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薬院法律事務所

刑事弁護

無免許運転の故意に関する解説(ChatGPT4.5作成)


2025年03月22日刑事弁護

承知しました。実務解説書的なトーンで、無免許運転における故意の成否に関する1万字以上の解説記事を作成します。最高裁判例(平成23年9月27日決定)を中心に、故意の一般理論から無免許運転における具体的な適用、関連判例、学説整理、そしてインターネット上で公開されている評釈(大学リポジトリ、法曹会系サイト等)も調査対象に含めて構成します。

しばらくお時間をいただき、調査結果を元に構成案と本文をまとめてご提供いたします。

無免許運転における故意の成否に関する解説

1. 刑法上の故意の一般論

刑法上、「故意」とは犯罪事実を認識しつつこれを実現しようとする意思を意味します (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan)。日本の刑法第38条1項は「故意がなければ罰しない」と規定し(ただし法律に特別の規定がある場合を除く)ています。したがって、犯罪が成立するためには、原則として構成要件に該当する事実についての認識と、それを実現しようとする意欲(意思)が必要です。この構成要件的故意(犯罪事実に対する故意)がない場合、当該行為者は当該犯罪について責任を負いません。

もっとも、故意の内容に「違法性の認識」(自分の行為が法律に反するとの認識)は含まれないと解されています。刑法38条3項は「法律を知らなかったとしても故意が阻却されることはない」旨を定めており、違法性の意識の欠如は原則として責任阻却事由とならないからです ((軽減画像)無免許運転の25点を完全抹消に成功。 2020年4月4日 | 内村特殊法務事務所、ただいま営業中!)。要するに、自らの行為が犯罪にあたることを知らなくても、それだけで故意が否定されることはなく、犯罪事実(構成要件事実)さえ認識していれば故意は成立しうるというのが通説です。この点は後述の「法律の錯誤」の問題として議論されます。

故意にはいくつかの形態があります。典型的なのは結果の発生を積極的に意図する確定的故意ですが、結果や状況を確実には認識していなくても、「結果が発生するかもしれないが、それでも構わない」と考えて行為する場合も故意に含まれます。これを未必の故意と呼びます。未必の故意とは、自らの行為によって犯罪事実が発生する可能性を認識しつつ、結果発生を容認している精神状態を指します (未必の故意(ミヒツノコイ)とは? 意味や使い方 – コトバンク)。例えば殺人でいえば「死んでも構わない」と思っている場合が未必の故意に当たり、結果発生の可能性を認識しながら敢えて行為に及ぶ点で、結果発生を全く予見しない過失や、結果発生を予見しつつ「起こらないだろう」と楽観視する認識ある過失(いわゆる意識的過失)と区別されます (未必の故意(ミヒツノコイ)とは? 意味や使い方 – コトバンク)。判例・通説によれば、結果発生の可能性を認識しこれを容認していたかどうかが未必の故意と認識ある過失との境界基準とされています。

故意の有無は主観的な心理状態に関わるため、その認定は事後的には証拠に基づく推認に頼らざるをえません。特に「未必の故意」が問題となる場面では、被告人が結果や事実の可能性をどの程度予見・認識していたのか、そしてそれを容認していたといえるかが争点となります。裁判実務では、行為の態様や経緯から見て「結果発生を危惧しながら敢えて行為に及んだ」と評価できる場合には未必の故意が認定され、逆に「結果発生の可能性を認識していたものの、起こらないと高を括っていた」と認められる場合には過失と判断される傾向にあります。以上が刑法全般における故意論の基本的な枠組みです。

2. 無免許運転における故意の一般的枠組み

道路交通法が禁止する無免許運転(道交法64条)は、公安委員会の運転免許を受けずに自動車等を運転する行為を指します (無免許運転(うっかり失効) | 弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所)。ここでいう「無免許」には、初めから免許を持っていない場合だけでなく、運転免許の停止期間中に運転した場合や、免許が失効(有効期限切れ)した後に運転した場合、免許取消し処分を受けた後に運転した場合なども含まれます (無免許運転(うっかり失効) | 弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所)。したがって、形式的には有効な運転免許がない状態で車両を運転すれば構成要件に該当します。ただし、これも刑事罰である以上、故意がなければ処罰されません。

