交通犯罪(救護・報告義務違反)弁護要領
(以下の記述は、2023年8月26日現在のものになります)
このページでは、私が救護・報告義務違反(ひき逃げ・当て逃げ)事件を受任した場合の一般的な弁護要領について説明いたします。但し、事案により対応は異なりますので、これは一例ということでご理解ください。
ひとくちに、ひき逃げ、といっても複数のパターンがあります。明らかに人を跳ねてしまったのにその場を立ち去ってしまった事例、人と軽く接触して、大丈夫ということだったので救急車を呼ばずに事故報告をしなかったら後日警察から「ひき逃げ」と言われた事案、その中間点である、ぶつかったかもしれないと思って警察に報告したら、既に被害者が届け出をしていて「ひき逃げ」と言われた事案。私は様々なパターンのひき逃げ事件を担当してきました。
また、相談レベルでは、接触していないが、もしかしたら相手が転倒して怪我していたかもしれない、というものもあります。理論上は立件の可能性はありますが、実例はなかなかないと思います。
1.犯罪の成否の判断
まず、救護・報告義務違反が成立する事案か否かの見極めが必要です。
(1)「道路」該当性の判断
まず、当該事故現場が、道路交通法2条1号の定める「道路」【道路法(昭和二十七年法律第百八十号)第二条第一項に規定する道路、道路運送法(昭和二十六年法律第百八十三号)第二条第八項に規定する自動車道及び一般交通の用に供するその他の場所をいう。】にあたるかどうかを検討しなければいけません。「駐車場」や「コインパーキング」で問題になります。これは一概にはいえませんし、最終的な検察官の判断と、警察官の判断が異なることもあります。
「一般交通の用に供するその他の場所」とは、道路法に規定する道路及び道路運送法に規定する自動車道以外で不特定の人や車が自由に通行することができる場所をいうとされています。
この判断にあたっては、「道路の体裁の有無」、「客観性・継続性・反復性の有無」、「公開性の有無」及び「道路性の有無」を検討するのが一般的です(道路交通執務研究会編著『執務資料道路交通法解説(18-2訂版)』(東京法令出版,2022年11月)6頁~)。
まずはこれを満たすかですが、事実上通り抜けできるというというだけでは、あたらないといえるのではないかと考えます。私のした事例でも、警察で酒気帯び運転として立件された事案が、意見書を出して嫌疑不十分不起訴になったことがあります。
最二小決昭46年10月27日(裁判集刑181号1012頁)は、【右駐車場は、公道に面する南側において約一九・六米、川に接している北側において約一四・一米、南北約四七米のくさび型の全面舗装された広場であって、そのうち東側および西側部分には、自動車一台ごとの駐車位置を示す区画線がひかれ、南側入口には、県立無料駐車場神奈川県と大書された看板があって、本件の広場の全体が自動車の駐車のための場所と認められるところであるから、駐車位置区画線のない中央部分も、駐車場の一部として、該駐車場を利用する車両のための通路にすぎず、これをもつて道路交通法上の道路と解すべきものではない。ホテルなどの利用客等のうちには、右駐車場を通行する者があるとしても、それはたまたま一部の者が事実上同所を利用しているにすぎず、これによって右駐車場中央部分が、一般交通の用に供する場所となるわけのものではない。】としています。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=59548
(2)「交通事故」該当性の判断
交通事故とは、「車両等の交通による人の死傷若しくは物の損壊」をいうとされています(道路交通法67条2項)。
ア、「人の死傷」について
軽傷でも、「人の死傷」にはあたると考えられています。ただし、車両等の交通と相当因果関係を持つ必要がありますので、駐車場の駐車区画に停車している車に人が転んでぶつかってきたような場合は、「車両等の交通と相当因果関係」を欠きますので、交通事故にはあたりません(降車時のドア開閉事故はあたる場合があります)。道路交通執務研究会編著『執務資料道路交通法解説(18-2訂版)』(東京法令出版,2022年11月)841頁から記述を引用します。
