性加害者の心理についての考察(サイコパス、不同意性交等、独身偽装、グルーミング)
2024年01月14日刑事弁護
私が、弁護士業務を通じて感じた、性加害(私は「性的なことで、意図的に相手に強い苦痛を与える行為」と定義します)をする人の心理的傾向と、再犯防止のための対策を書いてみます。もちろん、私が乏しい知識と経験を基に考えた仮説に過ぎませんし、網羅的なものでもありません。私が悩みながらいろいろ考えたことが誰かのヒントになるかも、という思いで書いています。
まずもっとも強調したいことですが、性加害、特に不同意性交は、非常に強い「苦痛」をもたらします。被害者に深い精神的・肉体的打撃を与えます。性加害が与える打撃の大きさについては、近年ようやく目を向けられるようになったのですが、被害者の人生に大きな影響を与えます。そして、性加害による苦痛は、被害者だけに留まりません。被害者家族にも、加害者家族にも深い苦痛をもたらします。
さらに、これは、刑事弁護人がいうことかと思われるでしょうが、刑事裁判という制度も、えげつないと思うことがあります。第三者が傍聴できる公開の法廷で行われるということもそうですし(憲法上やむを得ないのですが)、証人尋問という制度が本当に性加害の被害者の供述の吟味に適切な制度か強く疑問を持っています。性加害の被害者の記憶は変容しやすく、供述も変遷しやすく、反対尋問で弁護人から糾弾されることにより矛盾した発言をしてしまうことは十分考えられます。弁護人からいえば、証人尋問をせざるを得なくなるのは、捜査段階できちんと捜査官が供述を吟味できておらず、裏付け捜査をして被害者や関係者の証言の真実性を担保できていないことが原因だったりするので、弁護人が責められるのは筋違いという場合もありますが…
なので、私としては性加害が減っていくことを望んでいます。そのためには、加害者が、性加害となる行動を、何故するのか?を突き詰めていくことが大事だと考えています。再犯防止だけではなく、将来の加害者・被害者を出さないためにです。
現代日本においては、性加害のうち、性犯罪となるものに対しては一定の刑罰と社会的制裁があります。そして、性犯罪とされない性加害についても、セクシャルハラスメントなど民事上の賠償責任や社会的制裁があります。かつ、性欲の発散を手助けする様々なポルノや風俗産業があります。その状況下で、あえて「性加害となる性行動」を選択する人たちには、やはりそれなりに理由があると思っています。再犯を防止できれば新たな被害発生は防げますし、子育てのヒントになるかもしれない、そう思っています。
特に、私は、「相手の苦痛が一切自分の苦痛にならず」、「倫理観が欠落し」、「呼吸するように嘘をつく」サイコパスの性加害者の存在が十分に意識されていないと感じていますので、その存在が「常識」となることを願っています。
1.不同意性交・不同意わいせつ(痴漢含む)事件
不同意性交をする人には、色々なパターンがあります。
暴力や脅迫、騙しうちなど「相手に苦痛を与える手法」で相手の人格を抑圧して性交をする人は、サイコパスで相手の苦痛を感じないので、相手をコントロールする手段として実行しているパターンと、相手の感情を読み取る能力が低く、相手の「拒否」をきちんと受け止められていないパターン、虐待を受けて育ち「暴力」で相手を支配しないと不安で性交できない(あるいは暴力を振るう側に立つことで自己肯定感を取り戻している)パターンなどが考えられます。
このうち、際立って危険なのが「サイコパスで相手の苦痛を感じないので、相手をコントロールする手段として実行しているパターン」です。私は、性犯罪の原因を性欲でなく支配欲とする立場は、サイコパス性犯罪者を観察して言われているのではないかと考えています。すべての性犯罪を支配欲で説明することはできませんが、サイコパス性犯罪者についてはその説明があてはまることが多いだろうと考えています。
※ロバート・D・ヘア『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者達』(早川書房,2000年8月)179-181頁
【性的暴力と暴力亭主
レイプは、サイコパスが暴力を冷酷かつ利己的な道具として使う恰好の例だ。むろんすべてのレイプ犯がサイコパスではなく、なかには情緒障害の著しい者もいる。ほかのレイプ犯は、女性を従属的な性として退ける文化および社会の産物だ。こうした男性たちの犯罪は、社会から見れば不快だし、被害者にとってはおそろしい心的外傷をのこすことになるけれども、サイコパスに引き起こされるものにくらべればまだ理解できる。
おそらく、連続および累犯的レイプ犯の半分はサイコパスだ。彼らの所業は、さまざまな要因の交錯の結果と見ることができる。性衝動や妄想のはけ口、力や支配に対する欲望、被害者を快楽ないし満足の対象物としてしか見ない感覚など。こうした交錯は、マスコミから〃紙袋レイプ犯″というあだ名をつけられた男ジョン・アウトンの場合を見ればよくわかる(子供や女性をレイプするとき、かならず紙袋をかぶっていた)。アゥトンは、司法精神科医によって、サイコパス、すなわち良心に欠け、人を操作することがうまく、自己中心的で、不実で、愛情を受け入れる能力に欠けている人格であると同時に、「被害者に心理的プレッシャーをかけることによって性的興奮を得る」性的サディストであると診断された。
また、最近では家庭内暴力に対して一般の認識が広がり、それを容認しない風潮がおおいに高まってきた。その結果、アメリカではそのような粗暴な者を家族が思い切って告訴したり、法廷命令による治療を受けさせたりしている。配偶者に暴力をふるう原因や力学は複雑で、経済的、社会的、心理的要因が山ほどあるが、妻にしつこく暴力をくり返す者のなかにはサィコパスが大勢いる、という証拠がいくつかある。】
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000090241/
※こころの科学188号(2016年7月号)「犯罪の心理」
奥田剛志「性犯罪をする人たち」
40頁
【過去の研究をみると、サディスティックな性犯罪をする人には、大きく二つのタイプがあるといわれている。それは日常生活の仕方に表れるといわれていて、一つめは、風変わりで、人付き合いを避け、孤立しがちな人たち(回避性やスキゾイド)で、二つめは、自分のことしか考えず、目的のためなら手段を選ばず他の人たちを道具のように操る人たち(サイコパス)である。そして、どうやら彼らは、人が苦しむのを見るのが本当に心地よいようだ。何が楽しいのか?それは、自己顕示欲が満たされ、また、相手が苦しむ様子を見ることが快感であるようである。これは、相手がどう思うかを想像するのがよいわけではなくて、自分の頭の中で、自分を強くてすごいヤツだと思えることがどうも大切らしいことを意味している。】
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/7135.html
サイコパスのパターンは、昔は深夜に路上で襲うという手法が多かったと思いますが、防犯カメラの普及により、マッチングアプリで知り合った相手を狙うといったより犯罪として処罰されにくい手法を選択していると推測しています。サイコパス男性が女性を狙う場合は、「理想的な、優しくて、頼りがいのある男性」などに擬態することで近づきます。そして、「彼氏」に擬態して、「交際」を開始し、交際後に徐々に本性を現し、DVを繰り返して相手を「奴隷化」するといったことが考えられます。ここで「交際」と括弧書きにしているのは、実際は「交際」ではないからです。相手が「彼氏」と思い込むように、過去の経験や、女性向けの記事、女性向けのフィクション作品などで「学習」し、「行動パターン」を「調整」しているに過ぎません。すべてが「擬態」です。
DVの本質については下記の参考記事にある「草柳和之「効果的なDV被害者支援のために : 被害者ファーストを探求する」家庭の法と裁判46号(2023年10月号)」を是非ご覧ください。日常生活をコントロールすることで、「認知のゆがみ」を埋め込んで、被害者に「罪悪感」を持たせて操るのです。因縁をつけて「謝罪」させるといった手口を使うこともあります。サイコパスは「ことば」の持つ影響力を良く理解していますので、被害者に対して「むしろあなたが加害者だ」と思い込ませることで操ろうとするのです。そのために、執拗に「謝罪」のことばを引き出そうとしてきます。自分こそが「被害者であり」、相手は「加害者である」とすることに固執します。周囲から状況を見れば、全く逆であってもです。もちろん、男女が逆パターンであることもありますし、同性同士ということもあるでしょう。
文献紹介 草柳和之「効果的なDV被害者支援のために : 被害者ファーストを探求する」家庭の法と裁判46号(2023年10月号)
あるいは、密室で、いきなり性加害をするパターンもあります。この場合、密室での性加害の後に、優しくするというのも良くある手口でしょう。「被害申告」をさせないための手段であり、「あなたのことを好きすぎたのでこんなことをしてしまった」などと相手に思わせる手法の一つです。性犯罪被害者の「性犯罪被害者になりたくない」という心理につけ込む手法です。そうすると、被害者は信じたくなって「迎合メール」を送ったりしますので。性交中の写真を撮るというのも、良くある被害申告を抑圧する手口です。
ただ、警察もこういった手口はわかっていますので、後の「迎合行動」があってもそれで最初の「不同意性交等」が成立しないとは見ません。そして、犯人の逮捕と捜索差押によりデータを回収できることもありますし、実名報道により余罪が炙り出されて他の被害者が救われることもあります。なので、このページをご覧になって心当たりのある方は、是非今からでも警察に相談して欲しいと思っています。自分の事件は立件できなくても、最近の事件について、過去にも同種行為をしていた、ということが、最近の事件を処罰する決め手になることもありえます。
サイコパスは、魅力的に振舞えることが多いので、一見そんなことをするように見えなかったと言われたり、再犯防止のための「治療者」に対しても彼ら・彼女らが望むような姿を見せて振舞うことができるので、治療者に「好感」を持たれることすらありえます(実際に彼らのしたことはすさまじい犯行でも、彼らは「模範的」と好まれ、「盗撮犯」などの方が嫌悪されることもありえます)。
彼ら(彼女ら)は、情動的共感性が乏しいので、「倫理」や「罪悪感」アプローチは意味がありません。ひとつ文献を引用します。
※日本弁護士連合会『令和3年度研修版現代法律実務の諸問題』(第一法規,2022年8月)461頁~
一般社団法人もふもふネット代表理事、大阪大学大学院人間科学研究科名誉教授 藤岡淳子
コーディネーター弁護士 竹中らく
「性犯罪の理解と対応-弁護士に知っておいて欲しいこと-」
471頁~
【3やんちゃ系