無免許運転罪における故意とは、「自分が運転免許を有していない(または運転する資格がない)状態で運転している」という事実の認識を意味します。言い換えれば、運転者が自らの免許の無効状態(未取得・取消し・停止中・失効など)を認識しつつ運転している場合に故意が認められます (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan)。典型的には、免許を持っていないことを知りつつ運転したり、免許取消処分を受けたことを認識しながら運転する行為は、当然に故意による無免許運転罪が成立します。

問題は、運転者本人が「自分には運転資格がない」という事実を認識していなかった場合です。例えば、免許の更新忘れ(いわゆる「うっかり失効」)のケースでは、本人は有効期限が切れて失効していることに気付かずに運転していることがあります (免許の更新を忘れて無免許運転をしてしまったらどんな罪になるのか? – 須賀法律事務所)。このような場合、本人に「免許が無効である」という事実の認識がないため、法律上の評価としては事実の錯誤が成立し、故意が不存在となり得ます。実際、裁判で運転者が「うっかり失効」であると認められた場合には、無免許運転の罪について無罪となるとされています (免許の更新を忘れて無免許運転をしてしまったらどんな罪になるのか? – 須賀法律事務所)。これは、免許失効の事実を知らずに運転したのであれば、犯罪事実の認識がなく故意が認められないからです。

他方で、免許の有効性に疑いを抱きつつ運転した場合には、未必の故意が問題となります。例えば、「免許の有効期限が過ぎているかもしれないが少しなら大丈夫だろう」と半ば認識しながら運転するケースでは、期限切れの可能性を認識しつつ運転を継続した点で故意責任が問われ得ます。このように免許の無効の可能性を認識しつつ敢えて運転を続けた場合には、結果を容認していたと評価されれば未必の故意による無免許運転が成立します。もっとも、運転者が「大丈夫だろう」と高を括っていた程度で、違反の発生を心から避けようとしていたような場合には、認識ある過失にとどまり故意は否定される可能性もあります。未必の故意と過失の線引きは微妙ですが、運転者の認識内容(可能性の認識と容認の有無)によって区別されます。

無免許運転の故意の有無を判断する上では、運転者が免許の失効・取消し・停止等に関する通知や情報を受け取っていたか、その内容を理解していたかが重要な事実となります。例えば、免許更新のハガキが届いていたのに放置していた場合、免許失効の可能性を認識していたと推認されるでしょうし、免許取消処分の告知を受けながら運転を続ければ明白に故意が認められます。逆に、何ら通知を受け取っておらず失効に全く気付く契機がなかった場合には、故意の立証は困難です。この点に関連して、運転者には自分の免許状態を確認する注意義務もありますが、注意を怠った結果として免許が無効になっていることに気付かなかっただけの場合、それは過失にすぎず、故意犯である無免許運転罪の成立には直結しません ((軽減画像)無免許運転の25点を完全抹消に成功。 2020年4月4日 | 内村特殊法務事務所、ただいま営業中!)。実務上も、単に有効期限を失念していただけのケースでは「悪質性も危険性も低い過失的なもの」と評価され、刑事処分が見送られたり不起訴処分とされることも少なくありません ((軽減画像)無免許運転の25点を完全抹消に成功。 2020年4月4日 | 内村特殊法務事務所、ただいま営業中!)。要するに、免許の無効状態についての認識の有無が故意の成否を分けるポイントであり、運転者の主観的認識が細かく吟味されるのが無免許運転事案の特徴です。