【自己以外の者ならば、通行人、同乗者、相手方の運転者などすべての人を含む人の死傷という意味であるが、「死傷」とは、人が死亡あるいは負傷するということである。しかし、「人の死傷」が車両等の交通と相当因果関係をもって生じた場合に限られる。この点は「物の損壊」についても同様である(宮崎注解)。
人又は物の被害が発生した以上は、その程度のいかんを問わない。したがって、その程度が軽微であるとか、被害者が運転者などの助けをかりないで自ら措置をとりうる等は、本条の義務を免れる理由とはならない(横井註釈・安西業過)。】
もっとも、「傷害」があれば、いかなる場合でも救護義務違反が成立するわけではないです。
最高裁昭和45年4月10日
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50949
【裁判要旨 車両等の運転者が、いわゆる人身事故を発生させたときは、直ちに車両の運転を停止し十分に被害者の受傷の有無程度を確かめ、全く負傷していないことが明らかであるとか、負傷が軽微なため被害者が医師の診療を受けることを拒絶した等の場合を除き、少なくとも被害者をして速やかに医師の診療を受けさせる等の措置は講ずべきであり、この措置をとらずに、運転者自身の判断で、負傷は軽微であるから救護の必要はないとしてその場を立ち去るがごときことは許されない。】
さらにいえば、過失運転致傷罪(自動車運転処罰法5条)は、もともとの刑法211条2項の自動車運転過失致死傷を移したものですが、同法の「傷害」の意義については、刑法204条の傷害罪の「傷害」と同意義と解釈されています(前田雅英ほか編『条解刑法〔第4版補訂版〕』(弘文堂,2023年3月))868頁)。
そして、この「傷害」については、裁判実務においては、およそすべての生理的機能障害を指すものとは解されていません。以下、川端博ほか編『裁判例コンメンタール刑法〔第2巻〕[§73~§211]』(立花書房,2006年9月)500頁から記述を引用します。
【(2) 軽微な傷害
この点に関して直接判断を示した最高裁の裁判例はないが(最判昭24. 7・7裁判集12・135は、左耳殻後部、右上肢前面及び左右上腿部に加療1週間を要する擦過傷が傷害に当たるとし、最決昭32. 4 .23刑集11 . 4 ・1393は、胸部に瘤痛を生じたときは、外見的に皮下溢血、腫脹又は肋骨骨折等の打撲痕が認められないとしても、身体傷害に当たるとしている。)、名古屋高金沢支判昭40・10・14高刑集18・6 ・691が判断基準を示しており、下級審は概ねその基準に基づいて判断している。名古屋高金沢支判は、強盗致傷罪に関するものであるが、「刑法にいわゆる傷害とは、他人の身体に対する暴行により、その生理機能に障害を与えることと解されているのであるが、これはあくまで法的概念であるから医学上の創傷の概念と必ずしも合致するものではない。ことに他人の身体に暴行を加えた場合には、厳密に言えば常に何らかの生理的機能障害を惹起しているはずであって、この意味で傷害と未だそれに至らない暴行との区別は、それによって生じた生理的機能障害の程度の差異に過ぎないと言える。両者の境界線を何処に引くかは抽象的には困難な問題ではあるが、(1)日常生活に支障を来さないこと、(2)傷害として意識されないか、日常生活上看過される程度であること、(3)医療行為を特別に必要としないこと等を一応の標準として生理的機能障害が、この程度の軽微なものが刑法上の傷害ではなくて暴行であると考えることができよう。」と判示して、前額部に針頭大並びに0.5ミリメートルの裂創2か所及び右上下眼瞼、砒部にわたって中等度浮腫を認める創傷につき、擦過傷、打撲を傷害とは認めず、強盗致傷罪の成立を否定した。)(小坂敏幸・東京地方裁判所判事)】。
この解釈は、道路交通法における「交通事故」の解釈にあたっても、参考にされるべきだと考えています。
イ、「物の損壊」について
