令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて)
2024年01月31日刑事弁護
浅沼雄介ほか「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律について」法曹時報76巻1号(2024年1月号)
https://www.fujisan.co.jp/product/2424/b/list/
不同意性交・不同意わいせつについて、法制審議会や国会答弁も引用して解説した論文が公刊されました。裁判官の判断の基本となりますので、刑事弁護人、被害者代理人のいずれの立場でも必携の文献でしょう。今後の議論は、まずはここから始まることになると考えられます。
ある程度解説が出そろったので、今回の改正に対する私の考えを記載します。刑事裁判実務に携わる一個人として、私の見解を残しておくことが将来誰かの助けになるかもしれない、と思うからです。
まず、私は、今回の改正について、非常に良いことであったと高く評価しています。特に、不同意性交・不同意わいせつの当罰性のコアが「同意しない意思(拒絶の意思)を形成、表明、全うできないことを利用しての性行為であること(不同意わいせつ・不同意性交の本質的な要素が、自由な意思決定が困難な状態でなされたわいせつな行為であること)」だと明示したということが重要です。表面的な「同意」の有無でも、「不同意」の有無でもなく、本人の真意を抑圧する状況があったか、それを作ったり、利用したか、が処罰のポイントであるということを明示したことには重要な意味があります。
端的にいえば「断れない関係性を作ったり、利用して性行為をしたか」です。口頭の「同意」や「不同意」があったか否かという表面的な問題ではないです。口頭で「同意」していようが、あるいはむしろ「積極的に望んだ」ようにみえようが、自由な意思決定が困難な状態であれば不同意わいせつ・不同意性交罪は成立します。
なお、一部のマスコミ報道では性犯罪の処罰規定の発想が大転換したかのように語られることがありますが、不正確です。正確には既存の法律の内容を「明確化」して解釈のブレを防ぐとともに、一般の人に分かりやすくしたというものです。旧法下においても、このような裁判例がありました。
例えば、改正前の第177条の暴行・脅迫について、判例上の解釈としては、「抗拒を著しく困難にさせる程度」であることを要するとされていたことから、個別事案において犯罪の成立が限定的に解釈されてしまう余地があったところを明確化しています。私は警察官向けの文献も多数集めているのですが、警察実務では暴力や脅迫の大小を重視していた運用が変わっているようです。警察実務において立件が増えていくことは間違いないと思われます。例えば、ニューウェーブ昇任試験対策委員会『実務 SAに強くなる!!イラスト解説刑訴法 補訂版』(東京法令出版,2024年4月)342頁では、Point解説として「旧法の178条(準強制わいせつ及び準強制性交等)は構成要件を「心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ」と定めていました。しかしその構成要件では、実務上、どの程度を「心身の喪失」とするか、あるいは「抗拒不能」はどの状態を指すのかが明確でないという問題が生じ、明確でないために、被害がありながら立件が困難になるケースがありました。こうした事態を防ぐため、今回、強制わいせつ罪と強制性交等罪の構成要件と罪名を改正したものです。」「性犯罪を立件しやすくするために法を整備したということです。」と記載されています。
https://www.tokyo-horei.co.jp/shop/goods/index.php?12727
※改正法が、「処罰範囲を拡大したものではないこと」は法務省の解説でも明言されています
https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00200.html
【Q3 「暴行」・「脅迫」、「心神喪失」・「抗拒不能」といった要件を改めることで、これまで処罰できなかった行為が処罰できるようになるのですか。
A3 不同意わいせつ罪・不同意性交等罪に関する「暴行」・「脅迫」、「心神喪失」・「抗拒不能」要件の改正は、改正前の強制わいせつ罪・強制性交等罪や準強制わいせつ罪・準強制性交等罪が本来予定していた処罰範囲を拡大して、改正前のそれらの罪では処罰できなかった行為を新たに処罰対象に含めるものではありませんが、改正前のそれらの罪と比較して、より明確で、判断にばらつきが生じない規定となったため、改正前のそれらの罪によっても本来処罰されるべき行為がより的確に処罰されるようになり、その意味で、性犯罪に対する処罰が強化されると考えられます。】
浅沼雄介ほか「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律について」法曹時報76巻1号(2024年1月号)84-85頁
【○「性犯罪に関する刑事法検討会」第5回会議・橋爪隆委員発言
「暴行・脅迫要件は、実際には、被害者の意思に反する性行為であることを明確に認定するための外部的な徴表として機能しているにすぎず、暴行・脅迫要件によって処罰範囲が過剰に限定されているわけではないと考えております。そして、このような理解に従って、実務的な運用が行われているのであるならば、特段の問題は生じないようにも思われます。
もっとも、やはり、現行法は暴行・脅迫という文言を用いており、判例の定義も、相手方の抗拒を著しく困難ならしめる程度という表現を用いております。したがって、これを限定的・制限的に捉える解釈の余地が全くないわけではありません。
先ほど御指摘がございましたように、もし、現場の判断においてばらつきが生じているのであるならば、それは、現行法が暴行・脅迫という文言を用いていることに起因するところが大きいと思われます。また、国民一般の視点から見ても、暴行・脅迫要件によって、性犯罪の成立範囲が過剰に限定されているかのような印象を与えることは適当ではないと思います。このような状況を踏まえますと、仮に、現在の実務の運用において大きな問題がないとしても、暴行・脅迫要件が誤解を与えかねない要件であり、また、ばらつきをもたらしやすい原因となり得ることを踏まえた上で、改正の可能性も含めて、処罰規定の在り方について検討することが必要であると考えます。」】
【(注3) 本項各号に掲げる行為・事由は、改正前の本条、第177条及び第178条の下での裁判例において、「暴行」・「脅迫」や「心神喪失」・「抗拒不能」に該当すると認められたもののほか、性犯罪被害者の心理等に関する心理学的・精神医学的知見を踏まえ、「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」の原因となり得るものを広く拾い上げて示したものである。
さらに、現実に起こり得る犯罪事象の中には、本項各号に掲げる行為・事由そのものとはいえないものの、これらに類似する行為・事由によって前記の状態になるものもあり得ると考えられたことから、本項では、その原因となり得る行為・事由を、限定列挙するのではなく、あくまで例示列挙とするため、「その他これらに類する行為又は事由」も規定されている。
したがって、不同意わいせつ罪の処罰範囲は、改正前の強制わいせつ罪及び準強制わいせつ罪の処罰範囲より限定されることとはならないと考えられる。】
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000021780-i32473105
志賀文子「不同意わいせつ事件において、わいせつな行為該当性が問題となった事例」捜査研究2024年5月号(884号)9-19頁
9頁
【不同意わいせつ、不同意性交等罪の罪(刑法176条・177条)は、改正前の強制わいせつ、準強制わいせつ、強制性交等、準強制性交等の罪との関係で処罰範囲を拡大するものではないとされている。
これまで、改正前の刑法176条及び177条の「暴行又は脅迫を用いて」の程度は、「抗拒を著しく困難にさせる程度」であることが必要であると理解されており、「暴行又は脅迫を用いて」の要件があることで、個別の事案において、これらの罪の成立範囲が限定的に解されてしまう余地があるなどの指摘があった。