さらに「やんちゃ系」というものもあります。若い頃に、比較的軽い集団非行の経験があるなど、性犯罪者としては少し違う肌触りです。強制わいせつか強制性交が一般的で、外向的なタイプで、一緒になって行動する男性の仲間がいます。地域の「ちょい悪仲間」や学校の「ナンパ仲間」、会社の同僚などです。内省的な感じではなく、あまり考えることは得意ではありませんが、現実的な課題に取り組んでいくことができ、性犯罪者の中では、他の非行ができるぐらいの方が、わりと改善しやすいのではないかと思っています。性行動と社会生活について、向社会的な価値観・態度に修正していくことが必要です。
もふもふネットに来て、治療を受けようという人たちは、社会の中でやっていこうという姿勢はあるので、その方が自分にとってよく、得だと感じれば、来て学んでいくことができます。これまで述べたような非社会系の人とは、少しテイストが異なっています。グループの中にいても何か少し違う、わかり合えない感じはありますが、ある意味で別の男性のあり方のモデルにもなる人たちです。
①ありそうな事例-強制わいせつのEさん
例えば、強制わいせつの事例のEさんは、四○代で自営業をしていて、妻子もあります。中学高校時代に、多少不良交友があって、バイクを乗り回していましたが、警察沙汰になることまではありませんでした。ただし、父親と母親の仲が悪く、高校卒業後、家を飛び出して、住み込みで板前になっています。若くして、高校時代の女友達と結婚をし、自分は別に好きではなかったが、「結婚してくれっていわれたから、結婚した」などと言いながら、結婚直後からずっと浮気をしていました。
しばらくは板前の仕事を続けながら、子育てもしていましたが、父母の仲が悪かった実家が倒産の危機となり、頼まれて戻って家業を継ぎました。ところが、妻や父母との折り合いが悪くなり、自分ばかり損しているような気になって、気晴らしのため強制わいせつのアダルトサイトをみるようになりました。そして、アダルトサイトそのままに、夜、女性を後ろから襲って逮捕され、服役しました。アダルトサイトで、眼鏡のところにカメラをつけて、それで女の人の後をずっとつけていって、後ろから襲うという、非常にリアルな犯罪の動画があるらしく、それをみて、同じことをやったという人は、他にも何人かいると聞いたことがあります。
取調べに対しては、事件時の記憶がない、覚えていないと主張していました。刑務所を出てからもふもふネットに来るようになり、妻と同居し、子供も育てていて、いまは自営業をきちんとやって安定しています。非行系の人の場合は、他の性犯罪者に比べると、世間でいうところの男らしさのような感じはあります。
②ありそうな事例-強制性交のFさん
強制性交の事例のFさんは二○代の会社員で、高校時代にサッカーのクラブ活動を非常に熱心にやっていました。団体のスポーツクラブでは、ナンパをたくさんしたというような女性関係の自慢話を日常的にしていることも多くみられ、メンバーの中にはそのような影響を受けてしまう人が多くいるようです。Fさんもそうした一人で、会社に入ってしばらくして、飲み会で多量飲酒して、トイレに行ったときに、女子トイレから出てきた見知らぬ女の人に強制性交して、その場で逮捕されています。
家庭内には少し男尊女卑的な価値観があるのではないかと思います。Fさんはナンパもたくさんしていて、すぐにセックスができていたので、「セックスはそんな大変なものだとは思っていなかった」と、わりと悪びれず言います。しかし、いろいろな人に助言を求めて、どのようにしたら向社会的に生きていけるのかという価値観やふるまい方を学んでいって、いまは、新しい会社で営業職をやりながら、生活も安定しています。Fさんのような人たちも比較的、治療的な介入がうまくいくようです。】
https://www.daiichihoki.co.jp/store/products/detail/104486.html
この2つの想定事例ですが、路上で知らない人に強制わいせつ・強制性交をするという犯罪態様に加えて、過去にずっと浮気をしていたとか、集団非行だとか、取調べで否認するとか、悪びれないところとか、そういった行動から、私はサイコパスではないかと考えています。【鬼畜系】と呼ぶのがもっとも適切でしょう。「アダルトサイトを見たからだ」とか、「スポーツクラブのメンバーの影響」だとか、そういう「他人のせい」「社会のせい」にすることも重要なポイントです。「強制わいせつのアダルトサイトを見る」ことと「実際に女性を襲う」こと、「ナンパ」と「女子トイレから出てきた見知らぬ女の人に強制性交する」ことは全く違う行動です。後者は、いずれも「目の前の相手に強い苦痛を与える」という決定的な違いがあります。犯罪が行われる情景を想像してみれば、他者に対する共感性を持っていれば、およそ出来る犯罪ではないです。彼らが不同意性交をする本当の理由は「相手の苦痛を自分の苦痛として感じる心がないから(情動的共感性を欠くから)」です。ただ、「学習」により、「犯罪者として拘束されない」生き方を学ぶことは可能でしょう。あくまで自分のためですが。
彼らは、端的にいえば「欲情した相手となにがなんでも性交する」という結論とそれに向けた行動があり、その後にそれを「正当化」するための「嘘」を作り出しているだけです。不同意性交をした後で、それを正当化するために「女が誘ってきた」などと様々な嘘をつきます。情動的共感性が欠けているというのは、そういうことです。
大事なことですので強調しておきますが、彼らの「嘘」に騙されてはいけません。証拠を突き付けられ逃げられなくなると「反省したふり」をしますが、「反省したふり」です。「反省をしたふり」をするなかで、次は、自分の罪を軽くするために「アダルトサイトのせいだ」などと責任転嫁をしてきます。「虐待を受けていた」などと嘘をつくパターンもあります。そういえば、騙されて「同情」してしまう人がいるからです。彼らは、支援者・治療者を「観察」して、相手が望む姿に「擬態」することに長けています。「幼少期の虐待が性犯罪の原因だ」と思いたい人には「幼少期の虐待のため性犯罪をした」といい、「ポルノが性犯罪の原因だ」と思いたい人に対しては「ポルノの影響で性犯罪をした」といい、「男尊女卑の文化が性犯罪の原因だ」と思いたい人には「男尊女卑の文化のせいで性犯罪をした」と言い…要するに「自分以外の誰かが悪い」ということを言います。彼らの行動を、証拠に基づいて判断しないといけません。
※原田隆之『サイコパスの真実』(筑摩書房,2018年4月)57-58頁
【繰り返しになるが、捜査官や心理学者のような専門家ですら、サイコパスには騙されてしまうことが多い。ときに、サイコパス犯罪者は、取り調べに素直に応じたり、刑務所内では模範的受刑者となったりする。「自分は生まれ変わった」などと述べ、熱心に治療プログラムを受けたり、通信教育を受講したりする。しかし、それらはみな、上辺だけの演技であり、嘘である。大久保清は、連続殺人事件の前に、別の強姦致傷事件や恐喝事件で刑務所に入っているが、そのときには、何と刑務所内で何度も表彰され、仮釈放までもらっている。連続殺人事件を起こしたのは、仮釈放になってすぐのことである。】
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480071378/
※岡田裕子『難しい依頼者と出会った法律家に-パーソナリティー障害への理解と支援-』(日本加除出版,2018年2月)
108-110頁
【(1) 言葉巧みな嘘にごまかされず,主張の真偽を検証する
反社会性パーソナリティ障害の人は、 とても口達者です。ごまかすための咄嵯の嘘がうまく、言い逃れがうまいので、つい編されてしまうということが起こります。咄嵯に作ったストーリーとはいえ、真偽がないまぜで、全体として信ぴょう性が高いように聞こえるのです。反社会性パーソナリティ障害の人が嘘をつくことに良心の呵責を感じないために、平然と嘘をつく態度には疑いを差しはさみにくいものです。
そのような能力は、詐欺などの犯罪行為で発揮されたり、警察・検察の取調べに対して発揮されたりするだけでなく、自分の弁護人に対しても発揮されます。
(略)
他に、弁護士の同情を引くために自分の境遇について嘘をつくこともあります。たとえば少年事件などで被疑者が、「父親はアル中で暴力的、母親は男と浮気をして逃げていった。子どものころから孤独だった」などと言えば、善良で誠実な弁護士は容易に「可哀想な人だ。犯罪者となったのは境遇が悪かったのだろう。誠実に温かく接するうちに、本来の素直な気持ちが表れ、反省するのではないか」などと騙されてしまうかもしれません。実際に両親に会ってみると、きわめて良識的で立派な社会生活を営み、子どもの素行不良に心を痛めているということもあります。
反社会性パーソナリティ障害の人たちは、嘘をつくことに罪悪感を持たないし、嘘がばれたとしても恥の観念を持たないので、そういった「調べればすぐにばれる嘘」さえもつくのです。
依頼者が反社会性パーソナリティ障害の可能性があるということを感知したならば、彼らが語るストーリーの真偽について常に検証する必要があります。依頼者が、自分の有利になることを語って自分に不利になることは語りたがらない、ということは一般的にみられることですが、反社会性パーソナリティ障害の場合は、積極的に嘘をついているという可能性があるので、徹底してその裏付けを求めることが必要です。
(2) 迎合せず、毅然とした揺るがない態度を保つこと
反社会性パーソナリティ障害の人は、一見、魅力的であることが多いと言われます。どうやったら相手の気を惹くことができるのかに注意を集中し・うまく話題を選びます。「素敵な笑顔」を作って、あたかも無垢な心を持ち、たまたま何かの間違いで現在の境遇にいるかのように演じるかもしれません。しかしそれらの魅力的な振る舞いは、聞き手を自分の都合のいいように操ることを目的としていると考えるほうが妥当です。】
https://www.kajo.co.jp/c/book/06/0605/40708000001
※新聞報道を見ると、大学生による集団での不同意性交の事件や、ホストが若年女性とマッチングアプリで会って恋人のふりをして、「客」としてホストクラブに誘導したうえで、売掛金を回収するために風俗店に誘導する事例が良く見られます。私は、大学などのナンパサークル、インターネット上のナンパ師集団、ホストクラブなどで、サイコパスたちが集まって「より効率的に若年女性(あるいは若年男性)とセックスすること」「金を吸い上げること」「虐待して弄ぶこと」などを目的として、「学習」を深めているのではないかと推測しています。性加害を予防するためには、そういった集団の監視をすることが極めて重要でしょう。
※参考記事
エリート大学生による“集団性的暴行”が多発する理由
https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/vbena07afmep
マッチングアプリで「彼女」に→来店初日に消費者金融で借金…悪質ホストクラブ新手口
