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薬院法律事務所

刑事弁護

福岡地判令和5年10月27日――道路交通法上の報告義務違反について可罰的違法性を否定した珍しい裁判例


2026年06月02日刑事弁護

※本記事は、福岡地方裁判所令和5年10月27日判決を題材に、交通事故後の報告義務違反について解説するものです。

1 はじめに

交通事故を起こした場合、運転者は、道路交通法72条1項に基づき、直ちに車両を停止し、負傷者の救護、道路上の危険防止措置、警察官への報告をしなければなりません。

このうち、警察官への報告義務については、物損事故であっても、損壊の程度が軽微であっても、原則として報告義務が生じると解されています。

そのため、交通事故後に警察へ報告しなかった場合、実務上は、道路交通法上の報告義務違反が成立するとされることが多いです。

もっとも、福岡地方裁判所令和5年10月27日判決は、報告義務違反について、形式的な構成要件該当性は認めながらも、具体的事情のもとで「可罰的違法性」がないとして無罪を言い渡しました。

道路交通法上の報告義務違反について、可罰的違法性の観点から処罰を否定した珍しい裁判例です。

ただし、本判決を「軽微な事故なら警察に報告しなくてもよい」と読むべきではありません。むしろ、本判決は、報告義務自体はかなり広く認めたうえで、極めて例外的な事情のもとで、刑罰を科すほどの実質的違法性がないと判断したものです。

2 事案の概要

本件は、普通乗用自動車を運転していた被告人が、信号機により交通整理の行われている交差点を右折しようとしたところ、対向方向から進行してきた普通自動二輪車と接触したという事案です。

事故により、普通自動二輪車の運転者は、右足の指を骨折するなどの傷害を負いました。

当初、被告人は、過失運転致傷及び道路交通法違反で略式起訴され、福岡簡易裁判所で罰金30万円の略式命令を受けました。

しかし、被告人は正式裁判を請求し、過失運転致傷については事故態様及び過失を争い、道路交通法違反については報告義務違反の可罰的違法性を争いました。

その後、補充捜査により、被告人車両が交差点内で右折待ちをしていた後、対向車線の信号が赤色に変わり、被害者側の普通自動二輪車は赤色信号であるにもかかわらず交差点内に進入していたことが明らかになりました。

この点は、本判決全体を理解するうえで非常に重要です。

つまり、当初の略式起訴時点では、事故態様の前提が十分に整理されていなかった可能性があり、正式裁判請求後の補充捜査によって、被害者側の赤信号進入という重要事情が明らかになったのです。

3 過失運転致傷についての判断

裁判所は、まず過失運転致傷について、被告人の過失を否定しました。

被告人は、青信号で交差点内に進入し、右折待ちをしていました。その後、対向車線の信号が赤色に変わり、対向直進車両が減速して停止しようとしている状況を確認して、もはや赤信号を無視して交差点に進入してくる車両はないと判断し、右折を開始しました。

他方、普通自動二輪車は、赤信号に変わった後、停止線手前を進行し、先行車両を追い抜く形で交差点内に進入しました。

このような状況について、裁判所は、被告人において、赤信号に従わず交差点内に進入してくる対向車両があることまで予見すべき注意義務はないと判断しました。

交通事故事件では、結果から逆算して「もっと確認すべきだった」と言われることがあります。

しかし、本判決は、交通整理の行われている交差点において、相手方が赤信号を無視して、停止しようとしている先行車両を追い越して交差点内に進入してくるという異常な行動まで、当然に予見すべきとはいえないと判断したものです。

この部分は、信頼の原則の適用場面としても重要です。

4 報告義務違反についての問題

本件で特に珍しいのは、道路交通法72条1項後段の報告義務違反についての判断です。

本件事故後、被告人は、直ちに警察官に事故を報告しませんでした。

この点について、被告人側は、具体的事実関係に照らせば、報告義務違反について可罰的違法性がないと主張しました。

裁判所は、まず、被告人が報告義務を形式的に負っていたこと自体は認めています。

すなわち、事故によって生じた結果が軽微であり、道路上の交通にも支障を来していないと思われる場合であっても、道路交通法72条1項後段の報告義務を免れるものではないとしています。

この点は重要です。

本判決は、「軽微な事故なら報告義務はない」と判断したわけではありません。

むしろ、被告人が事故の発生を認識していた以上、被告人が認識していたのが自車の極めて軽微な損傷だけであったとしても、形式的には報告義務を負っていたと判断しています。