そこで、より明確で判断にばらつきが生じないように、性犯罪の本質的な要素である自由な意思決定が困難な状態でなされた性的行為である点を、「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」という文言を用いて統一的な要件と規定した上で、当該状態にあることの要件該当性の判断を容易にし、安定的な運用を確保する観点から、当該状態の原因となり得る行為又は事由を具体的に例示列挙したとの説明がなされている。
そのため、実務的な視点からは、従来の解釈運用であれば消極判断になる可能性があった事案につき、改正後、不同意わいせつ罪、不同意性交等罪に該当するとして積極判断になる事案が増えると想定されていたが、日々、事案を取り扱う一検察官としても積極判断の事例は増えたように感じている。】
https://www.tokyo-horei.co.jp/magazine/sousakenkyu/202405/
私は、この改正が、未だに一部の人に根強く残る、「明示の拒絶がなければ、相手に性的行為をして構わないんだ。」という発想を払拭していくきっかけになることを願っています。何故ならば、現代の日本では、「同意しない意思(拒絶の意思)を形成、表明、全う」できない状況にある人が多く、現状で、「明示の拒絶」を処罰要件とすると、「拒絶できない人(特に若年女性と若年男性)」を集中的に狙う人が跋扈するからです。
性被害を減らすためには「嫌なものに対して、嫌と感じること、嫌といえること。」が大事です。しかし、現在の日本では「周囲の和を乱さないように」「真面目に生きるように」「親の考えたレールを進むように」といった「教育」を受けている人が多く(自由にして良いと口では言いながら、実は親の望む選択肢から外れたら「態度」で冷遇するというパターンもあります)、「拒絶の意思の形成、意思の表明」が苦手な人が数多くいます。「拒絶」にも訓練が必要なのです。その脆弱性につけ込む人たちがいます。これは、性被害に限らず、様々なハラスメント被害にも共通することで、ブラック企業問題にも共通する傾向です。根本的にはこのような教育の改善も必要になってくるでしょう。
なので、私は今回の改正を高く評価しているのですが、課題はあります。特に、処罰範囲に不十分な点があります。改正の方向性は「悪いやつ(特に悪い男)」を漏らさず処罰するということだと思われますが、独身詐欺(独身偽装)が処罰対象に入っていないことは大問題でしょう。ここは明らかにおかしいと考えています。既婚者と性交をしたら、相手方は「不貞行為の加害者」とされてしまうわけで、他の不同意わいせつ・不同意性交に比べて当罰性が低いとはいえません。性交には同意したのだから心理的苦痛は低いのだという発想かもしれませんが、現代の日本において、不貞相手、とされる苦痛はそんな軽視されるべきものではないと思っています。特に、若い女性が、何年間も特定の男性と付き合っていていずれ結婚するものと考えていたら既婚者だった、といった場合(女性の場合は妊娠することもあります)の衝撃の大きさを考えると、これをあえて処罰範囲から除くことには強い疑問があります。民事の貞操侵害での慰謝料額も低く、逆に不貞行為の相手方として損害賠償請求のリスクを負う問題もあります。さらに、独身詐欺をする人は明らかに「故意」があり、「相手の拒絶の意思を察することができなかったから(あるいは勘違いして)、不同意性交をしてしまった」ということはありえないわけです。独身詐欺を不同意性交の範囲にいれるのは、法律婚の尊重にもつながるわけですし、独身男女が安心して結婚相手を探せるようになるのですから、少子化対策という観点からも、3年後の見直しでは必ず含まれなければいけないと思っています(人生に対する詐欺というべき極めて悪質な行為です)。
なお、「人生に対する詐欺」という意味では、いわゆる「托卵」行為についても、性犯罪であることを明記し、不貞の相手を含めて、不同意性交と同程度の法定刑を定めた罰則の新設が必要でしょう。
(1) 趣旨
性的行為をするに当たってその相手方に生じることが考えられる錯誤には、様々な態様・程度のものがあり得るため、相手方に何らかの錯誤があるというだけで、それを理由に性的な行為を幅広く処罰することとした場合には、例えば、行為者が、成人である相手方に対し、行為者には交際している恋人や配偶者はいないとの相手方の誤信に基づいてわいせつな行為をした場合など、社会通念上、その誤信があったことのみでは処罰対象とすべきとはいえないものが含まれ得ることとなる。
他方、本項に定める誤信がある場合、すなわち、行為の性的意味を誤信している場合や、行為の相手方について人違いをしている場合については、そもそもわいせつな行為に関する自由な意思決定の前提となる認識を欠くことから、それらの誤信をさせ、又はそれらの誤信をしていることに乗じてわいせつな行為をすることは処罰対象とすべきであると考えられる。
そこで、本条においては、相手方に錯誤があることを理由とするわいせつな行為の処罰について、前項ではなく、本項に別途規定することとし、
〇 その誤信があれば、わいせつな行為に関する自由な意思決定が妨げ(注23)られたといえるものを限定的に列挙する一方、
O 「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ、又はその状態にあることに乗じて」との要件を設けないこととされた。】
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※刑法
(不同意わいせつ)
第百七十六条 次に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、わいせつな行為をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、六月以上十年以下の拘禁刑に処する。
一 暴行若しくは脅迫を用いること又はそれらを受けたこと。
二 心身の障害を生じさせること又はそれがあること。
三 アルコール若しくは薬物を摂取させること又はそれらの影響があること。
四 睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること又はその状態にあること。
五 同意しない意思を形成し、表明し又は全うするいとまがないこと。
六 予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、若しくは驚愕がくさせること又はその事態に直面して恐怖し、若しくは驚愕していること。
七 虐待に起因する心理的反応を生じさせること又はそれがあること。
八 経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること。
2 行為がわいせつなものではないとの誤信をさせ、若しくは行為をする者について人違いをさせ、又はそれらの誤信若しくは人違いをしていることに乗じて、わいせつな行為をした者も、前項と同様とする。
3 十六歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者(当該十六歳未満の者が十三歳以上である場合については、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者に限る。)も、第一項と同様とする。
(不同意性交等)
第百七十七条 前条第一項各号に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、性交、肛こう門性交、口腔くう性交又は膣ちつ若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの(以下この条及び第百七十九条第二項において「性交等」という。)をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、五年以上の有期拘禁刑に処する。
2 行為がわいせつなものではないとの誤信をさせ、若しくは行為をする者について人違いをさせ、又はそれらの誤信若しくは人違いをしていることに乗じて、性交等をした者も、前項と同様とする。
3 十六歳未満の者に対し、性交等をした者(当該十六歳未満の者が十三歳以上である場合については、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者に限る。)も、第一項と同様とする。