もっとも、免許の有効性に関する誤解のうち、法律の規定を誤解していた場合には注意が必要です。例えば「この程度の事情なら法律上運転しても許されるだろう」と誤った法知識に基づき運転していた場合、それは法律の錯誤(刑法38条3項の問題)として整理されます。法律の錯誤は原則として故意を阻却しませんから、誤った法解釈に基づいて無免許運転に及んでも、原則として故意は存続します。ただし、その法律の錯誤が「避け難いものであった」ならば例外的に責任が問われない可能性があります(※刑法38条3項但書の適用)。しかし現実には、免許制度に関する誤解が「避け難い」ほどやむを得ない事情によると認められることは極めてまれです。したがって、「運転しても大丈夫だと思った」「法律を知らなかった」という弁解のみで故意を否定することは困難であり、安易な法無知は許されないのが実務の運用といえます ((軽減画像)無免許運転の25点を完全抹消に成功。 2020年4月4日 | 内村特殊法務事務所、ただいま営業中!)。

以上の一般論を踏まえ、次に無免許運転の故意が争点となった代表的な判例を検討します。

3. 最高裁平成18年2月27日決定の事案・判断・意義

事案の概要

無免許運転の故意に関する代表的判例として、最高裁平成18年2月27日第三小法廷決定 (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan) (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan)があります。この事件の被告人Aは、普通自動車免許しか所持していないにもかかわらず、会社の業務で大型車両を運転したとして起訴されました (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)。問題となった車両は、当初は乗車定員15名のマイクロバス(大型自動車に該当)でしたが、会社で後部座席6人分を取り外して実際には9人乗り程度に改造されていました () ()。被告人はこの改造車両を「定員が減っているから普通自動車だろう」と考え、「人を乗せなければ普通免許で運転しても大丈夫だ」と上司に言われたので問題ないと思っていたと供述しています (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)。また、車両に備え付けの自動車検査証を見た際に種別欄に「普通」と記載されていたこと等もあり、普通免許で運転可能と信じて運転していたのです ()。

この事案では、形式上は被告人Aは大型自動車を無資格で運転したことになります。道路交通法上、「大型自動車」とは「車両総重量8トン以上、最大積載量5トン以上、又は乗車定員11人以上」の自動車を指し (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)、本件車両は改造されていたとはいえ車検証上は乗車定員15名のままであったため、法律上は大型自動車に該当していました (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)。一方、被告人が持っていた普通免許では乗車定員10人以下の普通自動車までしか運転できません。したがって、車両が法律上大型自動車に当たるなら無免許運転罪が成立し、普通自動車にとどまるなら違法ではないという構図であり (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)、まず車両の法的区分が争点となりました。

裁判所の判断理由

最高裁判所の判断は二段階にわたります。第一に、本件車両が道路交通法上大型自動車に該当することを明確にしました。裁判所は「乗車定員が11人以上である大型自動車の座席の一部を取り外して現存する席を10人分以下にしていても、乗車定員の変更について正式な手続きを経ていない以上、当該自動車はなお道路交通法上の大型自動車に当たる」と判示しています (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)。つまり、物理的に座席数を減らしても所定の変更登録をしない限り法的区分は変わらないということです。この判断により、被告人Aの運転していた車両は法律上大型自動車であり、普通免許しか持たないAは客観的に無免許運転の構成要件に該当することが確認されました。

第二の争点は、被告人に無免許運転の故意があったか否かです。前述のとおり、被告人Aは「普通免許で運転しても大丈夫だと思い込んでいた」と主張しており、一見すると免許の資格要件に関する認識を欠いていたようにも思われます。これに対し、最高裁は被告人の認識内容や状況を詳細に検討した上で、無免許運転の故意を肯定しました。その理由は判決文中で明確に示されています。

「被告人が運転していた車両の席の状況を認識しながら、これを普通自動車免許で運転していた被告人には、無免許運転の故意を認めることができる」 (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)

この一文に裁判所の判断が集約されています。すなわち、被告人Aは車両の座席が一部撤去されている状況という事実は認識していたにもかかわらず、それを普通免許で運転していた点に注目し、そのような事実関係の下では無免許運転の故意が認められるというのです (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan)。判示事項でも「座席を取り外していた大型自動車を普通免許で運転しても許されると思い込んで運転した者が、当該座席状況を認識していたなどの事実関係の下では、無免許運転の故意が認められた事例」と要約されています (裁判例結果詳細 | 裁判所 – Courts in Japan)。