そのうえで、本件では、形式的には報告義務違反の構成要件に該当するものの、刑罰を科すほどの可罰的違法性があるかが問題になりました。

5 裁判所が重視した事情

裁判所は、次のような事情を重視して、報告義務違反について可罰的違法性を否定しました。

⑴ 被告人は、被害者の負傷を認識していなかった

本件事故により、普通自動二輪車の運転者は骨折等の傷害を負っていました。

しかし、裁判所は、被告人が、事故当時、被害者の負傷の事実を認識していなかったと評価しています。

本件事故では、普通自動二輪車は転倒していませんでした。事故後、被告人と被害者はそれぞれ車両を移動させ、路上で約1分間会話をしました。その後、被害者は警察へ通報することなく、自分で普通自動二輪車を運転して現場を立ち去りました。

このような事情からすれば、被告人が被害者の負傷を認識していなかったことには相応の理由があると考えられます。

⑵ 被告人は、相手方車両の損壊も認識していなかった

本件では、普通自動二輪車にもブレーキペダルの曲損等が生じていました。

しかし、裁判所は、被告人が相手方車両の損壊を未必的にも認識していなかったと認定しました。

その理由として、裁判所は、事故態様が同一方向を向いた2台の車両の側面同士の接触であったこと、普通自動二輪車が転倒していなかったこと、各車両の損傷の程度が軽微であったこと、事故が夜間に発生していたこと、損傷部分が外見上はっきり見分けられるものではなかったことを挙げています。

さらに、事故後の会話の中で、被害者自身も自車の損壊について言及しておらず、その後、自車を運転して現場を立ち去っています。

このような事情のもとでは、被告人が相手方車両に損壊が生じていないと考えたとしても無理はないと判断されました。

⑶ 被告人が認識していたのは、自車の極めて軽微な損傷だけだった

裁判所は、被告人が認識していた事故結果は、自車に生じた極めて軽微な損傷だけであったと認定しました。

被告人車両には、左側前方のバンパー部分に2ないし3cm程度の幅の擦過痕が付くなどしていましたが、部品の欠落や落下を伴うような損壊はありませんでした。

報告義務は、自車の損壊であっても問題になり得ます。

しかし、本件では、その自車の損壊も極めて軽微であり、警察官に必要な措置をとらせる実質的要請が相当程度低いと評価されました。

⑷ 事故の主たる原因は、被害者側の赤信号進入にあった

本件で決定的に重要なのは、事故の主たる原因が、被害者側の普通自動二輪車が赤色信号に従わず交差点内に進入したことにあったと裁判所が判断している点です。

裁判所は、本件事故について、被害者側のほぼ一方的な過失によって生じたものと評価しています。

この事情があるため、被告人が、自分を専ら被害者と認識するのが当然な状況であったとされています。

通常、交通事故後に報告義務違反が問題になる場合、「事故を起こした側が、警察への報告を怠った」という構図で捉えられます。

しかし、本件では、被告人は、赤信号を無視して進入してきた相手方車両との接触事故に巻き込まれ、自車に極めて軽微な損傷を受けた側であると認識していた、という事情がありました。

⑸ 被害者自身も警察へ通報せず、現場を立ち去っていた

本件事故後、被害者は、被告人を残して現場から立ち去っています。

その後、被害者は一旦自宅に帰り、妻の運転する車両で事故現場付近に戻ってから110番通報をしました。

裁判所は、このような事故後の被害者の対応状況も踏まえています。

被害者自身がその場で警察へ通報せず、普通自動二輪車を運転して現場から立ち去っている状況は、被告人において、相手方に負傷や車両損壊が生じていると認識しにくかった事情としても意味を持ちます。

6 可罰的違法性を否定した論理

本判決の論理は、次のように整理できます。

第1に、道路交通法72条1項後段の報告義務は、事故結果が軽微で、道路上の交通にも支障がないと思われる場合であっても、原則として免れない。

第2に、本件でも、被告人が事故の発生を認識していた以上、形式的には報告義務を負っており、警察官への報告を怠った点は、形式的に報告義務違反の構成要件に該当する。

第3に、しかし、本件では、被告人が認識していたのは自車の極めて軽微な損傷だけであり、被害者の負傷や相手方車両の損壊は認識していなかった。

第4に、事故の主たる原因は、被害者側の赤信号進入にあり、被害者のほぼ一方的な過失で事故が生じた。

第5に、事故後、被害者自身も警察に通報せず、現場から立ち去っていた。

第6に、以上の事情を踏まえると、被告人が報告義務を怠ったことは、形式的には報告義務違反に当たるとしても、法秩序全体から見て、刑罰をもって臨むほどの可罰的違法性があるとはいえない。