※2025/3/27 ChatGPT4.5で検証してもらいました。
承知しました。リンク先の「令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不十分と考える理由)」について、刑法学・捜査実務・心理学の観点から、特に法学的視点を重視しつつ、中立的な立場で約1万字規模の学術的レビューを行います。
完成次第、内容をご報告いたします。
令和5年性犯罪規定改正に関する意見の学術的レビュー
序論
令和5年7月、刑法の性犯罪規定が大きく改正され、従来の「強制性交等罪・強制わいせつ罪」等が再構成されて「不同意性交等罪・不同意わいせつ罪」へと改められた (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)。この改正は、2019年に性犯罪事件で無罪判決が相次いだことへの社会的批判(いわゆる「フラワーデモ」の勃発 (性暴力にNO! 名古屋・久屋大通公園で「フラワーデモ」 [愛知県]:朝日新聞))や、旧法が「暴行・脅迫」「抗拒不能」といった要件によって性犯罪の成立範囲を過度に限定しているとの指摘を受けて行われたものである (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)。改正の柱は、性犯罪の本質を**「被害者の自由な意思決定が困難な状況で行われた性的行為」であると明示すること**であり、そのために構成要件上「同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難な状態」という統一要件を導入し、その状態を生じさせる具体的事情を列挙した点にある (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)。また、性的行為の範囲拡大(指等による侵入行為の含有)や、時効延長、性交同意年齢の引上げ(13歳→16歳)なども盛り込まれた (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)。
本稿の対象記事(薬院法律事務所の掲載した意見記事)は、この改正について刑事弁護人の立場から論じたものであり、改正の方向性自体は高く評価しつつも「不十分な点がある」と指摘している。特に不同意性交等罪の処罰範囲から「独身偽装(既婚者であることを隠して性交する行為)」が漏れている点を大きな問題として挙げ、将来的な立法補完を主張している (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。さらに筆者は、いわゆる「托卵」(配偶者以外との性交によって子を儲け、それを配偶者の子として育てさせる行為)も「人生に対する詐欺」として性犯罪の一種とみなし、処罰規定を新設すべきと論じる (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。本稿ではこの意見記事の主張について、刑法学的観点(立法趣旨・構成要件・判例理論等)、捜査実務上の観点(警察・検察の運用、証拠収集・取調べへの影響)、および心理学的観点(被害者の心理、加害者の再犯性、記憶と供述の信頼性)から検討する。筆者の論旨の妥当性と論理構造を中立かつ批判的に分析し、必要に応じて比較法的視点も交え評価を行う。
法学的視点からの分析
改正の趣旨と新構成要件の評価
今回の改正前、刑法の強制性交等罪(旧177条)・強制わいせつ罪(旧176条)は「暴行又は脅迫を用いて(抗拒を著しく困難にさせて)」性交・わいせつ行為をした場合に成立し、また準強制性交等罪・準強制わいせつ罪(旧178条)は**「人の心神喪失もしくは抗拒不能に乗じ」て性交等をした場合等と規定されていた。これらの要件は抽象的で、たとえば「どの程度の暴行・脅迫なら成立するか」について裁判所ごとに判断が分かれる余地があるなど、実務上運用が不安定**と批判されていた (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)。実際、抵抗できなかった被害者の心理状態を「抗拒不能」と認めず無罪となる事例も存在し(2019年の一連の無罪判決が典型例)、被害者や世論から「現行法は被害実態に合わない」との声が上がっていた (性暴力にNO! 名古屋・久屋大通公園で「フラワーデモ」 [愛知県]:朝日新聞)。こうした背景の下、法務省の法制審議会は「暴行・脅迫要件が誤解を招き実務のばらつき原因となり得る」と指摘し、「現在の実務に大きな問題がなくとも処罰規定の在り方検討が必要」との見解を示した (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。
改正刑法176条・177条では、こうした問題点を踏まえ**「同意しない意思を形成し、表明し、全うできない状態」**を統一要件として据え、その状態に陥る原因となり得る行為・事由を具体的に例示列挙した (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。列挙事由には、典型的な暴行・脅迫によるもののほか、薬物やアルコール摂取、睡眠状態の利用、心理的圧迫や不意の事態による恐怖、地位や経済関係に基づく圧力など多岐にわたる状況が含まれている (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。例えば176条1項では以下のような事情が挙げられる。
- 暴行・脅迫の行使またはその被害(1号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 従来からの典型例で、暴力や脅しによって抵抗困難にさせる場合。
- 心身の障害(2号)や アルコール・薬物摂取(3号)、睡眠その他意識不明瞭(4号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 被害者の意識や判断能力を低下させる状態を利用する場合(従来の「心神喪失・抗拒不能」に相当)。
- 拒絶する暇の不存在(5号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 不意打ち的に行為に及び、被害者が「嫌だ」と表明する間もなく既遂に至る場合(痴漢の突発的犯行等を想定)。
- 予想外の事態による極度の恐怖・驚愕(6号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 予期しない出来事で被害者が恐怖し硬直する、いわゆる「フリーズ状態」に陥った場合。
- 虐待に起因する心理反応(7号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 過去の虐待経験等から加害者に逆らえなくなる心理状態(PTSD的反応)。
- 経済的・社会的地位に基づく影響力による不利益の懸念(8号) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) – 加害者が職場上司や指導者等の場合で、「逆らえば不利益を被るかも」という恐れにより抵抗できない場合。これは典型的な権力者による性的搾取(いわゆる権力性交)を想定し、実務上は上司と部下、教員と学生などのケースが含まれる。