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20241101-OYO1T50017/
さらに、サイコパスの人は、より効率的に、リスクなく性交をするために「フェミニスト」を装ったり、社会的弱者とされる女性を「支援」する立場にたとうとすることもあるでしょう。自己肯定感が落ちている人は、特に操作しやすいからです。このタイプの性加害をなくしていくためには、防犯カメラの整備や、独身偽装を刑事処罰の対象にする等、「性加害が発生しにくい環境の整備」と、「多くの人が心理操作の手口を学んで耐性を持つこと」が大事だと思っています。シンプルな罪と罰、誤魔化しがきかない体制を作ることで、「嘘」や「恐怖」で支配して性交する手法がこの社会では難しくなっていると判断してもらうしかないと考えています。
また、現状では不同意性交とされにくいですが、職場で上司が部下を不倫相手にするパターンもあります。セクハラ規制が厳しくなってきたことで減りつつあると思いますが、代わりにフリーランスの人に性行為に応じさせるパターンもあります。もちろん、学校などの閉鎖的な職場においては、立場を利用したセクシャルハラスメントはまだまだ多いようです。こういう場合は、表面上「同意」があるので問題が深刻になります。実際には「強いられた同意」なのですが、「同意」を表明したということで被害者の心を縛ります。この「強いられた同意」についてはDV問題に関する知見が蓄積されてきていますので、参考になるでしょう。心の底では嫌と思っていても「yes」を言わせて、その嘘を相手に信じこませることができる人たちがいます。場合によっては、相手の方が「積極的に望んだ」という形すらとらされていることがあります。モラハラによる心理操作は、男性だけではなく女性も行えますし、現に行われていることも多いです。それが「加害」であることはもっと周知されていくべきと考えています。
2.集団不同意性交・集団不同意わいせつ事件
大学のサークルなどで、複数名が、少数の人に対して不同意性交・不同意わいせつを行う、というパターンです。首謀者はサイコパスで、周囲の人も、被害者も操っているということが考えられます(もちろん全員サイコパスというパターンもあります)。そのため、従属的な立場の人は「参加しないといけないと思った」という心理で参加していることもありえますが、「言い訳だ」と批判されるので訊き出さないと黙っていることもあります。「先輩がしているから自分もしないといけない」という同調圧力を利用した手法です。
このタイプの性加害を防止するためには、性的同意について「拒否できない環境」を作ることの問題性を周知することや、同調圧力を破ることを学生に講義すること(「ノー」ということをエンパワーメントする)、「リーダー」として振舞う人、あるいは実質的にグループ全体を掌握している人がサイコパスでないかという疑いを指導者が持つこと(外面をとりつくろうことが上手ですし、指導者側も操ろうとします)が必要です。また、サイコパスではない場合は、その集団の「伝統」に従って、他の集団では不道徳ないし犯罪とされる「行為」をすることで外部に逃げられないようにするといったパターンもあります。「悪意」はなく、むしろ「やらなければ失礼」とすら思っているパターンもありえます。昭和の飲み会でのセクハラ、裸踊りをさせることなどはこれでしょう。集団に帰属させる儀式です。これは、トップが率先して廃止しないといけないものです(その意味では、実は「加害者」とされる人も「被害者」であることがあります)。
3.独身偽装(独身詐欺)
現時点ではまだ性犯罪とされていませんが、私は性犯罪にすべきと考えています。
私は加害者側の相談は受けないのですが…既婚男性が、マッチングアプリで独身と偽装して不倫をしているパターンは、男性がサイコパスのことが多いだろうと考えています。交際中に既婚者と発覚しても、現行の日本の法制度の下では性犯罪とされず、貞操侵害の慰謝料は低いし、女性側が逆に妻から損害賠償請求を受けるリスクがあり(サイコパスは妻の心理のコントロールも巧みですので、独身偽装は本来は男性が100%の「悪」なのに、不貞相手が「誘惑してきた」などと思い込まされます)、かつ、被害者に不倫したという「不名誉」を負いたくないという心理があるので、表面化しにくいのです。つまり、既婚者であることを逆に利用して、性行為でトラブルになるリスクをコントロールできる。これは深刻な問題なのですが、不貞行為の相手方に共同不法行為責任を負わせることを望む人が多い現状では、当面変わらないのだろうと思います。
独身偽装をする男性は、男尊女卑でこういう行為をしていると思われるかもしれませんが(そう指摘されたらそう認めるかもしれません。そうであれば「社会のせい」であり「反省」で変わったとアピールできるので)、実際は、サイコパスの「唯我独尊」だと思っています。独身偽装をするサイコパス男性を見分けるのは難しいですが…「目の前の人がどういう経歴で、今ここにいるのか」を考えて、不自然な点がないか冷静に見極めることが大事だと思います。
彼らは、魅力的な外見をしていることが多く、自信をなくして弱っている女性に対して「優しい男性」、「理解ある男性」、「頼りになる男性」などに擬態して肉体関係に持ち込み、そのこと自体で相手を縛ります。相手が好むであろう、女性向けのニュースや、女性の好むフィクション作品などの研究もして、「理想の男性」を演じます…不倫している時点でその人間性は明らかなのに、自分で自分を騙すようにあやつります。
そのため、独身であることが発覚しても、肉体関係を継続してしまう女性も見られます。「サンクコスト効果」で説明される現象ですが、「自分が独身偽装のサイコパスに弄ばれた性被害者」であることを認めることは辛いことなので、「私のことを好きすぎたので既婚者であるといえなかったのだ。純愛なんだ。」などと思い込まされます。純愛であれば、相手の幸せがもっとも重要ですので、「独身であると嘘をついて肉体関係を持つ」などという選択肢が出てくるわけがないのですが。
※参考記事
「彼は詐欺師」アプリで出会った“独身偽装”にだまされた女性 ショックで心身不調
2024/7/29(月) 17:03配信
https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=fe238ecf7c394230acf997c3711d8489
「鈴木紗理奈さん、謝罪しないで」…“独身偽装”被害に遭い出産までした女性「不倫と言わないで! 性被害だ」
https://times.abema.tv/articles/-/10153329
私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」
https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/
【サイコパスを相手にした時は、「情緒的共感」を期待してはいけません。普通の人にとっては、相手が人間として当たり前に持っていると思う「情緒的共感性」を持ち合わせていないのがサイコパスなのです。
しかし、普通の感性を持っている被害者は、情緒的共感性を持っていないサイコパスのような人間がいると想定しておらず、サイコパスの心理を想像できないので悩みます。「なぜ、気持ちがわかってもらえないのだろう」と悩み、「情緒的共感」を求めて苦悩し続けるのですが、サイコパスには気持ちは伝わらないのです。
さらにサイコパスが厄介なのは、彼らは自分の性格に悩むことも反省することもなく、むしろ自信家であることが多いので、不安障害やうつ病などの気弱な患者さんには魅力的に映ることです。気弱な人はサイコパスに「守ってもらえる」と誤解し、手酷い扱いを受けても彼らについていこうとしてしまいます。被害者は自ら求めてサイコパスに付いていっているように見えるので、マゾヒストとみなされたり、「自己責任」とされてしまったりします。そんな被害者に対しては、まずサイコパスと距離を取り(パワハラを受けている会社員なら休職させたり、DVを受けている主婦ならば女性センターなどに被害者保護をしてもらう)、被害者の安全を確保した上で、サイコパスの心理について理解するようにお話ししていきます。】
4.性的グルーミング
私は、いわゆる「性的グルーミング」もサイコパスが常習的に行う性加害の一種と考えています。生殖可能な年齢以後で、操りやすい若年者(児童を含む)を狙って「恋愛」と思い込ませるのです。ホストクラブの手口は性的グルーミングの一類型ですし、既婚者上司が新入社員を不倫相手にするのもそうでしょう。時々ニュースになる、既婚者の、教育熱心な教師が、裏で複数の児童に性加害を繰り返していたというのもこのパターンだと推測しています。サイコパスが、趣味である他人の心理操作を、性欲処理を兼ねてしているのでしょう。「子ども」は心理操作がしやすく、かつ、性行為によるトラウマを負いやすいので、「他人の人生」をコントロールしたいというサイコパスにとっては恰好の獲物なのだと考えています。これは特に重要なことなので、子どもがいる親御さんは特に気をつけて欲しいです。
下記文献は、性犯罪・児童虐待事犯の捜査に関する文献ですが、その中で成人男性が多数の少年達に性加害を繰り返していた事例を取り上げています。現在は絶版になっているようですが、田中嘉寿子検事が書き上げた名著で、10年前の最先端の捜査が詰め込まれています。
引用部分の記述のとおり、同性に対する性加害者は「異性のパートナーがいる場合も少なくない」のであり、むしろ「女性に好感を持たれる」人気者であることもしばしばだと思います。サイコパスには表層的な「魅力」があります。若い頃から異性を含む多数の人間と「交流」し、高速でPDCAを回していますので、どのように「擬態」すれば好感を持たれるかがわかっています。現実には実在し得ない「(相手にとって)理想的な男性」に擬態します。親の警戒心を解いておけば、少年たちへの性加害をしても、少年たちが被害を訴え出られなくなるからです。いかに「精神支配」をするかがポイントです。
※田中嘉寿子『性犯罪・児童虐待捜査ハンドブック』(立花書房,2014年1月)251-252頁
【イ加害者の動機
同性への性的虐待の場合加害者である保護者.教諭.スポーツ指導者.入所施設の職員など一定の同性集団内で支配的地位にある者が.その立場を利用して行うことが多い。
加害者は.必ずしも同性愛者であるとは限らず,異性のパートナーがいる場合も少なくない。
加害者の主たる動機は,性欲とは限らず,むしろ,被害者らに対する支配欲の現れである場合が多い。
スポーツの指導者の場合は.選手として大成できずにコーチとなった劣等感から.将来選手として活躍しそうな少年らに対する,試合に出すか否かなど少年への影響力を利用して自己の支配下に置きたいという歪んだ欲望が強い。そのため,犯行態様も,単純に自己の性欲を発散させるものではなく,被害者らを自己の意のままに操ることに主眼を置き.飴と鞭を使い分けて支配性を強化する方法を採ることが多い。