このような判断構造です。

本判決は、構成要件該当性を否定したのではなく、形式的な構成要件該当性を認めたうえで、可罰的違法性を否定して無罪とした点に特徴があります。

7 本判決を一般化してはいけない

本判決は珍しい裁判例ですが、一般化には注意が必要です。

本判決は、交通事故後に警察へ報告しなくてよい場合を広く認めたものではありません。

むしろ、本判決自身が、事故によって生じた結果が軽微であり、道路上の交通にも支障を来していないと思われるような場合であっても、道路交通法72条1項後段の報告義務を免れることはないと明言しています。

したがって、交通事故を起こした場合には、原則として警察へ報告すべきです。

特に、次のような場合には、報告義務違反が成立する可能性が高くなります。

・相手方が転倒した
・相手方が痛みを訴えた
・相手方が負傷している可能性を認識した
・相手方車両の損壊を認識した
・自車の損傷が軽微とはいえない
・道路上に部品が落下した
・交通に支障が生じた
・相手方が警察への通報を求めた
・自分側に事故原因があると認識していた
・その場から逃げるように立ち去った

本判決が妥当するのは、極めて例外的な事案です。

8 弁護実務上の意義

本判決の弁護実務上の意義は大きいです。

第1に、略式命令を受けた事件でも、正式裁判を請求し、事故態様を精査することで無罪に至ることがあるという点です。

本件では、正式裁判請求後の補充捜査により、相手方車両が赤信号で交差点に進入していたことが明らかになりました。これは、事故態様の前提を大きく変える事情です。

罰金事件だからといって、機械的に受け入れるべきではありません。

第2に、報告義務違反についても、「事故があった」「警察へ報告しなかった」というだけで機械的に処罰されるべきではないという点です。

報告義務違反は故意犯であり、人の死傷又は物の損壊についての認識が問題になります。また、形式的に報告義務違反に当たる場合であっても、例外的に可罰的違法性が問題になり得ます。

第3に、事故後の双方の言動、損傷状況、現場の明るさ、相手方車両の状態、相手方が警察へ通報したかどうか、事故原因がどちらにあるかといった具体的事情を丁寧に拾うことが重要です。

本件のような事件では、単に「報告しなかったから有罪」と考えるのではなく、報告義務の趣旨から見て、警察官に必要な措置をとらせる実質的要請がどの程度あったのかを検討する必要があります。

9 交通事故後に取るべき対応

もっとも、実務上の助言としては、交通事故を起こした場合、又は交通事故に巻き込まれた場合には、原則として警察へ報告すべきです。

相手方が「大丈夫です」と言っていても、後から負傷が判明することがあります。

車両の損傷が軽微に見えても、後から修理が必要になることがあります。

その場ではどちらが悪いか分からなくても、後から事故態様が争いになることがあります。

したがって、事故後は、

・安全な場所に停車する
・負傷者の有無を確認する
・必要に応じて救急車を呼ぶ
・警察に通報する
・相手方の連絡先を確認する
・事故現場、車両損傷、道路状況を記録する
・任意保険会社に連絡する
・不安があれば弁護士に相談する

という対応を取るべきです。

本判決があるからといって、「軽微な事故なら警察に連絡しなくてよい」と考えるのは危険です。

10 まとめ

福岡地裁令和5年10月27日判決は、道路交通法上の報告義務違反について、形式的な構成要件該当性を認めつつ、可罰的違法性を否定して無罪とした珍しい裁判例です。

本判決のポイントは、次のとおりです。

・被告人は、略式命令に対して正式裁判を請求した
・補充捜査により、被害者側車両が赤信号で交差点に進入していたことが明らかになった
・過失運転致傷について、被告人には赤信号無視車両の進入まで予見すべき注意義務はないとされた
・報告義務違反について、形式的には構成要件該当性が認められた
・しかし、被告人が認識していたのは自車の極めて軽微な損傷だけだった
・被害者の負傷及び相手方車両の損壊について、被告人に認識はなかった
・事故の主たる原因は被害者側の赤信号進入にあった
・被害者自身もその場で警察へ通報せず、自車を運転して現場を離れていた
・これらの事情から、刑罰を科すほどの可罰的違法性はないと判断された

本判決は、交通事故後の報告義務違反を争ううえで重要な裁判例です。

ただし、あくまで例外的な判断です。交通事故があった場合には、原則として警察へ報告すべきです。

そのうえで、報告義務違反として捜査を受けている場合には、事故態様、損傷状況、認識内容、事故後の相手方の言動、警察官に必要な措置をとらせる実質的要請の有無を丁寧に整理する必要があります。

罰金事件だからといって、争う意味がないわけではありません。

略式命令を受けた後でも、事故態様や法的評価に疑問がある場合には、正式裁判請求を含めて弁護士に相談すべきです。

 

福岡地判令和5年10月27日

https://www.courts.go.jp/hanrei/92513/detail4/index.html