さらに176条1項本文には上記事由に続けて「その他これらに類する行為又は事由」と規定され、列挙は限定列挙ではなく例示列挙であることが明示された (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。これは、現実には列挙と完全には一致しない類似の態様でも被害者が同様の状態に陥る場合があり得るため、そのようなケースも包含する趣旨である (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。したがって、新法の不同意わいせつ罪・不同意性交等罪は旧法の各罪より処罰範囲を不当に狭めるものではなく、むしろ解釈のばらつきを防ぎ安定運用を図るものであると解説されている (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。実務的にも「改正後、旧来なら不起訴(消極判断)になり得た事案が積極的に起訴相当と判断されるケースが増えるだろう」と予測され、実際に「日々事件を扱う一検察官としても、改正後は積極判断の事例が増えたように感じる」との報告もある (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。この点、対象記事の筆者も「本改正によって『明示の拒絶がなくても性行為に及んではいけないのだ』という発想を社会から払拭していくきっかけになることを願う」と評価している (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。すなわち、口頭で明確に“No”と言えない被害者が多い現状に鑑み、形式的な拒絶の有無ではなく被害者の真意を抑圧する状況があったか否かを判断基準に据えた意義は大きい、という肯定的見解である (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。このように改正の根幹部分について、記事の主張は立法趣旨や判例の流れと整合しており、その妥当性は高いといえる。
「独身偽装」行為の処罰漏れ:立法論と論理構造
一方で、対象記事が最大の問題点とするのが、新法において欺瞞による性交(いわゆる性的欺罔行為)が十分に処罰対象とされていないこと、特に既婚者が独身と偽って性交に及ぶ行為(独身詐欺・独身偽装)が処罰から漏れている点である (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。筆者は、「改正の方向性が『悪い奴(特に悪い男)を逃さず処罰する』ことであるなら、独身偽装を除外するのは明らかにおかしい」と述べ、このような行為も他の不同意性交等と比べ当罰性が低くないと主張する (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。具体的には、既婚であることを隠された被害者は、結果的に「不貞行為の相手方」(配偶者から見れば姦通の相手)とみなされ社会的非難を受けたり、民事上の損害賠償請求(いわゆる不倫の慰謝料請求)のリスクさえ負う立場に置かれる (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。本人は真摯な交際・将来の結婚を信じて同意したのに、それが人生設計を覆すような重大な裏切りだった場合、その精神的衝撃は決して軽微ではない(時に妊娠という深刻な結果も伴いうる) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。にもかかわらず刑事罰の対象外とされ、民事上の「貞操侵害」に基づく慰謝料請求でも僅かな賠償しか得られない現状は、被害救済として不十分であるという指摘である (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。さらに筆者は、独身偽装を働く者は明確な故意(騙す意図)を持っており、「相手の同意の有無を勘違いした」といった強姦事件で主張されるような誤想弁護の余地もない分、悪質性が高いと論じている (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。独身偽装の処罰化は法律上の婚姻関係の尊重にも資するし、独身者が安心して結婚相手を探せる環境づくりにつながる(ひいては少子化対策にも寄与し得る)とも述べ、改正法の3年後見直しの際には是非とも盛り込むべきだと強く提言している (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。
以上のように筆者は独身偽装の処罰化を主張するが、現行法の立法者はこの点を明確に意識した上で処罰対象から除外している。法改正の公式解説では、「性的行為の相手方に生じ得る錯誤(思い違い)は様々な態様・程度があり得るため、相手に何らかの錯誤があるだけで広汎に処罰すると、例えば既婚者であるのに独身と誤信させてわいせつな行為をした場合のように、社会通念上その誤信があったことのみでは処罰の対象とすべきでないものまで含まれ得る」ことが指摘されている (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。他方で、「行為の性的意味を誤信させた場合(例:医師が治療と偽って性交類似行為をする)や、人違いをさせた場合(例:双子の兄弟を装って性交に及ぶ)では、性的自己決定の前提となる認識を欠くゆえ処罰すべきである」として、これら限定的な錯誤類型のみが新設の処罰規定(176条2項・177条2項)に盛り込まれた (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。実際、改正刑法176条2項・177条2項は「行為のわいせつ性について誤信させ又は行為者について人違いをさせてわいせつ行為・性交等に及ぶ」ことを、1項と同様に罰するとうたっており (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)、言い換えれば性行為の本質や相手を誤認させる欺罔行為(医療行為と偽るケースや他人への誤認)は処罰対象となった。しかし相手の地位や属性に関する欺きは列挙から外されたのである (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。つまり立法論としては、「相手が誰か・行為の意味」という性交同意の基本前提に関わる欺罔のみが刑事罰に値し、婚姻歴や社会的身分・経歴など行為者の属性に関する嘘は刑法で裁くほどの重大性はないとの判断が示されたと解釈できる。
この立法判断の妥当性については議論の余地がある。筆者の主張するように、独身偽装は被害者に深刻な精神的苦痛や社会的損失を与えうる行為であり、「性的自己決定に関する自由」を侵害する一種の加害行為と位置付ける見解も理解できる。特に日本では、不倫の相手方に対する民事賠償請求が認められる法制度がある(配偶者の権利侵害という位置づけ)一方で、欺かれた第三者本人の喪失感や社会的信用失墜については十分な埋め合わせがなされていないとの指摘は説得力を持つ。被害者が「自分も加害者(不貞の相手)だと非難される」という二次被害まで負う点は、他の性犯罪被害にはない独特の深刻さがあるとも言える (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。また、多数の女性を欺いて渡り歩く常習的なプレイボーイや結婚詐欺まがいの者が野放しになれば、性に関する公正な意思決定や婚姻制度の信頼が損なわれるという社会的弊害も無視できません。筆者が挙げた「少子化対策」という観点は一見飛躍にも思えますが、結婚に対する不信が広がれば出生率にも影響しうるという広い視座での主張でしょう (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。
しかし一方で、刑法による処罰には謙抑性(国家刑罰権は必要最小限にとどめるべきとの原則)が求められます。人間関係における背信行為すべてを刑罰で規制すべきかについては慎重なバランスが必要です。立法者が述べたように、恋愛や性交に際して交わされる情報には多種多様なものがあり、「結婚歴」以外にも年齢・職業・収入・学歴・健康状態など無数の属性について虚偽を告げる事例が考えられます。仮にそれらを理由に性的同意が無効だとしてしまうと、処罰範囲があまりに広範となり、どこまでを犯罪とすべきかの線引きが困難になります。また、被害者側にも「相手の言うことをうのみにせず注意する責任」がある程度求められるべきだとの反論もあり得ます(自己責任論の視点)。とりわけ独身偽装の場合、性行為それ自体には被害者も物理的には同意しているため、暴行や脅迫を受けたケースとは性質が異なります。被害者の意思決定は嘘に誘導され歪められたとはいえ、一応の「合意」が存在した以上、それを刑事罰で処断することには慎重論も強いのです。「同意」の実質的有効性という哲学的問題にも踏み込むことになり、刑法の明確性原則の観点からも課題があります。