そのため,単純な暴行・脅迫が用いられることは少なく,用いる必要がないほど支配性が強かった証左でもある。
捜査に当たっては,加害者が単なる性的な変態であるとの偏見を持たず,外部からは分かりにくい集団内の支配の構造を解明する必要がある。
ウ被害者を加害者に転化させる口封じ策
男性が性被害に遭った場合,屈辱や無力感から,家族を含め誰にも相談できないことが多い(女性被害者以上に被害申告をためらいがちである。)。
また,被害者は,加害者の支配・指示の下で,他の仲間を被害に引きずり込む共犯者役をさせられることが多い。
加害者は,被害者を共犯者に仕立て,罪悪感から更に誰にも告白できない心境に陥らせるという,極めて有効な口封じ策を講じる。
男児に対する性的虐待事件において,加害者1人当たりの被害者数が女児よりも多いのは,このような構造があるからである。】
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000038-I3028821
※参考文献
①の書籍は過激な表現を避けていますので、中学生でも読めます。「自衛」のために購入することをお勧めします。
①図解 サイコパスの話 (書籍)
サイコパスとは、犯罪を平然と犯す、平気でウソをつき人を欺き騙すなど「反社会的な人格」を持つ人を指す。感情に乏しく、「共感性」がない「冷徹」な人間で、人を支配したがり、目的のためには手段を選ばないーーそんな人間があなたのまわりにもきっといる!本書は心理学の面に焦点をあて、社会にまぎれ、職場、学校、サークルなどあらゆるコミュニティに、100人に1人の割合で存在すると言われるサイコパスを、よりわかりやすく図解する1冊。
https://www.nihonbungeisha.co.jp/book/b333158.html
②原田隆之 『サイコパスの真実』
人当たりがよくて魅力的。でも、息を吐くようにウソをつく……。そんな「サイコパス」とどう付き合えばいいのか? 犯罪心理学の知見から冷血の素顔に迫る。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480071378/
③【文庫】良心をもたない人たち
マーサ・スタウト 著 /木村博江 訳
嘘をつく、空涙を流す、追いつめられると逆ギレする、自分にしか関心がない。二十五人に一人という割合で存在するという「良心のない人間」の本質を明かした本。
https://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1929.html
④【文庫】良心をもたない人たちへの対処法
マーサ・スタウト 著 /秋山勝 訳
良心をもたない人(ソシオパス)の巧妙な攻撃から自分と自分の家族を守るには。臨床専門家が豊富な事例をもとに、自己防衛のための具体的な対処法を示す必読書。
https://www.soshisha.com/book_search/detail/1_2673.html
※参考リンク
サイコパスは性に奔放?遺伝子の影響は?進化心理学で考える反社会的人格
https://yomitai.jp/series/shinka/03-komatsu/
※関連記事
※2025/03/24 ChatGPT4.5で検証してもらいました。
承知しました。「性加害者および被害者の心理」に関する該当記事について、犯罪心理学・被害者心理学・日本の捜査実務の観点から、専門家による学術論文として耐えうる水準で詳細なレビューを行います。海外の学術的知見や論文も取り入れ、1万字以上の分量で体系的に検証・考察を加えます。
調査が完了次第、ご報告いたします。
序論
性暴力(性犯罪)は、被害者に深刻な身体的・心理的被害を与える重大な問題であり、その悪影響は被害者本人のみならず家族や周囲にも及ぶことが知られている。近年、日本でも性犯罪の被害者支援や刑事司法制度の改善に関する議論が活発化し、2017年や2023年の刑法改正を通じて強制性交等罪の要件見直しや被害者保護の強化が図られてきた。しかし依然として、性加害の実態や加害者の心理、被害者の心理反応について社会の理解は十分とは言えず、捜査・裁判の現場でも課題が残っている。被害者の供述の信用性(しんようせい)をいかに公平に評価するか、加害者の再犯を防止するには何が有効か、といった問題に対して、犯罪心理学や被害者心理学の知見を活かすことが求められている。
本稿では、ある日本の法律事務所が発信したウェブ記事における性加害者の心理に関する主張を題材とし、これを学術的に検討する。該当記事では、刑事弁護の経験を持つ弁護士が、性加害者の類型(サイコパス、不同意性交〔不同意のわいせつ行為を含む〕、独身偽装、グルーミング)ごとにその心理的傾向を論じ、被害者の心理や刑事司法手続き上の問題にも言及している。本稿の目的は、同記事の主張を概観した上で、それぞれの妥当性を最新の犯罪心理学・被害者心理学の研究や日本の捜査実務の観点から批判的に検討し、国際的な知見との比較を行うことである。これにより、性加害・被害の心理的側面に関する社会的理解を深化させ、刑事司法制度の適切な運用に資する示唆を得ることを目指す。以下、まず当該記事の内容を要約し、その後、各主張について学術的エビデンスに基づき分析・考察する。専門用語については適宜定義や説明を付し、議論を明確化することとする。
記事の概要と主張の整理
性加害の深刻さと刑事司法上の課題
当該記事の冒頭では、筆者(弁護士)が「性加害」と呼ぶ行為、すなわち意図的に相手に強い苦痛を与える性的な行為が、被害者に甚大な精神的・肉体的打撃を与えると強調している。性被害によるトラウマは被害者の人生に大きな影響を及ぼし、さらに被害者の家族や加害者の家族にも深い苦痛をもたらすと述べられる。こうした性暴力被害の深刻さに社会がようやく目を向け始めたことが言及されており、加害行為の悪質性に対する認識が高まっていることが示唆される。
また筆者は、刑事司法制度における性犯罪事件の取り扱いにも問題があると指摘する。日本の刑事裁判は公開の法廷で行われ、被害者が証人尋問で供述を吟味される仕組みになっているが、性被害者にとってこの過程は極めて苛酷になり得るという。筆者は「性加害の被害者の記憶は変容しやすく、供述も変遷しやすい」とし、反対尋問で弁護人から糾問されることで矛盾した発言をしてしまう可能性が高いと述べる。すなわち、被害当時の記憶がトラウマによって断片化・改変されうるため、法廷で細かく追及されると供述に揺らぎが生じ、結果として被害者の信用性が低下してしまう恐れがあるという主張である。筆者は弁護人の立場から、しばしば証人尋問で被害者供述の信用性を争わざるを得ないが、それは元をただせば捜査段階で捜査官が十分に供述を吟味し裏付けを取っていないためであり、本来は捜査段階で被害者や関係者の証言の真実性を担保すべきである、と指摘している。裏を返せば、適切な捜査により被害者供述の信憑性が早期に確認されていれば、公判でこれほど厳しい尋問をしなくても済むはずだという見解である。筆者は自ら刑事弁護人でありながら、「性加害が減っていくこと」を心から望むと述べ、そのために加害者が「なぜ性加害に及ぶのか」を突き詰めて考える必要性を説いている。再犯防止や将来的な加害者・被害者を生まないためにも、加害者の心理的傾向を分析することが重要だという問題意識が示されている。
性加害者の心理的類型:サイコパスを中心に
筆者は、現代日本において性犯罪には厳しい刑事罰や社会的制裁が科され、性犯罪とされない性的ハラスメント等も民事上の損害賠償責任や社会的非難の対象となっているにもかかわらず、それでもあえて「性加害となる性行動」を選択する人々には相応の理由(心理的背景)があるはずだと指摘する。筆者が特に重視しているのは、「相手の苦痛が少しも自分の痛みにならず、倫理観が欠落し、呼吸するように嘘をつく」サイコパスと呼ばれる人格傾向を持つ性加害者の存在である。筆者は、性犯罪の原因を「性欲」ではなく「支配欲」で説明する立場は、とりわけサイコパス的な性犯罪者の観察から来ているのではないかと述べている。すべての性犯罪を一概に支配欲で説明することはできないものの、サイコパス性犯罪者については性的欲求よりも他者を支配・制御したい欲望が犯行動機となっている場合が多いだろう、と筆者は推測する。
ここで言及されている「サイコパス (psychopath)」とは、反社会的で良心や共感の欠如した人格特性を指す。具体的には、平然と犯罪を犯し、人を欺き操作するといった反社会的人格(英語圏の診断名では「精神病質」または反社会的人格障害に該当)であり、他者への共感性が極端に低く、自分の目的のためには手段を選ばない冷酷さや自己中心性を特徴とする。筆者は自らの弁護士経験を通じ、「呼吸するように嘘をつく」人間や倫理観の欠如した人間が確かに存在することを実感しており、そのような人格傾向が性加害という領域でも重要な要因になっていると感じているようである。特に、被害者の苦痛に対して全く共感せず、他者を支配する手段として暴力的な性行動を行うサイコパス型の加害者は、再犯の危険性が際立って高く、社会がその存在を十分認識できていないと懸念している。
筆者は性加害者の具体的な類型として、まず「不同意性交・不同意わいせつ(痴漢を含む)のケース」における典型的なパターンを複数挙げている。そこでは、(1) 暴力や脅迫、騙し討ちなど相手に苦痛を与える手法で相手の人格を抑圧して性交に及ぶタイプ、(2) 相手の感情を読み取る能力が低く相手の拒否の意思表示を適切に受け止められないタイプ、(3) 幼少期に虐待を受けて育ち、暴力によって相手を支配しないと不安で性的行為ができない(あるいは暴力を振るう側に立つことで自己肯定感を保とうとする)タイプ、等が考えられると述べられる。このうち筆者が特に危険視するのは先述のサイコパスに当てはまる**(1)**のタイプであり、筆者は「性犯罪の原因を性欲ではなく支配欲とする立場」はおそらくこのタイプの観察から来ているだろうと解説している。引用されたロバート・D・ヘアの著書によれば、連続的または累犯的なレイプ犯の約半数はサイコパスであり、彼らは「被害者に心理的プレッシャーをかけることによって性的興奮を得る」性的サディストである場合もあるとされる。ヘアはまた、「すべてのレイプ犯がサイコパスというわけではなく、情緒障害の著しい者や、女性を劣位の性として蔑視する文化・社会の産物である者もいる」と指摘しつつ、サイコパスによるレイプは他の要因によるものよりも理解しがたい冷酷さを伴うと述べている。この点からも、筆者はサイコパス的傾向を持つ加害者が一定数存在し、その者たちは特殊な危険性を有することを強調している。
