相手に住所を知らせず訴訟ができる?
2019年10月13日労働事件(企業法務)
訴状には住所を記載する必要があります。しかし、一定の場合には被告に住所を明らかにしないまま訴訟をすることが可能です。「秘匿」という制度です。
弁護士は経験的に知っている制度ですが、意外に論じた文献が見当たりません。通達はあるようです。
佐藤裕義『訴訟類型別訴状審査をめぐる実務』(新日本法規,2018年10月)124頁
【「秘匿」は法律上の制度ではありませんが、全国のほとんどの裁判所で取り組まれている制度です。この制度を利用することにより、特定又は不特定の者に対して希望する情報を秘密にするように申出ることができます。例えば、被告に勤務先を知られると嫌がらせを受けるおそれがある場合、勤務先という情報を被告に対して秘密にしておく希望があることでしょう。秘匿希望の申出言は、各裁判所が独自の書式を定めていることが多いので、秘密にしたい情報がある場合には、訴状提出前に提出先の裁判所に申出方法等を問い合わせた方がよいでしょう。もっとも自らの工夫により秘匿することもできます。秘密にしておきたい情報が記載された書面はマスキングをした上で提出すればよいのですが、デメリットとしては裁判所にも秘匿しますので、マスキング部分の情報が反映された判決にならないことが挙げられます。例えば、現住所を秘密にしておきたい場合には、実際には居住していない便宜的な住所(例えば、前住所、住民票上の住所、実家の住所、代理人弁護士の事務所) を記載する方法がありますが、判決書にも便宜的な住所が記載されるため、強制執行や登記ができなくなるおそれがあったり、裁判所からの郵便物を真の住所で受け取れないなど、デメリットがあります。秘匿の申出をするには、秘匿を希望する理由を疎明し、秘匿を希望する情報、必要に応じて秘匿を希望する相手を特定して、申出をするのが一般的です。訴状審査において、秘匿の申出の有無とその内容に理由があるものかどうか、疎明が足りているかを裁判官・書記官により確認されます。認められれば、秘匿を希望する情報をマスキングせずに書面を提出しても、情報が流出するリスクを最小限にするように裁判所が配慮をします。例えば、真の住所を秘密にする場合には、真の住所が記載された書面が閲覧請求されることがないように配慮してもらえたり、仮に閲覧請求されても不許可にしてもらえたり、場合によっては当事者が気づかなくても、裁判所自ら真の住所が記録上表れていないかどうか積極的に注意してもらえます。】
関連する文献を引用します。
竹田光広編著『裁判実務シリーズ10 民事執行実務の論点』(商事法務,2017年1月)20頁
執行裁判所から見た債務名義作成上の留意点
鈴木和孝
【ウ債務名義上、ドメスティックバイオレンス(DV)等を理由に当事者の住所を秘匿する場合の留意点
(ア) 氏名のみでは当事者の特定が認められないこと
前記(1)のとおり、当事者の特定は、住所と氏名で行うのが通例である。したがって、氏名のみを記載して、住所を記載していない債務名義では当事者の特定がないといわざるを得ないであろう。
(イ)住所秘匿の措置を講じる場合の当事者の特定方法
住所秘匿の措置を講じる場合の当事者の特定方法としては、実務上、次の3つの方法のいずれかをとることが多いように思われる。
まず、当該当事者の現住所と住民票上の住所が異なるときは、現住所の代わりに住民票上の住所を記載する方法をとることが多い。これであれば、当事者が当該住所に現在居住していないとしても、当該住所の記載をもって、他の住所と区別することが可能であるため、当事者の特定は問題ないと思われる。
次に、住所の代わりに本籍及び生年月日を記城する方法である。本籍については、当事者が自己の意思で自由に設定することができるものであるため、これだけで当事者の特定ができるかについては疑問があり、また、生年月日についても、同じ生年月日の人物が複数存在する可能性がある以上、やはりそれのみでは当事者特定の要素としては不十分であるといわざるを得ない。そのため、当事者の特定のためには、住所の代わりに本籍と生年月日の両方を併記する必要があると思われる。
最後に、当事者の住所として、代理人弁護士の事務所の所在地を記載する方法である。当事者=執行太郎、代理人弁護士=鷹番花子弁護士という例で考えると、上記の方法であれば、当該事件を薦番花子弁護士に委任している執行太郎という形で、当事者特定の要請を満たしていると考えることができる。もっとも、この方法によった場合、執行段階で当事者(執行太郎)が債務名義作成時の代理人弁護士(鷹番花子弁護士)に事件を委任していないときは、債務名義に表示された当事者と強制執行における当事者との同一性が問題となり得るので、注意する必要がある。】