比較法的に見ると、性的行為の欺罔を広く強姦類型に含める立法例は多くありません。多くの国では、日本と同様に行為の本質または相手に関する錯誤のみを強姦の範疇とし(例えばイギリス性犯罪法2003年76条は性的行為の性質や相手を誤認させた場合を「同意なき性交」と推定 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))、恋愛上の身分詐称までは処罰しないのが一般的です。一部にはイスラエルの判例で、民族や独身と偽って性交した事案を「欺瞞によるレイプ」と認定した例も報告されていますが、それは例外的かつ論議を呼んでいます。また、かつては女性の貞操を守る目的で「婚姻の約束を偽って姦淫した罪」を処罰する法律(いわゆる誘姦罪)が存在した国もありましたが、多くは法の濫用や女性差別との批判から廃止されています。日本でも明治期には姦通罪(配偶者の不貞を処罰)がありましたが既に廃止されており、現代の刑法は私人間の性道徳に深入りしない傾向にあります。そのため、独身偽装の処罰化は性犯罪規定の目的をどこまで拡張するかという立法政策上の大きな課題を伴います。
以上より、対象記事の主張は被害者感情に寄り添った実質正義の観点から理解できるものの、刑法学上は是非が分かれる論点です。筆者の論理は「性交への最終的同意は得ていても、その前提を欺いた行為は性的自己決定権の侵害であり処罰に値する」というものですが、それを認めるか否かは「性的自己決定権」をどこまで保護法益として拡大解釈するかに関わります。立法者は現時点で消極であり、その論拠(社会通念上処罰に値しないとの判断 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))にも一定の合理性があります。従って、この点に関する筆者の批判は現行法に対する立法論的な問題提起であり、今後の改正論議で検討すべき課題と言えるでしょう。刑法学的には、詐欺罪等他の法体系との棲み分け、処罰範囲の線引き、処罰の必要性と補充性といった観点から更なる詰めた議論が必要であり、筆者の主張には被害者救済の熱意ゆえの論理の飛躍や詰めの甘さも指摘できます。ただし少なくとも、「独身偽装は社会的に悪質である」という点については概ね同意できるため、刑法でなくとも例えば特別法や民事救済の拡充など何らかの対策を講じる余地はあるかもしれません。筆者の提唱する托卵行為の犯罪化に至っては、婚姻外妊娠という極めて私的な領域への国家介入を伴うため一層議論が必要です。托卵は夫に対する重大な背信行為ではありますが、これを性犯罪(おそらく欺罔性交の一種)として処罰すると、加害者(不貞をした妻および相手男性)と被害者(欺かれ子を育てさせられた夫)という図式になり、刑事司法でどこまで立証・救済できるのか極めて複雑です。筆者は「人生に対する詐欺」と表現していますが (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)、刑法は人生上の不正すべてを裁く万能薬ではないことも忘れてはなりません。この点も含め、筆者の提言は急進的ではあるものの、性と人生の欺瞞行為への問題意識を提起したものとして興味深い論点を含んでいます。
捜査実務上の観点からの分析
改正による捜査・立証への影響
今回の不同意性交等罪の新設により、警察・検察の捜査実務にも変化が生じています。前述のとおり、改正後は従来立件が難しかったケースにも起訴の道が開かれると期待されていますが (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)、これは捜査段階での証拠収集や立証方針にも影響を与えます。旧法下では「暴行・脅迫」の有無や程度が主要な争点となりやすく、被害者に外傷がない場合や明確な拒絶の証拠(例えば「嫌だ」と叫ぶ録音や第三者の目撃)がない場合、立件を見送られる例も少なくありませんでした。改正法では列挙事由が具体化されたことで、捜査官は各事由に該当する証拠を積極的に集める必要があります。
例えば、被害者が酒に酔わされ抵抗できなかった疑いがあれば、飲酒量や防犯カメラ映像、同席者の証言などから酩酊状態を立証することになります(3号 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))。職場上司による性的関係強要であれば、日頃からのパワハラ的言動や人事権の影響を示すメール・録音、同僚の供述などで被害者が不利益を恐れる状況(8号 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))を証明しようとするでしょう。不意の襲撃で拒絶の暇がなかったケース(5号 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))では、犯行状況の詳細な再現や現場検証によってその急迫性を裏付けることが考えられます。また、被害者が極度の恐怖で動けなくなった(6号 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))場合、その心理状態は外見上わかりにくいため、被害者の供述から丁寧に状況を引き出し、「突然の出来事にショックで声も出せなかった」等の具体的描写を記録することが肝要です。捜査官には、各ケースで何が被害者の抵抗を困難にしたのかというポイントを押さえ、それに合致する客観証拠や第三者証言を可能な限り収集することが求められています。
捜査実務上の課題としては、新要件が主観的・心理的要素を含むため立証が難しいケースが依然残ることです。例えば「心理的萎縮(フリーズ)」や「虐待起因の心理反応」といった事由(6号・7号)に該当するか否かは、結局のところ被害者の内心に立ち入る問題です。これを立証する直接証拠は存在しないため、被害者の供述の信用性が極めて重要になります。警察・検察は被害者から当時の詳しい心境を聴取するとともに、できれば心理学の専門知識を取り入れて供述調書を作成するなど工夫が要るでしょう。法務省も改正に際し、捜査官・検察官向けに被害者心理(フリーズ現象等)や障害特性に関する研修を実施するとしています ([PDF] 性犯罪・性暴力対策の強化の方針(概要))。例えば「予想外の事態で人は凍り付くように動けなくなる」という現象は既に広く知られており (性犯罪をめぐる刑法改正について心理職の立場から考えること)、実際に暴行が始まった瞬間に体が硬直して記憶が飛んでしまった被害者の例もあります (焦点:日本で相次ぐ性犯罪の無罪判決、法改正求める切実な声 | ロイター)。こうした専門知見を捜査段階から活用し、「抵抗しなかった=同意したのではない」ことを客観的に示す取調べ記録を残すことが、後の公判での立証を安定させるでしょう。
さらに、公判における立証の安定化という観点も重要です。従来、性犯罪の公判では被害者の証言の一貫性が厳しく問われ、細かな供述のブレがあると「信用できない」と判断され無罪となる場合がありました。筆者(対象記事の執筆弁護士)は別の記事で「公開の法廷で行われる証人尋問という制度自体、性被害者の供述吟味に適切か疑問がある」と述べています (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。性犯罪被害者の記憶はトラウマの影響で変容・断片化しやすく、時間経過や厳しい追及によって供述が変遷し矛盾が生じることも少なくないといいます (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所) (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。実務では、捜査段階での裏付け捜査が不十分で客観証拠に乏しいと、結局は法廷で被害者の証言の信用性が争点化し、弁護側から執拗な反対尋問を受けることになります (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。そうなると被害者は萎縮や混乱から言い間違いをしたり記憶が曖昧になったりし、結果的に裁判官に疑念を抱かれるリスクが高まります (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。このように、捜査段階でいかに被害事実を丁寧に立証しておくかが公判の成否を左右します。改正後は構成要件が細分化された分、それぞれについて事前に証拠を揃え、被害者供述を補強できれば、公判での不必要な争点化を避けられる可能性があります。例えば、被害者が「上司に逆らえず拒めなかった」と供述している場合、上司の支配的言動を示すメールや他社員の証言があれば、法廷で長時間それを問いたださずとも事実認定がしやすくなるでしょう。捜査実務においては、被害者の心理状態を裏付ける客観証拠の発掘という新たな課題に直面しています。