なお、上記**(2)のタイプ(相手の拒絶を認識できないタイプ)について筆者は詳細な説明をしていないものの、「相手の感情を読み取る能力が低い」ために相手の同意を得ていないことに無自覚なまま性的行為に及ぶケースと考えられる。(3)のタイプ(暴力支配でないと性的関係を持てないタイプ)は、過去の虐待体験からくる支配不安や歪んだ自己肯定感によるものと説明されている。これらは臨床的な用語ではないが、犯罪心理学の文脈で言えば(2)は認知的共感の欠如やコミュニケーション不全による性的同意の欠如ケース、(3)**はいわゆる「性嗜虐的傾向」や「学習された暴力性」に基づくケースと捉えられるだろう。筆者はこのように不同意の性的加害に至る心理メカニズムは一様ではなく複数パターンがあることを示した上で、特に支配欲にもとづく冷酷な犯行を行うサイコパス型の危険性を読者に認識してほしいとの考えを示している。
「強いられた同意」と権力関係による性加害
筆者は続けて、表面的には同意があるものの実質的には被害者が加害者に心理的に支配されて不同意の性行為に至るケースに言及している。例えば職場で上司が部下を事実上の「不倫相手」とする場合や、フリーランスの立場の弱い相手に性的関係への同意を強いる場合である。こうしたケースは強姦罪等の「不同意性交」として立件されにくい一方、被害者の側は実際には強い心理的圧力下で「同意」を余儀なくされているため問題が深刻だと筆者は指摘する。表面的な「yes」(同意)の言質を取られてしまうことで、被害者自身も「自分が同意してしまったのだから…」と心理的に縛られ、被害を自覚しにくくなると説明される。このような「強いられた同意」の問題については、ドメスティックバイオレンス(DV)研究の知見が参考になるとも述べられている。DVの文脈では、被害者が加害者から心理的・身体的暴力により支配され、「No」と言えないどころか時に自発的に加害者を満足させようと振る舞ってしまうケースが知られており、近年「性的同意」の議論でも権力勾配のある関係での名目上の同意をどう評価すべきかが問題となっている。筆者は、内心では嫌だと思っていても「同意」の言葉を言わされ、それを加害者側に信じ込ませる(または利用される)人々が存在すると述べる。場合によっては被害者の方が「積極的に求めてきた」かのように偽装されることすらあり、モラルハラスメント的な心理操作は男性だけでなく女性にも可能で、現実に行われていると警鐘を鳴らす。筆者は、このような形態の性加害も「加害」であるとの認識を広めていく必要があると強調する。
集団による性加害(複数加害者によるレイプ)
記事では次に、(2)「集団不同意性交・集団不同意わいせつ事件」の類型が論じられている。大学のサークルなどで複数の加害者が一人または少数の被害者に対して性的暴行を加えるケースであり、日本でも過去に大学生らによる集団強姦事件が社会問題化した例がある。このパターンにおいて筆者は、首謀者となる人物がサイコパスであり、周囲の人間も被害者も巧みに操って犯行に及んでいる可能性が高いと指摘する。場合によっては加害者全員がサイコパスという極端なケースもあり得るが、典型的にはカリスマ的なリーダー格の人物が存在し、その人物の指示や雰囲気に圧される形で他の参加者が犯行に加わっている、というシナリオである。従属的な立場のメンバーは「参加しないと仲間外れにされる」「先輩がやっているから自分もしないといけない」といった同調圧力から心理的に逆らいづらく、内心では消極的であっても犯行に加担してしまうことがあると述べられている。もっとも、そうしたメンバーが後になって「自分も嫌々だった」と主張しても「言い訳だ」と受け取られがちであり、警察の事情聴取でも黙っている場合が多いとも示唆される。加害グループ内の弱い立場の者が沈黙することで、リーダー格の人物の主導や集団全体の犯行計画の実態が表に出にくくなるという問題である。
筆者はこのタイプの性加害を防止するには、性的同意について「拒否できない環境」を作ること自体の問題性を周知すること、若者に対して同調圧力に屈せず「ノー」と言う勇気を持てるようエンパワーメントする教育が必要だと論じる。また、グループ内で「リーダー」として振る舞う人物や、事実上集団全体を掌握している人物について、指導者(大学の顧問教員など)がその人物の人格傾向を批判的に見る必要があるとも述べる。サイコパスは外面を取り繕うのが非常に上手であり、指導者側(大人や上級生)すらも巧みに操ろうとするため、表面的な印象に騙されず疑いの目を向けることが重要だという。もっとも、実行役のリーダーが必ずしもサイコパスでない場合もあり、その場合にはサークル内の悪しき「伝統」に従って行われるケースがあるとも指摘する。すなわち、その集団内では不道徳あるいは犯罪とされる行為であっても「恒例行事」「通過儀礼」として受け入れられており、新参者は逃げられないようにするためにそうした行為への参加を強要される場合があるという。筆者は、昭和時代の宴会におけるセクハラ的な悪ふざけ(裸踊りを強要する等)もこの類型の一例であり、組織への帰属を示す儀式として行われていたと述べる。このような悪習はトップ(指導者層)が率先して廃止しなければ根絶できず、その意味では実行犯とされた若手メンバーも被害者である場合があると示唆している。
「独身偽装」(独身詐欺)による性加害
記事の**(3)**番目の類型は「独身偽装(独身詐欺)」と称されている。これは既婚者の男性が自分を独身であると偽って女性と交際・性的関係を持つケースであり、法的には現在のところ性犯罪とはみなされていないものの、筆者は将来的に性犯罪として扱うべきではないかと問題提起している。筆者自身は加害者側(既婚男性側)の相談は受けない立場だと断った上で、マッチングアプリ等で独身と偽って不倫関係に持ち込む男性はサイコパスであることが多いだろうと述べる。交際中に相手女性が既婚であることに気づいても、現行の日本の法制度ではそれ自体は刑事罰の対象ではなく、女性側が慰謝料請求できたとしても貞操侵害として低額の賠償しか得られない。また女性側(被害者)は逆に相手の妻から不貞行為で損害賠償請求を受けるリスクがある。実際サイコパス的な男性は妻の心理操作も巧みであり、本来は既婚者である男性が100%悪いはずの状況を、妻に「相手の女性に誘惑されたせいだ」等と思い込ませることすらできると指摘する。その結果、騙された女性(不倫相手)は泣き寝入りしがちで、被害が表面化しにくいという問題がある。つまり、加害男性側は自分が既婚者であることを逆手に取り、女性に嘘をついて肉体関係を持っても大事になりにくいようリスクをコントロールしているわけで、非常に悪質で深刻な問題だと筆者は論じる。しかし現状では、不貞行為の相手方(愛人)にまで民事上の責任を負わせようとする風潮が根強く、この構造がすぐに変わる見込みは薄いだろうと述べている。
筆者は独身偽装をする男性像について、一見すると「男尊女卑」的な価値観(女性を軽んじる社会風土)によるものとも思われるが、実際にはサイコパスの唯我独尊(ゆいがどくそん)的な性格によるものと考えていると述べる。仮に「社会のせい」や「反省して変わった」と述べて自らの男尊女卑思想を認める男性がいたとしても、それは責任逃れのためにそう装っている可能性があり、真の動機は社会的要因ではなく自分勝手な性格(人格障害)的要因であるという見解である。独身偽装をするサイコパス男性は見抜くのが難しいが、目の前の男性がどういう経歴で今ここに至っているのか、不自然な点はないかと冷静に見極めることが大事だと助言する。彼らは魅力的な外見をしていることが多く、自信を失って心が弱っている女性に対して「優しい男性」「理解ある男性」「頼りになる男性」などと理想の人物を装い、巧みに肉体関係に持ち込むと説明される。女性の好むニュースやフィクション作品を研究してまで「理想の男性」を演じ、自分の人間性(既婚である現実や不誠実さ)を隠す。このようにして女性と関係を持つこと自体で被害者を心理的に縛り上げ、相手女性が既婚だと発覚しても関係を継続してしまうケースが見られると述べる。筆者はこれを行動経済学で言う「サンクコスト効果」(埋没費用効果)で説明できる現象だと指摘する。つまり、自分が独身偽装のサイコパスに弄ばれた「被害者」であると認めるのは辛い現実であるため、被害女性は「彼は私をあまりに好きだったので既婚と告げられなかったのだ。これは純愛だ」といった都合の良い物語を信じ込まされるという。しかし筆者は、「本当に純愛であれば相手(女性)の幸福が最も大切なはずで、独身と嘘をついて肉体関係を持つという選択肢が出てくるはずがない」と述べ、そうした女性側の認知の歪みを解説している。実際、ニュースでも独身偽装に騙され心身に不調をきたした女性の事例や、「不倫とは呼ばないで、これは性被害だ」と訴える被害女性の声などが紹介されており、社会問題として徐々にクローズアップされつつあることが示唆される。筆者はさらに、「マイルド・サイコパス」と呼ばれる身近に潜む人格障害者に関する議論にも触れ、サイコパスは情緒的共感性を持たないため普通の人には想像できない存在であること、被害者は「なぜ気持ちがわかってもらえないのか」と苦悩するが実は相手(サイコパス)にはそもそも共感能力が欠如しているだけなのだ、と解説する。サイコパスは自分の性格を省みて悩むことも反省もなく、むしろ自信家であることが多いため、不安障害やうつ病など気弱な人には魅力的に映るとも述べている。気弱な人は「サイコパスに守ってもらえる」と誤解してしまい、酷い扱いを受けても付いていこうとする。その様子は一見すると被害者が自ら望んで加害者に従っているように見えるため、周囲から「マゾヒストなのでは」「自己責任だ」と誤解されてしまうとも指摘する。筆者はそうした被害者にはまず加害者(サイコパス)と物理的距離を置き安全を確保した上で、サイコパスの心理について理解を深めるよう説明していく必要があると述べている。このように、独身偽装を含めサイコパス的な性的加害者とその被害者の特徴を描写し、被害構造の理解が重要であると記事では強調されている。
性的グルーミングと児童・若年者被害
記事の最後に論じられる**(4)の類型は「性的グルーミング」である。グルーミング (grooming) とは本来「毛づくろい」を意味する言葉だが、犯罪文脈では加害者が児童や若年者等の被害者に時間をかけて接近し、信頼関係を構築した上で性的に搾取する手口**を指す。筆者は「いわゆる『性的グルーミング』もサイコパスが常習的に行う性加害の一種と考えている」と述べ、生殖可能な年齢以降であって操作しやすい若年者(児童を含む)を狙い、「これは恋愛だ」と思い込ませて性的関係を持つケースだと説明する。具体例として、ホストクラブの手口は性的グルーミングの一形態であり、また既婚者の上司が新入社員を愛人にするのもこれに当たると指摘する。さらにニュースで時折報じられる、教育熱心に見える既婚教師が裏では複数の児童に性的虐待を繰り返していた事例などもこのパターンだと推測している。筆者の見立てでは、サイコパスは「他人の心理操作」という趣味を性欲処理と兼ねて行っているのであろうという。子どもは心理操作がしやすく、しかも性行為によって深刻なトラウマを負いやすいことから、「他人の人生をコントロールしたい」というサイコパスにとって格好の獲物になると述べる。これは特に重要な点なので、子どもがいる親は十分に気をつけてほしいと筆者は注意を促している。