裁判所の論理を補足すると、被告人Aは確かに「自分の行為が無免許運転にあたるとは思っていなかった」ものの、それは法律の解釈の誤り(法律の錯誤)に過ぎないと評価されました。Aは、本件車両の改造状況や車検証の記載を知りつつ、「人を乗せなければ大丈夫」「車検証の種別が『普通』だから平気だ」という自己判断をしていました。しかしこれは道路交通法の専門知識に照らせば誤った認識です。つまり、必要な事実(車両の定員や改造状況)は把握していたものの、それに伴う法的評価を誤っただけであり、構成要件事実に関する事実の認識自体は欠けていないという位置づけです。刑法上、構成要件事実の認識に錯誤がない以上、故意は阻却されません。他方、その誤認は法律上の許可要件に関するものであるため刑法38条3項の問題、すなわち法律の錯誤として扱われます。裁判所は、被告人の「許されると思った」との主張は法律の錯誤であって、「避け難い事情があったとは言えない以上、故意を阻却する理由にはならない」と判断したものと解されます ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE)。判例評釈でも「本判例の見解は、事実の錯誤と法律の錯誤の区別、および後者に関する刑法38条3項の解釈としても自然なものである」と評価されています ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE)。

以上のように最高裁は、被告人Aには無免許運転の故意が認められるとして上告を棄却しました ()(結果として有罪確定)。その判断のポイントは、「事実の認識はあるが法規の認識を誤ったにすぎない」場合には故意が阻却されないことを具体的に示した点にあります。被告人にとってみれば「違反になるとは思わなかった」という主観でも、法的にはそれは許されない思い込みであったというわけです。

法的意義と下級審への影響

この最高裁決定の法的意義は、無免許運転における故意の判断基準を明確化したことにあります。すなわち、免許制度違反について被告人が誤解を抱いていた場合でも、それが法律上の要件に関する誤解であれば原則として故意責任を免れないことを示しました。本件は一見複雑な事案(座席改造という特殊事情)でしたが、その本質は「許可(免許)の有無に関する認識」をどう評価するかという一般論に通じます。最高裁は明確に法律の錯誤として処理し、事実の認識がある以上は故意を認めるという立場を打ち出したため、以後の同種事案の判断に指針を与えたといえます。

下級審(高裁・地裁)はこの最高裁判断を踏まえ、無免許運転事案で被告人が「知らなかった」「勘違いしていた」と主張する場合、その主張内容が事実の錯誤に当たるのか、法律の錯誤にとどまるのかを厳密に判断するようになったと考えられます。例えば、免許失効に気づかなかったケースでは純粋な事実の錯誤として故意が否定されうる一方、「(法律上は必要な)特定種別の免許が不要だと思った」ケースでは法律の錯誤として故意は維持される方向です。本最高裁決定は下級審においてもしばしば引用され、無免許運転のみならず他の無許可営業や無資格業務の事案でも、事実認識の有無と法規誤認の区別を検討する判示が増えています。

さらに本決定は、運転免許行政と刑事責任の接点に関する重要なメッセージも含んでいます。それは、運転者自身が免許条件や有効性を正しく把握しておく責任の重さを示す点です。免許制度は複雑化しており、普通・準中型・中型・大型と細かく区分されていますが、自らの保有免許で運転できる範囲を誤れば刑事責任を問われ得るという厳格な姿勢を最高裁が示したことで、運転者や企業にも注意喚起となりました。下級審でも、「免許制度について無知・錯誤であったとの弁解は安易に容れられない」とする傾向が強まったと考えられます。もっとも一方で、明らかに誤解が避けられないような特段の事情がある場合(例:行政機関の説明ミス等)には、依然として被告人の有利に考慮される余地も残されていますが、そのハードルは高いといえるでしょう。