なお、改正法は配偶者間の性交でも性犯罪が成立しうることを明示しました(176条・177条ともに「婚姻関係の有無にかかわらず」と規定 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所))。これは従来誤解されがちだった「夫婦間レイプは罪にならない」という俗説を払拭するためですが (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら)、実務的にも今後は夫婦間や内縁カップル間の性暴力事案にも積極的に介入していく姿勢が期待されます。夫婦間のケースでは証拠が当事者の供述に限られ更に困難ですが、警察は周辺証拠(例えばDVの通報履歴や怪我の診断書等)を収集し、検察も起訴をためらわない運用が望まれるでしょう。改正により、公訴時効も不同意性交等罪で15年に延長され (【改正刑法成立】不同意性交等罪を含む性犯罪規定の改正)、被害から長期間経ても訴追可能となりました。これも捜査実務上は重要で、幼少期被害など時間を要して告発するケースで追跡捜査が可能となっています。ただし時効延長は裏を返せば古い事件の立証の難しさも意味するため、当局には被害申告があれば迅速に動き、証拠散逸を防ぐ努力が求められます。
「独身偽装」等欺罔事案への実務対応
現行法では独身偽装による性交は直接の刑事罰対象ではないため、警察が被害相談を受けても「法律上犯罪ではない」と判断せざるを得ません。被害者にとっては納得し難い対応ですが、このようなケースでは代替手段として民事上の救済(不法行為による慰謝料請求)が案内されるのが実務の現状でしょう。もっとも、民事訴訟のハードルや賠償額の低さもあって泣き寝入りする被害者は多いと想像されます。もし将来、独身偽装が刑事処罰の対象となれば、捜査機関は新たな類型の事件を扱うことになります。その際の実務上のポイントを考えてみます。
証拠面では、独身偽装を立証するには「加害者が既婚者である事実」と「被害者に独身と信じさせていた事実」の双方を証明する必要があります。前者は戸籍など公的記録で明らかにできますが、後者は当事者間のやりとりの証拠が求められます。典型的にはメールやSNSのメッセージで「自分は独身だ」と述べていた証拠、あるいは第三者に独身と紹介していた証言などが考えられます。口頭での欺瞞しかない場合は立証が格段に難しくなり、「言った/言わない」の水掛け論となるでしょう。捜査段階で容疑者が素直に「妻子がいるのを隠していた」と自白すれば立件しやすいですが、そのような明白な自白が得られるとは限りません。むしろ容疑者は「結婚の話題は出なかった」「独身だと誤解したのは相手の勝手」などと弁解する可能性が高く、立証責任は重いものになります。
取調べの観点では、欺罔行為を認めさせるために巧みな質問技術が必要でしょう。「いつ結婚したのか」「配偶者とは別居していたのか」「なぜ独身と装ったのか」といった点を突き、矛盾を引き出す取調べが考えられます。例えばデート中の支出履歴(クレジットカード明細)や位置情報から家族との生活実態を示し、「この日は自宅に帰っているが、被害者には一人暮らしと言っていたのではないか」といった追及が有効かもしれません。欺瞞目的を立証するため、故意の認定にも注意が必要です。加害者が「既婚であることを隠す意図」を否認した場合、「黙っていただけで嘘はついていない」という反論も予想されます。そのため、予め被害者側から「結婚していないんですよね?」と確認した記録が残っているか、あるいは独身であるかのような明示的発言が引き出せるかがポイントとなります。捜査官には、他の事件以上に電子的証拠の確保(LINE等の保存)や早期の事情聴取が求められるでしょう。逆に言えば、この種の犯罪は事後的な立証が難しいからこそ現行法で刑罰を及ぼさなかったとも言えます。実務上、証明困難な犯罪類型を闇雲に創設すると冤罪の危険も伴います。立証の難易度と捜査の負担も、立法判断においては勘案すべき要素です。筆者の主張する独身偽装処罰化には、そうした捜査現場の視点がやや欠けているようにも見受けられます。この点は筆者の提言に対する批判的検討として重要です。
もっとも、独身偽装は証拠さえあれば行為自体の違法性判断は明快とも言えます。強制性交等事件のように「抵抗不能状態だったか」の微妙な評価を要するより、既婚である事実と偽計(欺き)の事実が証明できれば構成要件該当性は明らかでしょう。むしろ問題は「それを犯罪と呼ぶべきか」の法的評価にあるわけですが、もし法改正で犯罪となれば、検察官は悪質な事案から順次起訴を試みるでしょう。例えば多数の女性を次々騙して性的関係を持ち金品も貢がせていたような常習事案であれば、詐欺罪とあわせて立件することも考えられます。さらには配偶者が被害届を出すケース(「自分の妻を騙した男を処罰してほしい」という立場)も出てくるかもしれません。そうなると被害者概念も複雑で、実務的な取り扱い検討事項は増えます。
一方、托卵行為を仮に処罰対象とする場合、捜査実務上はDNA鑑定など科学的証拠が活用されるでしょう。托卵とは、生まれた子が夫の実子でないにも関わらず欺いて養育させる行為ですが、刑事事件化するにはまず子のDNA型と夫・母の型を鑑定し、生物学的親子関係の不存在を証明する必要があります。その上で「母親(妻)がそれを知りながら夫に産ませた」の故意を立証することになります。妻が不貞を否認したり、「自分も本当に夫の子だと思っていた」と主張すれば、故意の立証は極めて困難です。現行でも民事の親子関係訴訟で争われる内容ですが、これを刑事で立証するとなるとハードルは高く、加えて関係者のプライバシー侵害も避けられません。捜査機関が家族の極めて私的な領域に踏み込むことにもなり、捜査権の範囲として適切かという問題もあります。実務家の感覚からすれば、托卵を刑事事件として操作するのは現実的でなく、現場の優先度から見ても疑問が残ります。筆者は理念的主張として述べていますが、もし本気で立法を目指すなら捜査や裁判の具体像まで詰めた議論が必要でしょう。
心理学・被害者学的視点からの分析
被害者の心理:同意の困難とトラウマ
改正法のキーワードである「同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難な状態」は、まさに被害者の心理状態に着目したものであり、心理学的知見と深く関わっています。性犯罪被害者の心理研究によれば、暴行や脅迫を受けた際に人は**「闘争・逃走反応」だけでなく「凍りつき(フリーズ)反応」を示すことが知られています (性犯罪をめぐる刑法改正について心理職の立場から考えること)。これは極度の恐怖に直面した際、自律神経の作用で身体が硬直し、声を出したり抵抗したりできなくなる現象です (性犯罪に関する法改正[先生、ご存知ですか(66)]|Web医事新報) (焦点:日本で相次ぐ性犯罪の無罪判決、法改正求める切実な声 | ロイター)。被害者本人にもその間の記憶が断片化・喪失することがあり、後から振り返って「あの時なぜ何もできなかったのだろう」と自責の念を抱く場合もあります。しかし専門家によれば、これは人間の本能的防衛反応であって被害者の落ち度ではなく、ごく一般的に起こりうるものだとされています (焦点:日本で相次ぐ性犯罪の無罪判決、法改正求める切実な声 | ロイター)。したがって、改正前の法律用語である「抗拒不能」(抵抗不能)という状態は、実際には物理的に押さえ込まれなくても心理的ショックで生じうる**のです。法改正がこの点を考慮し、「予想外の事態による恐怖・驚愕」(176条1項6号)や「虐待に起因する心理的反応」(同7号)を明示的に組み込んだことは、被害者心理の実相に即したものと言えます (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。対象記事の筆者も「現代の日本では明示の拒絶ができない人が多い」と述べ、幼少期からの教育や環境が人々に「NOと言えない」傾向を根付かせていると指摘しています (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。