さらに筆者は、参考文献として性犯罪・児童虐待事犯の捜査に関する専門書を引き、成人男性が多数の少年に性加害を繰り返していた事例を紹介している。田中嘉寿子検事によるその書籍では、同性(男性)に対する性的虐待の場合、加害者は保護者・教員・スポーツ指導者・施設職員など同性集団内で支配的地位にある者がその立場を利用して犯行に及ぶことが多いとされる。加害者は必ずしも同性愛者ではなく、むしろ異性のパートナー(妻など)を持つ場合も少なくない。犯行の主たる動機は必ずしも性欲ではなく、被害者に対する支配欲の発露である場合が多いとも指摘される。例えばスポーツ指導者によるケースでは、自身が選手として成功できずコーチとなった劣等感から、将来有望な少年を自分の支配下に置きたいという歪んだ欲求が強く働くという。犯行態様も単に性欲を発散させるというより、被害者を自らの意のままに操ることに主眼が置かれ、アメとムチ(懐柔と威嚇)を使い分けて支配性を強化する方法が採られることが多い。そのため単純な暴行・脅迫が用いられることは少なく、そもそも暴力に訴える必要がないほど精神的支配が確立されていた証左でもあるとされる。捜査に当たっては、加害者を単なる性的倒錯者とみなす偏見を持たず、外部から見えにくい集団内の支配構造を解明する必要があるとも強調される。さらに、同書によれば加害者は被害少年を共犯者役に仕立て上げ、他の仲間を新たな被害に引きずり込ませる場合が多いという。被害者に他の子を連れて来させたり、加害行為に加担させたりすることで、被害者自身に強い罪悪感を抱かせ、誰にも告白できない心理状態に陥らせる巧妙な口封じ策である。この結果、男性児童への性的虐待事件では、1人の加害者あたりの被害者数が女子児童の場合より多くなる傾向があるとされる。筆者はこの引用を通じて、サイコパス的な加害者は表面的な「魅力」を備えているため女性にも人気者として映ることがしばしばあり、若い頃から多数の異性を含む人間と交流して高速で試行錯誤(PDCAサイクル)を回しているので、相手にとって理想的な人物を演じる方法を熟知していると解説する。それゆえ保護者の警戒心さえ解いてしまえば、少年たちは被害に遭っても訴え出られなくなるとし、「いかに精神的に支配するか」が彼らの狙いであると述べる。以上、性的グルーミングの実態として、加害者の支配的動機や手口、複数被害者への波及といった特徴が具体例を交えて説明されている。
記事の主張の整理
以上のように、当該記事では性加害者の心理的傾向を**(1)不同意性交(レイプ)における類型、(2)集団レイプ、(3)独身偽装による欺まん的加害、(4)**性的グルーミング、の大きく4つに分類して論じている。全体を通じて筆者が強調するキーワードは「サイコパス」であり、様々な類型の背後に、被害者の苦痛に無頓着で他者を操作することに長けた異常人格者の存在があることを警告している。また、被害者の心理として、サイコパス的加害者に魅了されたり支配されたりする過程で生じる混乱(加害者に従ってしまう自分への自己嫌悪や、相手に共感を求めて叶わず苦悩する様子)についても触れ、被害者が悪くないことの理解や被害認識を持つことの難しさにも言及している。さらに、刑事司法手続に関連して、被害者供述の変容や信用性の問題、捜査機関の役割への指摘、公判での被害者保護の不十分さなど制度的課題も提起されていた。筆者自身、これらの考察は自身の「乏しい知識と経験」に基づく仮説であり網羅的なものではないと断りつつも、性加害問題の減少に向けて一石を投じたいという意図が示されていた。
次章では、これらの記事内の主張それぞれについて、犯罪心理学・被害者心理学の研究知見や日本および海外の捜査実務の観点から評価・検討を行う。具体的には、(a)性被害の記憶と被害者供述の信憑性に関する議論、(b)性加害者の類型論とサイコパス概念の妥当性、(c)権力関係下の「強いられた同意」の問題、(d)集団犯行の動機力学と個人要因、(e)独身偽装のような欺瞞による性加害の法的・心理的評価、(f)性的グルーミングと児童被害の特殊性、といったテーマに沿って論じる。各テーマにおいて記事の主張を再確認しつつ、先行研究や国際的な事例も参照しながら批判的検討を加えることとする。
各主張の妥当性に関する考察
1. 性被害の心理的影響と被害者供述の信憑性
(記事の主張の再確認):性加害(性犯罪)は被害者に極めて深刻なトラウマを与え、その記憶は変容しやすく供述も変遷しやすい。公判における反対尋問で細かく追及されると被害者が矛盾した発言をしてしまう恐れがあり、被害者供述の信用性評価には慎重さが必要だと記事筆者は指摘していた。また、本来は捜査段階で供述の真実性を裏付ける努力がもっとなされるべきで、公判で被害者が過度に負担を負わないようにすべきだという示唆もあった。これらの主張は、被害者心理学や法心理学の見地から見て概ね妥当性が認められるが、いくつか補足すべき点がある。
(性暴力被害のトラウマと記憶への影響):強姦や性的虐待の被害者が深刻な心理的外傷(トラウマ)を負いやすいことは、多数の研究で示されている。性的暴行後に被害者の多くが心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したり、鬱病・不安障害・解離症状などに苦しむことが報告されており、その割合は他の犯罪被害に比べても高い傾向にある。心理的ショックが大きい場合、出来事の記憶の仕方も通常とは異なる様相を呈することが知られている。脳の海馬(かいば)と扁桃体(へんとうたい)は記憶の符号化に重要な役割を果たすが、強烈な恐怖やストレスにさらされると扁桃体が過剰に活動し、危機に関する感覚的断片(視覚・聴覚・感情のフラッシュバックなど)を強く刻み込む一方で、海馬の機能が低下して出来事の時間順序や文脈を統合する処理が妨げられる (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims) (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)。その結果、被害者は暴行の体験を「部分的なフラッシュバック」のような形で覚えていて、「全体として何が起きたか」を時系列で語ろうとすると「あの時の記憶はぼんやりしている」と感じる場合がある (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)。これは生理学的にも、ストレスホルモンの分泌が海馬によるエピソード記憶の形成を妨げるために起こる現象であり (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)、性暴力被害者の供述が断片的になったり、一部を想起するのに困難を伴ったりすることの根拠となっている。実際の研究でも、性的暴行被害後2週間の時点で被害の一部分を「思い出せない」記憶欠落(部分的健忘)が見られた女性は全体の37%にのぼったとの報告がある ( A Comparison of Normal Forgetting, Psychopathology, and Information-Processing Models of Reported Amnesia for Recent Sexual Trauma – PMC )。興味深いことに、同じ被害者群を3か月後に追跡調査したところ、この割合は16%に減少しており ( A Comparison of Normal Forgetting, Psychopathology, and Information-Processing Models of Reported Amnesia for Recent Sexual Trauma – PMC )、時間の経過とともに記憶が統合・回復していくケースも多いことが示唆されている。すなわち、トラウマ直後には想起できなかった部分が後になって思い出される場合がある一方、記憶の一部は永続的に失われたり曖昧なままになることもある。これは決して被害者が嘘をついているということではなく、記憶の符号化と想起のメカニズム上、自然に起こり得ることである。法心理学においても「心的外傷記憶は断片化しやすく、再生時にエラーが入りうる」と指摘されており ()、被害者がトラウマ体験を語る際には断片をつなぎ合わせて一貫したストーリーを構成しようとする過程で、細部の記憶が歪曲される可能性もあるとされる ()。したがって、性被害のような外傷的体験について被害者が語る内容は、たとえ本人に誠実な意思があっても時間経過や質問方法によって変容し得るものであり、供述の一貫性のみをもって信用性を判断することは危険である。
(尋問や質問方法の影響と二次的被害):法廷での証人尋問、とりわけ弁護側からの厳しい反対尋問は、被害者にとって再度心理的外傷を想起させるトリガーとなり得る。緊張下で細かな矛盾を指摘され追及されると、もともと脆弱な外傷記憶はさらに想起が困難になったり、防衛的に沈黙・混乱してしまったりする可能性がある。実際、性犯罪の公判が被害者にとって「セカンダリーヴィクティミゼーション(二次被害)」になるとの指摘は国内外でなされている。例えばカナダの研究では、性的暴行被害者は尋問時に極度のストレスから記憶が一時的に飛んでしまうケースがあるため、警察官に対してトラウマインフォームド(トラウマに配慮した)な面接技法の研修が行われている (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims) (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)。具体的には、被害直後に被害者から詳細な事情聴取を無理に取ろうとせず、まず必要最低限の聴取に留め、十分な睡眠(最低二晩程度)を取って記憶の統合が進んでから改めて詳細を聴取するという手法が推奨されている (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims) (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)。これは、最初から無理に全部を聞き出そうとすると被害者自身も混乱し、断片的・不完全な供述記録が残ってしまう恐れがあるためである (PART III – How Trauma Affects Memory and Recall – The Impact of Trauma on Adult Sexual Assault Victims)。警察官や検察官が適切なタイミングと方法で被害者から事情聴取を行い、記憶の齟齬や曖昧さを丁寧に確認・補完しておけば、公判で不意に矛盾が表面化するリスクを下げることができるだろう。記事筆者が「捜査段階で供述を吟味し裏付けを取るべき」と述べたのは、この点で理に適っている。つまり、被害直後の被害者の供述は断片的で曖昧な部分があっても不自然ではなく、焦らず裏付け捜査を進めつつ適切な再聴取を図ることが重要である。これにより、公判での反対尋問に頼らずとも事前に供述の一貫性・真実性を検証でき、被害者を守りつつ事実認定の精度を高めることが期待される。