報告義務が生じる物の損壊の程度については、道路交通執務研究会編著『執務資料道路交通法解説(18-2訂版)』(東京法令出版,2022年11月)842頁は【その物の損壊の程度、具体的危険発生の有無、危険防止措置の要否の如何を問わず、いやしくも物の損壊のあったすべての場合を含むものであって、その程度が軽微であってもよい(昭四三・五二七仙台高裁)】とします。これが一般的な解釈です。なお、伊藤榮樹ほか編『注釈特別刑法第六巻交通法・通信法Ⅰ』(立花書房,1982年11月)347頁は、【物の損壊は、自らの車両の損壊も含む。しかし、交通秩序の回復を目的とする本条の趣旨から、崖にぶつかって自車を走行に差支えない程度に損壊したような自損事故の場合には、交通事故とはいえない。(河上和雄)】としますので、自損事故については成立しないといえる余地があります。
ウ、「人の死傷」、「物の損壊」の証拠について
さらに、被害者が交通事故で「傷害」を負った事実があっても、被害者の「傷害」につき、十分な証拠が存在しない場合もあります(犯罪捜査規範4条1項「捜査を行うに当たっては、証拠によって事案を明らかにしなければならない。」)。
これが問題になるのは、自訴のみで診断書が発行されるむちうち症や、後日に診断書が発行された場合などです。弁護人としては、「傷害」の事実が証拠によって認定されるものかを十分吟味しなければなりません。
特に、後日診断書が発行された事例については、重症であれば診断書がなくても人身事故として取り扱われるのが一般ですので、後日人身事故に切り替えられた場合はこれが問題になることがあります。
従って、診断書が提出されたとしても、最終的に人身事故として処罰や行政処分がなされるとは限りません。診断書の内容(むち打ちなど客観的所見なし)、車の損傷状況(修理不要)、診断書の作成時期(事故から数日以上経過して作成)、以後の治療経過(通院なし)などから傷害の事実が認定できない、ということもあります。
傷害の認定につき、岸洋介「正当防衛に関する近時の判例の動向及び捜査実務上の留意点」捜査研究2015年7月号(773号)2頁~(13頁)から記述を引用します。
【傷害の診断書は, 受診者の愁訴のみに基づいて作成されていることがあるので,注意が必要です。この場合,診断書の記載を鵜呑みにして傷害の事実や内容を認定してしまうと,後に公判で争われたときに立証に窮することになってしまいます。そのため,比較的軽微な暴行事件で被害者から後日診断書が提出された場合には,それだけで傷害事件として立件するのではなく,捜査官自身が受傷部位を見て受傷の有無を確認し,その時点で受傷の事実を目視確認できなかった場合には,診断書を作成した医師に対し,診察時に発赤,腫脹などの他覚的所見が認められたか否かを確認することが必要です。頸椎捻挫(いわゆるむち打ち症)のように他覚的所見が認め難い傷害もあるので一概には言えませんが,診断書には打撲傷と記載されているのに,診察時にも診断書提出時にも発赤内出血腫脹といった他覚的所見が認められないのであれば, 当該診断書は受診者の愁訴のみに基づいて作成された可能性が高いので,傷害罪として立件するのは差し控えるべきと考えます。
他方で,事件当時は発赤や腫脹などの他覚的所見が認められたのに,起訴時には傷が癒えてなくなっていることも少なくありません。比較的軽微な暴行・傷害事件は在宅送致されることも多く, この場合は,送致された時点では傷が完治していることがほとんどです。そのため,事件直後に被害者に発赤や腫脹などの他覚的所見が認められた場合には, これを鮮明に写真撮影し,証拠化しておくことが重要です。また,打撲傷の場合,受傷直後よりも,数日経過した後の方が,受傷部位付近に内出血が広がり,痛々しい状態になっていることがあります。そのため,被害者の受傷状態をより正確に証拠化するためには,受傷当初の状態を写真撮影するだけではなく,その後も,事情聴取などで被害者と接した際に傷の状態を確認し悪化している様子が見受けられた場合には.その状態も写真撮影して証拠化しておくことが必要です。】