親や周囲に従順であることを求められ、自分の意思を主張する訓練を受けていない若者が多いというのは社会心理学的にも指摘される現象です。たとえば学校や家庭での同調圧力が強い環境では、自らの違和感を表明すること自体に強い抵抗を感じる人間が育ちやすいと言われます (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。こうした人が加害者に目を付けられると、相手のペースに巻き込まれて意に反した性的関係に至ってしまう危険が高まります。筆者が「拒絶できない若年女性・男性を集中的に狙う人が跋扈する」と表現している通り (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)、これは性被害のみならずパワハラ・モラハラなど広く共通する問題です (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。心理学的には、自己主張が苦手な人ほど加害者のターゲットにされやすい傾向があり、被害者側の脆弱性もリスク要因の一つと位置づけられます。無論、被害に遭うことはどんな場合も被害者の責任ではなく、弱みにつけ込む加害者側の非難可能性が問題ですが、この脆弱性の存在を前提に法制度を整備することも重要です。今回の改正はその意味で「意思表示が苦手な人々を保護する」方向に舵を切ったものと評価できます。筆者も「根本的には教育の改善が必要」と述べつつ、当面は法による対応が被害抑止に資すると見ています (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。
被害者の心理面でもう一点重要なのは、性的自己決定権の侵害による深い精神的打撃です。強制わいせつ・強姦被害は被害者の心身に深刻なトラウマを残し、その後の人生に長期的影響を及ぼします (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。近年ようやく司法や社会もその痛みに目を向け始めましたが、性被害者はPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したり、対人関係を築けなくなったり、学業・仕事を中断せざるを得なくなるケースもあります (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。筆者も「性加害が与える苦痛の大きさは被害者本人だけに留まらず、被害者家族や加害者家族にも及ぶ」と述べ、性犯罪が社会全体に深い傷を残すことを強調しています (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。まさにその通りで、例えばレイプ被害者の家族も共に苦しみ、加害者の家族もまた社会的非難に晒されたり葛藤を抱えたりします。性暴力は一個人の問題にとどまらないという視点は、心理的にも社会的にも重視すべき点です。この認識に立てば、独身偽装のように一見「合意の上」の性行為であっても、その裏切り行為が被害者の心に重大なトラウマを残す可能性を軽視すべきではないでしょう。筆者が強調するように、長年信頼して交際した相手に既婚を隠されていた場合、被害者は恋愛観や対人信頼感を深く傷つけられ、場合によっては**「被害者」であるにも関わらず社会から責められる理不尽さに直面します (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。これは一種の心理的虐待とも言え、被害者の自己肯定感や他者信頼を損なう点で広義のトラウマ反応を起こし得ます。そうした被害心理を考慮すると、独身偽装を刑罰で対処したいという筆者の主張にも一定の共感は得られるでしょう。ただし、独身偽装の場合は被害者本人も当初は性的行為自体に同意しているため、典型的な性暴力被害とはトラウマの質が異なることも留意が必要です。多くの場合、独身偽装の事実(相手が既婚だったと判明した瞬間)に強いショックを受けるという事後的な精神的外傷**であり、性的暴行そのものの恐怖とはまた別種の心理ダメージです。この違いに鑑み、独身偽装被害者への心理的ケアや法的救済のあり方は、他の性犯罪被害者とは異なるアプローチも必要かもしれません。例えば、裏切りによる対人不信に陥った被害者に対しては、トラウマカウンセリングだけでなく法律相談や社会的名誉回復の支援(誤解で非難されないようにする等)も重要でしょう。
加害者の心理と再犯リスク
次に、加害者の心理面・再犯性について考察します。対象記事の筆者は別の記事で、性加害者の類型としてサイコパス的傾向を持つ者の危険性を指摘しています (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。具体的には「他人の苦痛に共感せず倫理観が欠如し、平然と嘘をつく」タイプの加害者が一定数おり、彼らは表面的には魅力的に振る舞って周囲を欺くため発見が難しいと述べています (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。このような加害者は、更生プログラムでも施療者を欺いて「もう大丈夫」と思わせてしまうことすら可能で、実際には高い再犯リスクを秘めているといいます (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。独身偽装を常習的に行う人物などは、まさに「呼吸するように嘘をつく」サイコパシー的資質を想起させます。彼らにとって相手を騙すことに良心の呵責はなく、自分の欲望(性欲や自己顕示欲)を満たすために手段を選ばない傾向があります。このような人格傾向を持つ性加害者は、捕まらなければ繰り返し犯行に及ぶ可能性が高いでしょう。再犯防止の観点からは、早期に摘発し対処することが社会の被害抑止に直結します (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所) (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。その意味で、法が「悪質な加害者を取り逃がさない」姿勢を示すことには大きな意義があります。今回の改正はまさに「明示的拒絶ができない人ばかり狙う狡猾な加害者」に対処しようとするもので、再犯常習者への対策とも言えます (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)。一方、独身偽装の処罰化も、そうした嘘つき常習者を摘発しうる枠組みにはなります。しかし前述のとおり証拠の問題などから全件摘発は難しく、実際に処罰できるのはごく一部かもしれません。それでも「嘘で人を弄ぶ性加害は許さない」というメッセージを立法で示すことは、抑止効果や被害者の安心感に繋がる可能性があります。
再犯防止策としては、刑罰だけでなく矯正教育や治療プログラムの充実も重要です。日本でも近年、性犯罪者への再犯防止プログラムが導入され、特に児童性的虐待者には専門的治療が行われています。サイコパス的傾向者には治療効果が薄いとの指摘もありますが、それでも社会復帰後の監督や薬物療法(性的衝動を抑える薬の任意投与など)を組み合わせ、再犯リスクを管理する取り組みが模索されています。心理学の知見を活かし、加害者の思考パターンを変容させる試みは継続すべきでしょう。対象記事の筆者も「なぜ加害に及ぶのかを突き詰めて考え、加害者の心理的傾向を分析することが再犯防止に重要だ」と述べています (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所) (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。独身偽装のようなケースでは、加害者は自らの行為が犯罪でない(法の抜け穴だ)と高をくくっている面もあるでしょう。そういう者に「それは犯罪だ」と突きつけること自体が再犯抑止のインパクトを持つと思われます。もっとも、再犯防止には刑務所出所後のフォローも不可欠であり、ただ刑罰を科すだけでは不十分です。社会内で監視と支援を組み合わせ、加害者が再び人を欺き利用することを抑える仕組み作りが望まれます。
記憶の信頼性と司法手続の課題