加えて、尋問の技法そのものが被害者の記憶と証言内容に影響を与える可能性にも注意が必要である。心理学の研究からは、誘導的な質問や威圧的な質問が記憶想起をゆがめたり、萎縮させたりすることが示されている ()。子どもの性的虐待事件に関する研究では、弁護人が被害児童に対して信用性を揺さぶるような質問(例:「本当は嘘をついているのではないか?」と示唆する質問)を多用すると、子どもの証言の正確性が低下し矛盾が増えるとの結果も報告されている(たとえばスコットランドの研究 (Challenging the Credibility of Alleged Victims of Child Sexual Abuse …))。これは成人の被害者でも原理的には同じで、攻撃的な尋問に晒されることで記憶想起能力が阻害され、結果として断片的・矛盾した供述をしてしまうことが考えられる。つまり、尋問を受けて矛盾が出たからといって「嘘をついている証拠だ」と即断すべきではなく、その矛盾自体が尋問によるストレス反応の産物である場合もあるのだ。もっとも、刑事弁護人には被告人の防御権が保障されており、反対尋問で証言の信憑性を検討すること自体は公正な裁判のために不可欠である。従って、司法制度としては被害者保護と被告人の防御とのバランスを取る工夫が必要になる。諸外国では、性的被害者の証言について専門家証言を導入し、「なぜ被害者が一見矛盾する言動を示すのか」を科学的に説明する試みが行われることがある。例えば米国やカナダではレイプ・トラウマ・シンドローム(強姦後遺症候群)の概念を専門家が陪審や裁判官に説明し、被害者が直後に取り乱さなかったり、あるいは逆に供述が揺れ動いたりするのは不自然ではないと理解を促すケースがある。日本でも性犯罪の裁判員裁判において、被害者の心理反応に関する精神科医の意見が証拠採用された例がある ()。こうした専門知見の活用も、被害者供述の評価に科学的視座を導入し、先入観や偏見を排除する助けとなるだろう。
(被害者供述の信用性評価の難しさと留意点):記事中では、性被害者の記憶変容ゆえに証言が変遷しやすいことが述べられていたが、この点について補足すべき重要な視点がある。それは、「記憶の不確かさ」は時に無実の人を加害者として告発してしまう危険も孕むということである。被害者自身は嘘をつく意図がなくとも、外傷体験の混乱や他者からの示唆により誤った人物を加害者として記憶してしまう事例が皆無ではない。日本のある強姦致傷事件では、被害女性が「上級生の男性Cにレイプされた」と訴えたものの、後に専門家による供述分析で、被害者の語る内容に変遷や食い違いが多々見られ、C被告人には当てはまらない特徴が述べられていること、さらには一時「レイプの件は嘘だった」と被害者が発言していたことなどが明らかにされた ()。その結果、心理学者は「被告人が真犯人であると考えると理解が難しい点が多いが、真犯人でないと考えれば説明がつく」と結論づけ、被害者が何らかの誤った記憶(偽りの記憶)を抱いている可能性を示唆した ()。最終的にこの事件では被告人は無罪となったが、これは外傷的記憶であること自体が記憶の正確性を保証しない一例であり、記憶のあいまいさが冤罪・誤判のリスクとも背中合わせであることを教える () ()。したがって、被害者供述を科学的に理解し配慮することは、被害者にとって優しい手続を実現するだけでなく、えん罪を防ぎ真犯人を正しく裁くためにも不可欠だといえる。捜査段階では、被害者の記憶が混乱している場合に他の客観的証拠(DNA型、現場物証、防犯カメラ、SNS上のやり取り等)で補強する努力が求められるし、犯人の物的証拠がない場合でも被害者の供述の変遷についてその心理学的背景を考慮し、拙速に「虚偽申告」と決めつけない慎重さが必要である ()。他方で、供述分析における経験則(観察・記憶・表現の正確性の観点から供述の信用性を点検する手法)も否定されるべきではなく、整合しない供述には何らかの理由があるはずだという前提で、その理由がトラウマ由来の断片化なのか虚偽の介在なのかを多角的に検討する姿勢が重要だろう。
(捜査実務上のバイアスと改善):性犯罪捜査において、警察・検察が被害者の供述にどう向き合うかには、担当者の先入観(バイアス)が影響を与える可能性がある。歴史的に見ると、性被害の申告に対し「本当にレイプだったのか?」と懐疑的な態度を取る捜査官や、「被害者にも落ち度があったのでは」といったステレオタイプな質問を投げかける例が報告されてきた。これらはレイプ神話(rape myths)と呼ばれる誤った思い込みによるバイアスであり、たとえば「抵抗しなかったのなら本当は同意していたのだろう」や「被害者が軽率な行動をしたせいだ」といった偏見である (How Specific Police Biases Influence Criminal Investigations of Rape)。海外の調査では、警察官の中にもこうしたレイプ神話を部分的に信奉している者が少なくなく、それが被害申告を十分に受理しなかったり、捜査の質に影響したりする可能性が指摘されている (Rape myths in a large English police force – Sage Journals) (How Specific Police Biases Influence Criminal Investigations of Rape)。日本においても同様の傾向が指摘されており、例えば被害者が酒席で出会った相手からの性的暴行を訴えたケースで「飲酒してついて行ったあなたにも非がある」と諭され事実上受理を拒まれた、等の事例が被害者支援団体から報告されている。こうしたバイアスは捜査初動の段階で被害者に二次被害を与え、ひいては事件の握りつぶしや証拠収集の遅れに繋がる重大な問題である。幸い、近年は警察において性犯罪捜査の専門研修や被害者対応マニュアルの整備が進みつつあり、被害者に寄り添った聴取(被害者に希望があれば担当官の性別を選択できる、心理カウンセラーを同席させる、等)の実践も見られるようになってきた。また、性犯罪被害の専門窓口やワンストップ支援センター(医療・警察・心理支援を一か所で提供する)の設置も各地で進められ、被害直後の適切な対応と証拠保全が強化されている。こうした取り組みは、被害者供述の信用性を高める上でも意義が大きい。適切な環境で丁寧に聴取すれば、被害者も安心してできる限り正確な記憶を話せるだろうし、証拠保全がなされていれば供述を裏付ける材料も揃いやすくなる。総じて、性被害者の記憶と供述に関する記事の主張は、現代のトラウマ心理学の知見と合致する部分が多く、被害者の供述を慎重に扱うべきだという点は学術的にも支持できる。ただし、一方で供述の変遷がある場合には安易に「トラウマだから仕方ない」で済ませず、その原因を多面的に分析する必要性もあること、また捜査・審理過程におけるバイアスの排除や専門知識の導入が今後さらに重要になることを付言しておきたい。
2. 性加害者の動機と類型:「性欲 vs 支配欲」論とサイコパス概念の評価
(記事の主張の再確認):記事では、性加害者の心理として複数の類型が提示され、中でも他者の苦痛に無関心で支配欲のために犯行に及ぶサイコパス型の危険性が強調されていた。筆者は、レイプの動機を「性欲」ではなく「支配欲」に求める考え方は主にサイコパス的な性犯罪者に当てはまると述べ、引用文献を通じて連続強姦犯の約半数がサイコパスであるという見解も紹介していた。他方ですべての性犯罪者がサイコパスというわけではなく、相手の拒否を理解できない者や、自身の過去の虐待体験から暴力を用いてしまう者など、動機にいくつかのパターンがあるとも述べられていた。これらの主張を検討するにあたり、まず「性犯罪の動機」に関する古典的な理論や実証研究を概観し、次に「サイコパス」という概念の妥当な使い方について考察する。
(性犯罪の動機:性欲か権力欲か):強姦の動機については長年議論があり、大きく分けて「性欲(リビドー)に突き動かされた結果」と見る見方と、「性的満足よりも他者支配・攻撃といった権力的動機が主」とする見方が対立してきた。1970年代以降、フェミニストの理論家らは強姦は男性の性欲の制御失敗ではなく、女性に対する支配と暴力の体系の一部であると強調し、「レイプは性ではなく暴力の犯罪だ」と唱えた。実証研究でも、犯行時に加害者が感じるのは性的興奮よりも被害者を従わせることによる高揚感である場合が多いとの報告もある。1979年にNicholas Grothが示したレイプ犯の類型では、「パワー(力)型」と「アンガー(怒り)型」、「サディスティック(性的嗜虐)型」の3種が提唱された (Types of rapists – Wikipedia) (Types of rapists – Wikipedia)。パワー型強姦犯は、自らの無力感や不全感を補償するために強姦を権力誇示の手段として用い、必要最小限の暴力で被害者を支配下に置こうとする (Types of rapists – Wikipedia)。彼らは犯行後、被害者が自分を受け入れたかのような幻想を抱きたがり、「本当は自分との行為を楽しんだはずだ」と信じようとする傾向すらある (Types of rapists – Wikipedia)。このタイプは何度犯行を重ねても満たされず、権力欲が中毒的に増大していくとされ、まさに支配欲が核心的動機となっている (Types of rapists – Wikipedia)。アンガー型は世の中全般や女性に対する怒りが動機で、犠牲者に対し過剰な暴力を加えて憂さ晴らしをする傾向があり、性的行為自体より肉体的・精神的苦痛を与えることに重きが置かれる (Types of rapists – Wikipedia)。サディスティック型は性的倒錯者で、被害者の苦痛や恐怖そのものから性的快感を得るタイプであり、極めて残虐な犯行に及ぶことがある (Types of rapists – Wikipedia)。Grothの類型は古典的なものだが、記事で筆者が挙げた(1)~(3)のパターンに通じるものがある。すなわち、(1)はサディスティック型あるいはパワー型の極端な例、(3)はパワー型(自分の不安感を克服するための支配)に近く、(2)はむしろ衝動的・機会的な犯行(あまり計画せず状況に流されて行う)タイプとも考えられる。後者についてはHoward Barbareeの指摘した「機会主義型」(場当たり的犯行で、被害者が抵抗しなければ暴力も最低限しか使わない)に該当する可能性がある (Types of rapists – Wikipedia) (Types of rapists – Wikipedia)。Barbareeは多くのレイプ犯が他の犯罪的衝動と同様に衝動性・機会性によって動いており、被害者が抵抗すれば怒りで暴力を振るうが、そうでなければ深い敵意は示さない者が多いとした (Types of rapists – Wikipedia)。これは、記事中の**(2)「相手の拒絶を読み取れない」タイプとも合致しうる(要は相手が嫌がっていると理解しないまま既成事実を作ってしまう、悪質だが計画的支配ではないケース)。以上を踏まえると、記事での類型は学術上の典型類型と大きな矛盾はない。しかし筆者が最も焦点を当てる「サイコパスによる支配型」は、上記の中でも性的サディストやパワー型**の一部に該当し、被害者への共感の無さ・良心の無さが顕著な点で際立つグループだと言える。