4. 他の関連判例との比較

無免許運転の故意と過失の境界については、他の判例でも論じられています。まず、本件と対照的なケースとして、免許の「うっかり失効」事案があります。例えば、免許更新を失念したまま運転し、警察の検問で初めて失効に気付いたという事案では、前述のように故意が否定され無罪となる可能性があります (免許の更新を忘れて無免許運転をしてしまったらどんな罪になるのか? – 須賀法律事務所)。実際、ある地裁判決でも被告人が免許失効を全く認識していなかったことが認定され、故意の欠如を理由に無免許運転について無罪とした例が報告されています(更新忘れによる免許失効事案)。このようなケースでは、「免許の有効期限が切れているとの認識がなかった」という事実の錯誤が核心であり、まさに刑法38条1項・2項に基づき故意を欠くと判断されます。

一方で、免許停止期間中の運転に関する事例では、裁判所が故意を認めたケースが見られます。例えば、過去に免許停止処分を受けていた被告人が「もう停止期間は終わったと思っていた」と主張した事案において、実際には停止期間が明けておらず無免許運転に問われたケースがあります。この場合、被告人が停止期間を正確に把握していなかった点が問題となりますが、通知書などで停止期間を了知していたにもかかわらず単に勘違いしていたのであれば、期間満了の事実についての錯誤(事実の錯誤)とも評価し得ます。しかし裁判例によっては、「被告人は停止期間が明けていない可能性を認識し得たのに怠慢で確認せず運転した」として、未必の故意を認定した例もあります。すなわち、免許停止に関する注意義務違反が著しい場合には、「可能性の認識」が推認され、故意ありとされる場合があるのです。

また、本件最高裁決定と類似の論点として、他の無許可・無資格犯の判例があります。例えば、公衆浴場法の無許可営業の事案で、被告人が営業に許可が必要であることを認識していなかったために無罪となったケースが報告されています ([PDF] 「無許可」の故意について)。この事案では一審が「被告人は許可が必要との認識を欠いていたから故意がない」と無罪判決を言い渡し、控訴審で覆るという経過を辿りました。最終的に最高裁も「許可制度自体を知らなかった」という事情を重視して故意を否定しています。これは法律の錯誤が避け難いと評価された珍しい例といえます。無免許運転事案との比較では、運転免許制度は一般にも広く知られているのに対し、特殊な業法上の許可要件は認知度が低いことが背景事情として考慮されうる点で異なります。すなわち、「知らなかった」こと自体がやむを得ないと評価されるハードルが事案によって異なり、無免許運転のような一般的制度に関する誤解は基本的に許されにくいのに対し、特殊な制度では例外的に認められる可能性があるということです。

さらに道路交通法関連では、私有地内での運転に関する判例も参考になります。道路交通法の規制は「道路(法定の道路)」上の運転に適用されますが、被告人が「ここは道路ではない(私有地だから道路法上の道路に該当しない)と思った」と主張したケースがあります。これは場所的適用範囲に関する認識の錯誤ですが、判例では事実関係上その場所が一般交通の用に供する道路に該当すれば、被告人の認識がどうあれ道交法の適用を受けるとしています (私有地における無免許運転 – 新銀座法律事務所)。もっとも、その認識次第では故意の有無に影響します。例えば、被告人が本気で「完全にクローズドな私有地内」と思っていたなら無免許運転の構成要件自体が充足しないか、故意が否定される余地がありますが、実際には開放道路同然の場所であった場合には「道路であることの認識は十分あった」とされるでしょう。このように、周辺領域の判例でも構成要件該当事実の認識が故意の有無を左右する点は一貫しています。

以上の比較から明らかになるのは、無免許運転罪に限らず許可・資格に関する犯罪の故意は、「必要な許可等が欠けている事実の認識」をどのように評価するかにかかっているということです。本件最高裁決定はその中でも厳格な立場を示した判例であり、以後の裁判実務において同種事案の判断基準として機能しています。