「物の損壊」については、人の死傷より明確であることが多いですが、事故直後の写真がない場合や、接触箇所と修理場所が異なるといった場合には、警察官に対して慎重な吟味を依頼しなければなりません。
これらの「人の死傷」や「物の損壊」についての証拠については、民事交通事故訴訟の知見が役に立ちますが、ここでは詳細の記載は省略いたします。
3)「救護・報告義務違反」該当性の判断
さらに、「交通事故」であるからといって、必ずしも救護・報告義務違反になるわけではありません。
ア、救護義務違反の「故意」について
救護義務違反は故意犯なので、車両等の運転者に「車両等の交通による人の死傷」(道路交通法72条1項、同67条2項)についての認識が必要です(最三小判昭和45年7月28日刑集24巻7号569頁、最三小決昭和47年3月28日刑集26巻2号218頁)。すなわち、「接触した」という未必的認識のみでは足らず、「負傷したのではないか」という認識が必要です。
そして、文献の記述を詳細に見ると、いずれの文献も「衝突の認識」=「人の負傷の認識」とはしておらず、歩行者の転倒や、ある程度強度の衝突があることが、「人の負傷」の認識を推認するために必要と考えているようです。以下、記述を引用します。
【また、例えば大型貨物自動車の後部側面に原動機付自転車のような小型車が軽く接触し転倒したというような場合については、四囲の種々の状況によっては、全く認識しえないこともあり得るので、このような場合は、本条の違反は成立しないと考えられる。】(「道路交通法72条・117条・119条」道路交通執務研究会編著『執務資料道路交通法解説(18-2訂版)』(東京法令出版,2022年11月)の863頁)
【実際の問題としては、相当程度の強度の衝突あるいは車両等の大きな損壊の認識があれば、人の負傷についての未必的認識が推認される場合もある。また、一般的には、車両が歩行者や自転車に接触し、その歩行者や自転車が転倒したことを認識した以上、その運転者には、人の負傷について未必的な認識があったものと認めて差し支えないであろう。しかし、例えば、大型貨物自動車の後部側面に原動機付自転車等が軽く接触して転倒したような場合には、状況によっては、まったく認識し得ないこともあり得る。また、運転者が酩酊した状態の場合にも、衝突・接触の事実又は負傷の発生について認識し得ないことがあり得る。】(五十嵐義治「不救護・不申告事犯」藤永幸治編集代表『シリーズ捜査実務全書14 交通犯罪(4訂版)』(東京法令出版,2008年4月)の273頁)
【衝突の結果人の死傷を傷または物の損壊を生じない場合も絶無とはいえない…。もっとも、実際上の問題としては、ある程度強度の衝突の認識があれば、「人の死傷又は物の損壊」についての未必的認識が推認され、右二つの考え方は実務上それ程大きな差異をもたらさないであろう】(川上拓一「16 ひき逃げの刑事責任」荒木友雄編『刑事裁判実務大系5 交通事故』(青林書院,1990年1月)の181頁)
【実際上,運転者等が,ある程度の強度の衝突であることを感知できる事故であれば,人の死傷が発生したとの認識を推認できる場合が多いと思われる。】(「救護・報告義務違反」法総研誌友会研修編集部『基本判例解説 交通事犯』(法務総合研修所,1990年2月)の251頁)
【衝突の結果人の死傷又は物の損壊を伴わない場合も絶無ではない…ただし、実際上の問題としては、ある程度強度の衝突の認識があれば、「人の死傷又は物の損壊」についての未必的認識が推認できる場合が多い】(「救護・報告義務違反」法曹会編『例題解説道路交通法〔改訂版〕』(法曹会,1976年5月)の30頁)。
結局のところ、【認識の有無についての認定判断は、個々の事案について、具体的状況に基づいて、合理的に行わなければならない。一般的には、後記(2)の裁判例からも明らかなように、事故発生時の現場の状況(見通し、明るさ)、衝突・接触状況(位置関係、衝突・接触部位、衝突音・衝撃の程度、被害者の転倒状況)、車両破損状況、制動状況(制動痕等)、加害者の行動状況(現場確認、現場への引返し)、加害者の飲酒・酩酊の程度・状況、被害者の受傷状況、受傷についての加害者への告知状況等を総合して認定判断している。】(五十嵐義治「不救護・不申告事犯」藤永幸治編集代表『シリーズ捜査実務全書14 交通犯罪(4訂版)』(東京法令出版,2008年4月)の273頁)ということです。
