表面的にせよ同意らしいものがあれば、法的問題を生ずることはまず考えられない。ところが、当事者の背後に職場の上下関係や学校での教師と学生の関係のような一定の権力関係が存在すると、同じ行為が「強いられた同意」型のセクシュアル・ハラスメントと評価されうることになる。
背後にある権力関係は、職場の場合,加害者が人事権を有するなどの制度的な権力を有する場合もあるが、心理的に逆らいにくいという事実上の権力関係である場合もある。そのような事実上の関係が自由な意思による拒絶を阻害するかどうかについては、女性の性格をも踏まえた慎重な認定が要求される(事実上の権力関係によって自由な拒絶ができなくなる性格の女性がいるし、その性格を意識的無意識的に利用しようとする男性がいることも否定できない)。】
齋藤修『慰謝料算定の理論』(ぎょうせい,2010年4月)287頁や、大村敦志『不法行為判例に学ぶ 社会と法の接点』(有斐閣,2011年10月)282頁で言及されています。
最高裁判所もいわゆるL館事件でこの考え方を取り入れているといえます。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84883
【(2) 原審は,被上告人らが従業員Aから明白な拒否の姿勢を示されておらず,本件各行為のような言動も同人から許されていると誤信していたなどとして,これらを被上告人らに有利な事情としてしんしゃくするが,職場におけるセクハラ行為については,被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも,職場の人間関係の悪化等を懸念して,加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたりちゅうちょしたりすることが少なくないと考えられることや,上記(1)のような本件各行為の内容等に照らせば,仮に上記のような事情があったとしても,そのことをもって被上告人らに有利にしんしゃくすることは相当ではないというべきである。】
※参考記事
変わるセクハラ民事裁判 「同意があるから大丈夫」が身を滅ぼすことも…
https://www.bengo4.com/c_5/n_8437/
この種の事案では、「同意」を求めた側は、サイコパスで相手の心理をわかってやっている場合もあるでしょう。ただ、そのパターンだけではなく、相手の【拒絶】の非言語メッセージを読み取ることができず、「強引さが必要」などと思い込んで相手を傷つけていることに気づかないこともありえると思います。上司と部下の間の不倫などが想定されます。部下は、上司に気に入られたいと思って行動したことが、上司は「自分が性的に魅力的だからこういう行動をされているんだ」と思い込んで不倫関係になる。不倫した既婚者が「相手が誘ってきたんだ」などと言うことがありますが、その実態はこれということもあると思います。そもそも、既婚者が独身者と性的関係を持とうとすること自体に問題があり、とりわけ、相手が拒絶しづらく、相手が傷つく可能性の高い部下との不倫は、長期的には誰にとっても良い結果をもたらさないと思っています。まして、独身者と偽って性的関係を持つのは、現時点では犯罪とされていませんが、いずれ犯罪にされる行為だろうと思っています。
一方、「同意」した側は、相手に苦痛を与えたくないという情動的共感性が高い人だったり、親や周囲が支配・被支配の関係性を子どもに作るタイプで、強い態度をとる人には「服従」する傾向があったりするのではないかと推測しています。そういう人は、「自分が【同意】したから相手を責められない」と自責して一人で苦しんでいることがあります。情動的共感性の高い人にとって、「拒絶する」というのは実はかなり心理的負担のある行為なのです。相手を傷つけないために、「喜んだふり」をした経験は性別を問わずあると思いますが、情動的共感性の高い人はそれを本能的にしてしまうのです。相手の苦痛が自分の苦痛になるからだと思っています。
この問題を解消するためには、誰が悪い、誰が良いという議論ではなく、双方が自由に自分の意思を表明できる環境、表明しても不利益を受けない環境の構築が必要だろうと思っています。これは、性的な関係だけではなく、社会一般に通じることです。そもそも、拒絶してはいけないとなる環境自体に問題の根源があるのです。上司・部下といった関係だけではなく、社内的には部下・上司であっても、実際は部下が上司を支配していて、部下の言動に上司が左右されることもあります(逆ハラスメントと言われる事例)。何か発言すればリンチが行われる社会では、真意を表明できなくなり、結局双方の真意の擦り合わせという深いコミュニケーションがとれなくなります。
内田貴先生の論考は、先駆的で、深い心理分析をしていますから、今の時代こそ熟読されるべきものだと考えています。
※参考
私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」
https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/
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