5. 判例評釈・学説による解説

この最高裁決定については、刑法学者や実務家から様々な評釈・解説がなされています。判例評釈の中でも著名なのは、星周一郎氏による論考「無免許運転罪の故意」(信州大学法学論集第12号)です。星氏は本決定を詳細に分析し、事実の錯誤と法律の錯誤の区別という観点から妥当性を論じています。その中で星氏は、「本件判例の立場は、事実の錯誤と法律の錯誤の区別、および刑法38条3項の解釈として極めて自然である」と評価しつつ、一方で「事実と法律の錯誤を形式的に峻別することの限界」にも言及しています ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE) ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE)。具体的には、免許の区分や有効性に関する誤認が、純粋な事実の錯誤なのか評価的な法律の錯誤なのか判別しづらい場合もありうることを指摘し、重要なのは**「当該事案で被告人に故意責任を問うべきか」という実質的判断**であると論じています ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE)。星氏の評釈は、本決定が示した基準を支持しつつも、その適用にあたって機械的になりすぎないよう釘を刺す内容となっています。

大学紀要や法律雑誌にも本判例の解説が掲載されています。例えば、鹿児島大学法学論集には本件を含む「無許可・無免許の故意」に関する研究があり、そこで香城敏麿氏は他の事例(公衆浴場無許可営業事件など)も引き合いに出しながら、本決定の位置づけを議論しています ([PDF] 「無許可」の故意について)。香城氏は、公衆浴場無許可営業で故意が否定された事例と本件を比較し、規制の周知度や被告人の認識状況の違いが結論の差異を生んだと分析しています。すなわち、運転免許制度は誰もが知る一般的制度であるため「知らなかった」は通りにくいが、特殊な許可制度では「本当に知らなかった」場合に故意を否定する余地があるという指摘です。このような評釈は、判例の結論を個別事情に照らして評価しており、実務家にとっても事案対応のヒントになります。

また、ブログや法律サイトでも実務的観点からの解説が見られます。弁護士有志による解説ブログでは、「名古屋の無免許運転事件」と題して本件判例を平易に紹介し、争点と裁判所の判断を整理しています (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ) (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ)。その中では「知らなかったでは済まされないのが無免許運転である」との表現で、本件判例の趣旨を端的に伝えています。さらに、違反者講習などの実務に携わる専門家のサイトでは、「有効期限切れに気付かず運転してしまった場合などは処罰されないことも多い。これは故意ではなく悪質性も低いからだ」といった実務経験に基づくコメントも掲載されており ((軽減画像)無免許運転の25点を完全抹消に成功。 2020年4月4日 | 内村特殊法務事務所、ただいま営業中!)、本件のように争いになった場合と、捜査段階で不起訴等に処理される場合の分水嶺について示唆しています。

判例評釈や解説の総じて言うところは、本件最高裁決定は妥当な結論であり、故意の成否判断における基本的枠組みを再確認させるものだという点です。同時に、「では具体的な事案でどのように主張立証すべきか」という実務上の問題にも言及が及んでいます。次項では、それら学説・解説を踏まえ、実務で本件判例をどのように活用できるかを検討します。

6. 学説上の通説・有力説と最高裁判断の整合性

学説上、無免許運転に限らず故意責任の本質については様々な議論がありますが、本件最高裁判断は基本的に通説的見解に沿うものと評価できます。通説は前述のように、構成要件事実の認識があれば故意ありとし、法律の錯誤は原則として故意を阻却しないと解しています。最高裁はまさにこの立場に立ち、被告人の誤認を法律の錯誤として処理しました ([PDF] 無免許運転罪の故意 – CORE)。したがって、判例と通説の間に大きな齟齬はありません。

もっとも、学説の中には故意責任を問うためには**「社会的違法性の認識」も要件とすべきだとか、故意と過失を段階的に連続した概念と捉える見解もあります。しかし日本の判例・通説は一貫して、犯罪の成立には構成要件該当事実の認識(=構成要件的故意)があれば足り、行為者が違法だと認識していたか否かは原則問題にしない立場です。学説上有力とされる見解も、本件のような行政刑法的な犯罪について特別扱いを主張するものは少なく、むしろ一般的な故意概念の貫徹**を支持しています。「免許が必要との認識がなかった」という弁解を安易に認めては法の遵守を害するおそれもあり、規範的観点からも本件最高裁の厳格な態度は是認しうるというのが大勢の評価です。