例えば、衝突の認識すらなく、相手もよろけただけの事件などではこの故意を認定することは難しいでしょう。
オ、報告義務違反の「故意」について
報告義務違反も故意犯なので、車両等の運転者に「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊」(道路交通法72条1項、同67条2項)についての認識が必要です(最三小判昭和45年7月28日刑集24巻7号569頁、最三小決昭和47年3月28日刑集26巻2号218頁)。すなわち、「接触した」という未必的認識のみでは足らず、「人が死傷した」あるいは、「物が損壊したのではないか」という認識が必要です。ただ、運転者に感じられる程度の衝撃があった場合は、少なくとも「物の損壊」について未必的認識があったとされることが多いでしょう。警察官向けの文献から記載を引用します。
佐藤隆文ほか『3訂版 新・交通事故捜査の基礎と要点』(東京法令出版,2022年2月)145頁【救護義務違反及び報告義務違反は、いずれも故意犯であるから、人の死傷、物の損壊が生じたことを運転者等において認識していることが必要である。認識がないのに救護義務・報告義務を負わせるわけにはいかない(浜松支部平10. 2 ・18高検調同年番号15)。ただ、その認識の程度については、必ずしも確定的であることを要せず、「人の死傷、物の損壊が生じたかもしれない」との未必的な認識で足りるとされている(最判昭40・10・27刑集19・7 ・773、最判昭45. 7 .28刑集24. 7 .569)。この認識は、救護・報告義務違反の刑事責任を問うため必要不可欠の要件であるから、特に重点をおいて捜査すべき点であり、「事故を起こして怖くなり、酒を飲んでいることがばれては大変だと思って、そのまま逃げてしまいました。」という程度の供述では、単に事故を起こしたという漠然とした抽象的な認識だけであって、人の死傷、物の損壊について認識していたのかどうかという肝心な点の供述は何らなされていないわけであるから、このような供述を録取しても、故意に関する自白調書としては不完全・不十分と言わざるを得ないのである。
しかし、上記の認識の点は、特に被疑者が無免許、酒酔い運転の途中に事故を起こしたという場合、重い刑に処せられるとの恐怖心などから必死になって否認する点でもあるので、被疑者から真実を吐露させる努力を尽くす一方、事故発生の経緯、状況、特に車両の破損状況、受傷、物損の程度、衝突音の大小、事故前後の被疑者の挙動(いったん停止して車外に出たとか、窓を開けて外を見たとかなど)、同乗者があれば同乗者との事故についての会話の内容等についても丹念な捜査を行い、いかに否認しようとも被疑者に人の死傷又は物の損壊についての認識がなかったはずはないとの状況証拠を収集し、万全の証拠固めをしておく必要がある。】
カ、「故意」の発生時期について
さらに、「いつ気がついたのか」という点も無視できません。
近時の検察官の文献では、このような指摘があります(横澤伸彦「実例捜査セミナー 死亡ひき逃げ事故事案において,争点を見据えた捜査が功を奏した事例」(捜査研究2020年1月号43頁~))。
【「道交法72条1項は、救護義務報告義務の前提として「直ちに車両等の運転を停止」すべき停止義務を規定しており、「直ちに」とは「すぐに」という意味で「遅滞なく」と「速やか」より急迫の程度が高い場合であると解されるため(『注解道路交通法』)。同義務を履行する前提としての事故により人を死傷させたことの認識も、事故発生から極めて近接した時期に有していなければならないと考えた。】(上掲48頁)。
(3)義務違反の判断
これらの事項を検討した上で、さらに救護・報告義務違反があるかを検討します。ただ、この要件はかなり厳しいので、立件された場合には争うことが難しい場合が多いです。以下、文献を引用します。