最後に、心理学的視点として記憶と供述の信頼性に触れます。前述の通り、性被害の記憶はトラウマによって断片化したり改変されたりする可能性があります (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。専門家によれば、被害時に海馬(記憶中枢)の働きが乱れることで、出来事の順序や詳細が飛び飛びに記録されることがあるといいます (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。そのため、被害者が後に話す内容が一貫しなかったり曖昧な部分が残ったりしても不思議ではありません。しかし法廷では、それが「信用できない証言」と受け取られてしまう危険があります。心理学と法学の接点における大きな課題は、被害者の供述の信用性評価をいかに公平かつ科学的に行うかという点です (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。現在の刑事裁判では、裁判官の常識や経験則に委ねられている部分が大きく、トラウマによる記憶改変などへの理解が十分とは言えません。今後、被害者心理に関する専門家証人の活用や、供述分析に心理学者の知見を取り入れる試みが求められるでしょう。例えば「フリーズ反応で抵抗できなかったこと」「断片的記憶ゆえ供述に変遷があること」を専門家が説明すれば、裁判官も被害者供述を適切に評価しやすくなるはずです。
また、日本の刑事訴訟手続では性被害者も公開法廷で証言しなければならないのが原則で、これ自体が被害者に二次被害的ストレスを与えます (性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング) | 薬院法律事務所)。欧米などでは被害者のプライバシー保護や心理的負担軽減のため、遮蔽措置(スクリーン越しの証言)やビデオリンク証言、時には事前録画証言の採用などが行われています。日本でも刑訴法改正で一部これらが導入・拡充されてきましたが、実務で十分活用されているとは言い難い面があります。心理学的観点からは、被害者が安心して真実を語れる環境を整えることが、供述の正確性・信用性向上につながります。今次改正は主として実体法の改正でしたが、並行して刑事訴訟法上も被害者保護策が議論され、たとえば性的画像記録の提出手続簡素化(被害児童に負担をかけない措置)などが講じられています (性的姿態等撮影罪(未遂)と、迷惑行為防止条例違反(卑わいな …) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意 …)。今後は心理的サポート専門職(臨床心理士等)の捜査・公判への関与や、被害者の記憶を早期に記録保存する仕組み(ビデオ供述の証拠化など)の充実も検討すべきでしょう。それにより、加害者に適正な責任を負わせつつ被害者の心理的負担を軽減する両立が可能になると期待されます。
総じて、心理学的視点から見ると対象記事の主張は、被害者の感じる「理不尽さ」への共感から発しているように思われます。強姦の被害者が「抵抗できなかった自分」を責められるのはおかしい、独身詐欺の被害者が「同意したじゃないか」と言われ責められるのもおかしい――そうした被害者心理に寄り添い、法制度の不備を指摘している点で、筆者の姿勢は被害者支援的とも言えます。ただ一方で、刑事法体系全体との調和や、加害者の処遇の適正さについては深い検討が必要であり、心理的正義と法的正義のバランスを取る視点が重要です。
結論
令和5年の性犯罪規定改正に対する対象記事の意見は、改正の趣旨を高く評価しつつ特定の処罰漏れを問題視するという構造を持っていた。本稿の分析を総括すると、まず刑法学的には、筆者が称賛する改正点(不同意性交等罪の新設と要件明確化)は立法経緯・判例理論から見ても妥当であり、実務上も有意義な改善と評価できる。ただし筆者が主張する独身偽装の刑罰化については、立法者が意図的に除外した経緯 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)にも合理性が認められ、刑法の原理から慎重な検討が必要な課題である。筆者の論拠(被害者の苦痛の深刻さ、加害者の明確な悪質性等)は理解できるものの、刑事立法として実現するには処罰範囲の線引きや他の欺瞞との区別といった論点をクリアせねばならず、現状では根拠づけが十分とはいえない。とはいえ、この提起は今後の議論の出発点として貴重であり、性犯罪の概念をめぐる社会通念が変化すれば将来的に立法が検討される可能性も否定できない。比較法的にも先進国の立法は慎重だが、価値観の多様化に伴い「性的同意の有効要件」に関する議論は深化しつつある。
捜査実務の観点から見ると、改正によって従来グレーだった事案への対応が積極化しているという筆者の指摘 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)は裏付けもうかがえ、これは被害者保護に資する前進といえる。一方、独身偽装など欺罔的性行為の立件には証拠面・手続面のハードルがあり、仮に処罰規定ができても実務運用には慎重さが求められる。筆者の主張には実務的詰めの議論が不足する嫌いがあり、その点は批判的に指摘できる。心理学的分析では、改正法が被害者の心理的現実(フリーズ反応等)を取り込んだ意義を確認するとともに、筆者の提起した問題(「NOと言えない」教育や、欺瞞による被害の深刻さ)が被害者の視点に根差したものであることを評価した。加害者の類型や再犯性に照らせば、悪質な性加害者を法網から漏らさないようにする方策は公共の安全に資するが、その実現手段として刑罰をどこまで拡大するかは社会の合意が必要である。心理的被害の救済と刑事法体系の安定との調和を図ることが重要だろう。
総合的に見ると、対象記事は実務家の経験に基づき改正を讃えつつ、更なる改革を提言したものであり、その主張には一定の論理と根拠が認められる。特に「性犯罪の本質を自由意思の侵害と捉えるべき」という点は学説的にも支持しうる正論であり、現行改正がそれに沿っていることを適切に評価している。ただし「不十分」とする部分の指摘(独身偽装の非処罰)は、現行法の範囲を超える独自の見解であり、学術的レビューとしては賛否両論を紹介し批判的検討を加える必要がある。本稿で行った検討からは、筆者の提案は被害者感情に寄り添うあまり刑法の限界を超えかねない側面も浮かび上がった。一方で、性被害にまつわる社会の意識変革や被害者保護の充実という大きな方向性については、筆者の意見は時宜を得たものであり、立法・司法にとって傾聴に値するだろう。結論として、筆者の主張は全体として論理的整合性と実務上の問題意識を備えたものであり、その妥当性は高く評価できるが、特に欺罔行為の処罰化に関する部分には今後さらなるエビデンスと理論構築が求められる。本レビューが提示した法学・実務・心理の各観点を踏まえ、今後の性犯罪立法の改善に向けた建設的議論が深まることを期待したい。
参考文献・資料(一部):
- 浅沼雄介ほか「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律について」法曹時報76巻1号(2024年)77-78頁 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)
- 志賀文子「不同意わいせつ事件において、わいせつな行為該当性が問題となった事例」『捜査研究』884号(2024年5月)9-19頁 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)
- 宮田桂子「令和5年の性犯罪に関する刑事法改正について」第一東京弁護士会『LIBRA』24巻3号(2024年) (性犯罪関連の令和5年改正の概要 | 司法試験・予備試験対策をするなら | 加藤ゼミナール)
- 白川美也子「性暴力被害者の心理的反応」ロイター通信特集記事(2019年) (焦点:日本で相次ぐ性犯罪の無罪判決、法改正求める切実な声 | ロイター)
- 薬院法律事務所ウェブサイト掲載記事(2024年)「令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不十分と考える理由)」 (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所) (令和5年刑法改正(性犯罪関係)に対する意見(不同意性交・不同意わいせつについて) | 薬院法律事務所)ほか本文中に引用。