ただし、学説の中では事実の錯誤と法律の錯誤の境界に関する微妙な問題提起もなされています。本件の被告人Aは「座席を外したら普通車になる」と信じていたわけですが、これは「座席を外した車両は普通車である」という一種の事実評価の誤りとも言えます。学説上、「規範の錯誤が事実の錯誤の形式を取る場合」について議論があり、評価を伴う事実認識の錯誤をどちらに分類すべきかについて見解が分かれることがあります。本件では最高裁は明示的に言及していないものの、おそらく**「乗車定員変更の未届」という客観的事実に被告人が注意を払わなかっただけ**で、これは事実の認識欠如ではなく注意義務違反にすぎない=故意は維持、という整理でしょう。この点について、一部の学者は「構成要件該当性を判断する前提となる事実認識の錯誤は最終的に事実の錯誤として故意を阻却しうる」と主張することもありますが、少なくとも本件判例の射程においては支持されなかったといえます。学説上の細部の議論はあるものの、本件判例は通説に沿った故意概念の適用であり、大枠で学説の支持を得ています。

むしろ学説が注目するのは、**38条3項ただし書(法律の錯誤が避け難い場合)**の適用可能性です。通説的見解では「避け難い法律の錯誤」が認められるのは極めて限定的で、例えば行政官庁から誤った確約を得ていた場合などに限られると解されます。本件Aは上司から誤った助言を受けていましたが、所詮私的な上司の言であり公的権威はありません。この程度では避け難い錯誤とはいえず、有罪は妥当です。学説上も、この判断に異論は少ないでしょう。ただ、仮にこれが運転免許試験場など公的機関の職員から誤った説明を受けて信じていたような場合には、避け難い錯誤の余地があり得ます。そうした例外的場面については学説上も検討があり、誤った公的情報に依存した場合に責任阻却を認めるべきか議論が続いています。この点は本件判例では問題となりませんでしたが、将来的に類似ケースが争われれば新たな判例が示される可能性があります。

総じて、本件最高裁決定は学説の通説と整合的であり、特に刑法基本理論を揺るがすようなものではありませんでした。むしろ学説も本件を契機に具体的事案での適用上の問題(事実・法律錯誤の区別や法律錯誤の避け難さの基準等)に議論を深めており、実務と理論の架橋が図られています。

7. 実務的含意:弁護方針と故意否定の主張・立証

無免許運転における故意の成否は、実務上、被告人側・弁護人にとって重要な争点となり得ます。本件判例を踏まえて、弁護方針や主張・立証上の留意点を整理すると次のようになります。

最後に、実務家として押さえておきたいのは、本件最高裁判例が示すように**「免許に関する思い違い」は基本的に通用しない**という大前提です。弁護人は依頼者に対し、この厳しい現実を十分説明し、軽率に無免許状態で運転しないよう啓発する責務も負っています。とりわけ業務で車両を使用する企業ドライバー等には、社内教育の中で本件判例の趣旨(制度の誤解による違反も故意犯として処罰されること (名古屋の無免許運転事件 上告の弁護士 | 交通事故・交通違反でお困りの方は無料法律相談が対応可能な弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所へ))を伝達し、免許確認の徹底や運転資格管理を促すことが望まれます。

以上、無免許運転における故意の成否について、基本的な刑法理論から具体的判例、学説の議論、そして実務上の示唆までを解説しました。運転免許証の管理と自己の運転資格の把握は運転者の基本的責任であり、それを怠った場合の法的リスクは決して小さくありません。法律実務家にとっては、本稿で取り上げた最高裁判例をはじめ関連する判例・学説を十分に踏まえた上で、各事案に応じた適切な弁護戦略・判断基準を構築していくことが肝要と言えるでしょう。