※救護義務について
村上尚文著『刑事裁判実務大系4(ⅱ)道路交通(2)』(青林書院,1993年9月)718頁
【救護義務については、負傷者の負傷の程度、道路交通の危険発生の有無程度、その他具体的状況に照らし、社会通念上負傷者を救護したと認めるに足りる適切妥当な措置を尽くすことを要する(大阪高判昭四七・八・八、確定、月報四巻八号一四三七頁、広島高判昭五三・二・一五広島高検速報昭五三年三号)。したがって、必要な救護その他の措置のうちあるものを講じ、若しくは、それらの措置の一部分を講じたのみでは、救護義務を尽くしたことにならない(京都地判昭四四・三・九月報一巻一二号二五六頁)。
また、例えば、事故発生後、被害者を歩道に運んで寝かせ付近の者が救急車を呼んだことを知っても、それ以上救急車到着まで被害者に付き添うことも応急措置を執ることもしなかった場合は、義務を履行したことにはならない(東京高判昭四七・四・一二、確定、東京高検速報一八八六号)。なお、救急車による被害者の救護が予想される場合であっても、自ら現場にとどまって救急車の到着を待ち、被害者が安全かつ適切に同車に収容され、治療を受けられるように自らも収容に助力するか、少なくとも、いつでもこれに当たり得るよう現場で待機すべきであり、被害者が救急車に無事収容されたことを確認したのでなければ義務を尽くしたことにならない(大阪高判昭四七・二、大阪高検速報20号)。】
警察官が臨場している場合でも、成立します。
※救護・報告義務について
最高裁昭和50年2月10日
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51085
【弁護人藤田一伯の上告趣意のうち憲法三一条、三八条違反をいう点は、本件の場合において道路交通法七二条一項所定の救護、報告義務は消滅したものであるとし、これを前提とする主張である。
しかしながら、警察官が、車両等の交通による人の死傷又は物の損壊事故が発生した直後に現場に来合わせて事故の発生を知り、事故を起した車両の運転者に対しとりあえず警察用自動車内に待機するよう指示したうえ、負傷者の救護及び交通の危険防止の措置を開始した場合であつても、右措置の迅速万全を期するためには、右運転者による救護、報告の必要性が直ちに失われるものではないから、右運転者においては、道路交通法七二条一項前、後段所定の義務を免れるものではない。
この点の原判断は、結論において相当であり、所論は、その前提を欠くものである。
上告趣意のうちその余の点は、単なる法令違反の主張である。
所論は、すべて、適法な上告理由にあたらない。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、
主文のとおり決定する。
昭和五〇年二月一〇日
但し、以下は上掲最高裁判例の事案の第一審ですが、被告人は結局指示に従わず立ち去った事例です。理論的には従っていても成立しますが、通常は警察の指示に従っているのであれば、期待可能性がないとされて立件されていないと思います。
東京地判昭和49年3月30日最高裁判所刑事判例集29巻2号45頁
(弁護人の主張に対する判断)
【二、報告義務につきその必要性がないとの主張について
弁護人は、判示第三の二の事実につき、本件事故発生後、間もなく、警察官が事故現場に到着して事故処理にあたつたのだから、道路交通法七二条一項後段所定の報告義務はないと主張する。
よつて検討するに、本件事故は、被告人が警察官のいわゆる検問を突破して逃走中に発生したものであつたため、事故発生後、間もなく、被告人を追跡してきた警察官が現場に到着して、応急の事故処理にあたつたものであるが、その際、被告人は、警察官からパトカーの中にいるように指示されたのに拘らず、その直後、現場を立去つたものであつて、その間、警察官に対し、本件事故について何らの報告も行つていないことが明らかである。
ところで、自動車の運転者等に右報告義務を課したのは、交通事故があつた場合に、警察官をして、負傷者に対する万全の救護と交通秩序の回復に適切な処置をとらせるためであるところ、たまたま事故現場に来合わせた警察官が、負傷者の救護等応急の事故処理に着手した場合であつても、当該警察官は事故の状況を詳細に知悉しているわけではないのだから、当該運転者等から、事故の状況につき、法律の定める事項の報告を受けてこそ、負傷者救護についての万全の措置と交通秩序の回復についての適切な処置をとり得ると言えるのであつて、本件について前示のような事情があつたとしても、被告人の右報告義務を否定することにはならないと言うべきであるから、弁護人の右主張は理由がなく失当である。】
古い裁判例では救護・報告義務違反の成立を否定したものもいくつかありますが、それは昔は携帯電話がなく、救急車をすぐに呼べなかったといった事情があったからであり、現在では、よほどの場合でなければ救護・報告義務が発生しているとされながら、それを履行しなかったことが違反とされることはないでしょう。
ただ、重要な例外があります。それは、被害者が激高して襲いかかってきたような場合です。裁判例を引用します。
令和1年7月17日/東京高等裁判所/判決/平成31年(行コ)62号
判例ID 28283162
事件名 運転免許取消処分取消請求控訴事件
裁判結果 控訴棄却
上訴等 上告受理申立て(後、不受理)
出典
判例地方自治463号90頁
【(2) 法72条1項前段の法令解釈について
控訴人は、法72条1項前段の趣旨目的ないし保護法益に照らせば、原判決が救護義務を負わないとした「交通事故の被害者が加害者に危害を加えようとしていたことが見とれる場合」を最高裁昭和45年判決のいう加害者が救護義務を負う場合の例外と同じように処理することはできない旨主張する。
しかしながら、上記のような場合には、交通事故の被害者は加害者による救護を望むどころか、かえって加害者による救護を自ら困難ならしめているのであるから、最高裁昭和45年判決のいう「負傷が軽微なため被害者が医師の診察を受けることを拒絶した等の場合」に準じるものと解するのが相当であり、救護義務は生じないか又は同義務は解除されるに至ったと解するのが相当である。したがって、控訴人の上記主張は理由がない。
また、控訴人は、上記主張を前提に、憤慨した被害者が加害者に危害を加えようとしていたことが見て取れる場合でも、加害者は車両内にとどまったまま119番通報をして救急隊を要請する等の方法を採ることは可能であるから、救護義務が消滅すると解するのは相当ではない旨主張する。しかしながら、憤慨した被害者が加害者に危害を加えようとしていたことが見て取れる場合であるにもかかわらず、加害者に車内にとどまったまま119番通報等をすることを求めるのは、加害者に困難を強いるものであり、現実的でもないから、上記主張を直ちに採用することはできない。】
なお、救護義務違反については、道路交通法117条2項違反として擬律されていることが多いですが、運転者に過失がない場合、また降車時のドア開閉事故の場合は、「当該運転者の運転に起因するもの」にあたらず117条1項の適用が問題になります。
2.存在する証拠の検討
以上の検討を踏まえた上で、当該事件で、いかなる証拠が存在すると考えられるか、その証拠をどうやれば収集できるか、ということを検討します。この時には、警察官向けの捜査要領が記載された文献が役に立ちます。弁護人としては、依頼者に犯罪が成立しないことを示すためにはいかなる証拠が考えられるか、それを弁護人自身が取得できるか、あるいは警察に対して証拠収集を依頼すべきか、等を検討します。
ここはまさしく事案に応じた判断になるのですが…特に重傷事故の場合は、警察は全力で犯人を特定し、逮捕に踏み切ります。一般論として、逃げ切れるとは思わない方がいいです。捜査手法は年年進歩しています。私の場合は、逮捕回避の可能性が高められることと、減刑される可能性が高められることを重視して、自首を勧めています。
川上拓一編著『裁判例にみる交通事故の刑事処分・量刑判断』(学陽書房,2022年2月)58頁
【これに対し、事故後逃走したものの翻意してさほど時間を置かずに現場に戻った場合には、法的に自首が成立する場合はもちろん、そうでない場合も量刑上多いに考慮されるべきであろう。裁判所の量刑においても、「自動車運転過失致傷罪で傷害の程度がそれほどでない場合には、ひき逃げが伴っても、捕まるのが恐ろしくなって現場から逃走したが、結局、家族等に相談して、事故直後ではないけれども、程なくして警察に出頭したようなときは、執行猶予の余地がある。」と指摘される(原田・前掲『量刑判断の実際〔3版〕」46頁)。筆者の経験でも、確かに人身事故を惹起した後、自らの意思で「直ちに停止」せず現場を離れた段階で救護義務違反は成立するものの、翻意して戻った場合にはこれを評価し適宜減点していた。それ故に、通常の評点計算であれば、公判請求(自由刑求刑)が必至の「ひき逃げ」事案でも、(もちろん、被害者の負傷の程度にもよるが) 「現場への舞い戻り」を評価して減点計算の結果、略式処理(罰金刑)にとどまることもあった。もし、読者の皆さんが、知人や依頼者から突然電話が入り「交通事故を起こした。怖くなってその場から離れた(逃げた)。」と打ち明けられたら、「勇気を出して直ちに現場に戻りなさい。」旨助言することを勧めたい。それによって、最終処分が、被害者の負傷程度により「実刑から執行猶予」「公判請求から略式処理(罰金刑)」に変わる余地が生じるからである。】
否認事案でも、出頭して警察に対して十分な捜査を求めるということが考えられます。
3.逮捕の可能性の検討
これも、1と2の結果を踏まえた個別判断になっていくので、一概にはいえません。ただし、現場から逃走しているという事実がある以上、一般論として逮捕の可能性は高いと思った方がいいです。
下記ページをご参照下さい。
4.その他
(1)被害者との示談交渉について
被害者との示談交渉については、任意保険会社に委ねています。
私自身が交渉した事案はないです。
(2)行政処分について
行政処分については、刑事処分とは別個で進みます。ただ、刑事処分が嫌疑不十分不起訴となった場合、行政処分もなかったという経験はあります。もっとも「危険性帯有」として処分される可能性はあります。
(3)報道回避について
また、社会的地位のある方の場合、報道発表を強く怖れられていることもあります。そういう場合は、逮捕を回避することが重要ですが、あわせて報道発表を回避してもらうように上申することもあります。
(4)立件回避の弁護活動について
また、実務的には、厳密には犯罪が成立するとしても、軽微な事案では立件されないこともあります。そういった場合は、事件価値から立件を回避すべきといったことも述べます。
刑事訴訟法189条2項は「法警察職員は,犯罪があると思料するときは,犯人及び証拠を捜査するものとする。」と規定していますが、この規定はいかなる犯罪であっても捜査をすべきというものとは解されておらず、いかなる軽微な犯罪であってもすべて捜査しなければならないという絶対的な義務を課するのではなく, 司法警察職員にある程度の合理的な裁量の余地を残す趣旨と解されています(河上和雄ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法第二版第4巻〔第189条~第246条〕』(青林書院,2012年4月)46頁(馬場義宣=河村博))。
事件価値の判断にあたっては、「国民の捜査に対する期待、要望」を念頭におき、犯罪の主体・客体、軽重・形態・悪性の度合あるいは事件の社会的背景及び影響、捜査の要急性等もろもろの状況考慮するものと考えられていますし、あまりにも微細な事件まで捜査し、検挙することの社会的影響を考える必要があるとされています(警察大学校特別捜査幹部研修所編著『新版 捜査学-捜査指揮総論-』(立花書房,1994年12月)3~4頁)。
5.まとめ
私は、以上のような検討、依頼者のご希望を踏まえて、どういった弁護方針をとるのか最終的な確定をしています。方針には、それぞれメリット、デメリットがありますので、継続的に勉強を続けながら、依頼者にとっての最適解を検討しています。
ご相談を、お待ちしております。