(サイコパスと性犯罪の関連):記事筆者は「サイコパス性犯罪者」の存在を強調していたが、実際問題としてサイコパスは性犯罪領域でどの程度存在し、どのような特徴を示すのか、研究を紹介する。サイコパスは犯罪心理学において特に再犯リスクの高い危険人物として位置づけられ、人口の1%ほどと推定される有害な人格の持ち主である。Robert Hareによるサイコパシー診断チェックリスト(PCL-R)で高得点を示す者は、一般に暴力犯罪・累犯の可能性が飛躍的に高まることが多くの追跡調査で示されている。性犯罪に関しても、カナダのQuinseyらの調査(1998年)ではサイコパス度と性的倒錯度という2つの因子がレイプや児童性的虐待犯の再犯リスクを大きく左右することが報告されている。特にサイコパス傾向は強姦事件・殺人事件で有罪となった者に高い割合で見られ、Hareらの研究では有罪強姦犯の35%、強姦と殺人の両方を犯した者の50%近くがPCL-R高得点だったともされる ()。PrentkyとKnightの古典的研究(1991年)では、強姦犯の約45%がサイコパス、児童性的虐待犯の約30%がサイコパスであったとのデータもあり ()、記事中で引用されていた「連続・累犯的レイプ犯の半数はサイコパス」というヘアの推定はおおむね実証研究とも合致する数字である。もっとも、母集団や定義によって数値は変動し得る。例えば一般刑務所受刑者の中でのPCL-R高得点者は20%前後という報告もあるが、性犯罪者に限定するとそれより低かったという研究もある。一例として米国の研究では、性犯罪受刑者のPCL-R平均が一般暴力犯より低いという結果もあり、性的加害にはサイコパスではない別のタイプ(例えば対人関係で不器用な孤独な性的倒錯者など)も相当数含まれると考えられる。しかし、特にシリアルレイピスト(連続強姦犯)や高頻度再犯者に限れば、サイコパス率が非常に高いのはほぼ確実である。そうした人物は平然と被害者をモノ扱いし、罪悪感なく犯行を重ねるため、何度も捕まらず犯行を繰り返す。その意味で、記事筆者が「サイコパス性犯罪者」の存在をもっと社会が認識すべきと述べたことは、実証研究の示す傾向とも一致している。加えて、サイコパスは他人を巧妙に騙し操作するスキルを持つため、周囲からは善良に見えたり魅力的に映ったりしやすい。これは捜査や裁判においても厄介である。例えば連続レイプ事件で逮捕された被疑者が、取り調べでは終始落ち着いた礼儀正しい態度を見せ、警察官が「この人がそんな凶悪犯とは信じがたい」と感じてしまう、といったケースも起こり得る。実際、イギリスで1980年代に起きた有名な連続強姦殺人犯(通称ヨークシャー・リッパー)の事件では、犯人が捜査段階で何度も事情聴取されていながら、受け答えが非常に穏やかで疑いをかわしていたため、警察が見逃してしまったことが指摘されている。サイコパスは嘘をつくことに長け、発覚しないための計画性も高い場合が多く、通常の人間の感覚では「そこまでするか?」と思うほど狡猾に立ち回る。従って、犯罪捜査において彼らを相手にする際には、常識的な推測を超える可能性を念頭に置き、客観的証拠に基づいて慎重に判断する必要があると専門家は指摘している (無自覚なハラスメントを行う「マイルド・サイコパス」とは|WEB …)。記事筆者も「彼らの行動を証拠に基づいて判断しなければならない」とハラダ隆之の著書から引用しており (無自覚なハラスメントを行う「マイルド・サイコパス」とは|WEB …)、情に流されたり先入観に囚われたりせずファクトベースで対応すべきことを強調している。この点は、捜査官や裁判官がサイコパス加害者に対峙する際に非常に重要な心得である。
(「サイコパス」概念の適切性と誤用の可能性):以上のように、サイコパスと性犯罪の関連には確かな根拠があるが、一方で懸念すべきは「サイコパス」という言葉の大衆的乱用である。記事では多くの場面で加害者を「サイコパス」と形容していたが、その範囲は連続レイプ犯のような典型例に留まらず、上司によるセクハラ的強要や不貞行為の偽装をする者、未成年者を狙う者など多岐にわたっていた。中には、単に自己中心的・利己的というだけで精神病質とまで言えるか疑わしいケースも含まれている可能性がある。例えば、「独身偽装」をする既婚男性が全て本当にサイコパスかというと、確かに良心の呵責なく女性を騙し続ける点ではサイコパス性を疑わせるが、人格検査をしたら単なる遊び人で反社会的人格障害までは該当しない場合もあるかもしれない。この点で「サイコパス」の濫用は注意が必要である。犯罪心理学者の原田隆之は、世間でしばしば「平気でハラスメントをする上司」や「不倫を繰り返す人」を安易にサイコパスと呼ぶ風潮に苦言を呈し、サイコパスとは本来非常に特殊な人格特性の組み合わせであり、ダークトライアド(暗黒の三つ組:マキャベリアニズム・ナルシシズム・サイコパシー)と総称される特性群の中でも最も反社会的なものだと説明している (無自覚なハラスメントを行う「マイルド・サイコパス」とは|WEB …)。つまり、自己愛的・利己的・他人を道具視する性格傾向はグラデーションのように一般人にも存在し、その延長線上にごく少数の「典型的サイコパス」がいるというイメージである (無自覚なハラスメントを行う「マイルド・サイコパス」とは|WEB …)。マーサ・スタウトが提唱した「良心をもたない人たち(ソシオパス)は25人に1人いる」という主張は議論があるものの、広く見積もっても数パーセント程度の人々は良心の欠如を抱えて社会に存在するという。記事が指摘するように、そうした人物が私たちの身近で巧妙に擬態し、異性を魅了したり人を操ったりしている可能性は否定できない。だが一方で、大多数の性暴力加害者は(サイコパス的資質を部分的に有していたとしても)精神病質者というより、社会の中で女性蔑視的風土や権力構造に乗じて犯行に及んだり、衝動と機会に任せて犯行に及んだりする者たちであることも忘れてはならない。たとえば、米国のある研究では、大学キャンパスで女性に性的暴行を働いた経験のある男子学生の中で、明確にPCL-Rでサイコパスと診断できる者は一部でしかなく、多くは「一般集団における平均的な人格特性だが、女性嫌悪や性的攻撃性を学習した結果犯行に至った普通の男子学生」だったことが示されている(Lisak & Miller, 2002)。この研究は「見えざるレイピスト(undetected rapist)」の存在を明らかにし、彼らはシリアルレイピストでありながら自分の行為をレイプだと認めず、巧みに周囲の状況を利用して繰り返し犯行に及んでいた。興味深いのは、彼らの人格が必ずしも極端に反社会的というわけではなく、仲間内では普通に交流し学業等もこなす者が多かった点である。このように、一口に性犯罪者と言っても、日常生活では一見目立たない者から典型的サイコパスまで幅広い。従って、記事が喚起するように「情緒的共感を持たない人間が存在すること」を知っておくのは有用だが、何でもかんでも加害者をサイコパスとレッテル貼りするのは学術的厳密さを欠く恐れがある。
(支配欲と性欲の相互作用):記事は性犯罪の一部において動機が性欲ではなく支配欲だと述べたが、実際には性欲(性的興奮)と攻撃欲(支配・サディズム)は両立し得るし、しばしば相互に増幅し合う。性犯罪者の中には、他者を支配する興奮そのものが性的興奮に直結している者がおり(前述のサディスティック型)、まさにその場合は「暴力=性的快感」となっている。一方、ある者にとって強姦は単に性欲解消の手段であり、被害者を苦しめること自体には関心がない場合もある(むろん重大な犯罪であることに変わりはない)。研究によれば、サイコパスの場合はいわゆる性嗜好倒錯(パラフィリア)とは別に、他者の苦痛に無関心で目的のために手段を選ばない性格ゆえにレイプを犯しやすいが、必ずしも性的サディズムを持つとは限らないとされる。つまり、「性的サディスト」=「サイコパス」では必ずしもなく、両者が重なるケース(記事で引用されたジョン・アウトンのような例)は凶悪性が際立つが、それ以外にも組み合わせは多様だ。実証的には、ダークトライアド人格(マキャベリアニズム・ナルシシズム・精神病質)のうち、ナルシシズム(二次的な自己愛)やサイコパシー傾向が高い男性ほど性的強要行為に及びやすいというデータがある。また、そうした人格特性を持つ者は被害者が抵抗するとより強い暴力を用いる傾向が確認されている。これは記事の趣旨とも合致し、共感性の欠如や自己中心性が加害者の暴力性を高めるという因果が示唆される。さらに、共感(エンパシー)欠如それ自体が性暴力再犯のリスクファクターであることも報告されており、認知行動療法による性犯罪者治療プログラムでは被害者の視点を学ばせ共感を引き出すことが重視される。ただし、サイコパスに対して共感を教え込むのは難しく、むしろ治療プログラムを逆手に取って更なる偽装スキルを身につけてしまうという懸念もある(いわゆる治療の効果が乏しい受刑者類型として知られる)。このように、性犯罪の動機は**「性欲か支配欲か」の二者択一ではなく、多くの場合は両面が絡み合いながらも、個人の資質や状況によってどちらかが前景に出ていると理解すべきである。記事が示した三類型も、端的に分ければ「冷酷支配型」「鈍感型」「暴力依存型」と言えるが、これらは互いに排他的ではない。幼少期虐待による暴力依存型の中にもサイコパス的資質を獲得している者もいれば、鈍感型(空気が読めないタイプ)の中にも自己愛の強さゆえに自分の欲望しか見えなくなっているサイコパス予備軍のような者もいるかもしれない。重要なのは、こうした性加害者の内面的動機を分析することが再犯防止策や治療教育に役立つという点だ。例えば、サイコパス型には厳正な対処と長期の隔離監視が必要かもしれないし、拒否を読み取れないタイプには同意教育(相手の意思表示を尊重する教育)が有効かもしれない。記事筆者も「再犯を防ぎ、将来の加害者・被害者を出さないため」に加害者の心理を突き詰める必要があると述べていたが、その方向性は妥当である。犯罪心理学の分野でも近年はリスク-ニーズ-応答性モデル**(RNRモデル)に基づき、犯罪者の個別のリスク要因とニーズ(更生上の課題)に応じた処遇を行うことが重視されている。性犯罪者の場合、サイコパス的特性や性的倒錯の有無、薬物問題や対人スキル欠如など、人によって更生プログラムで焦点とすべき点が異なる。従来の画一的処遇よりも、心理アセスメントに根差した個別対応が再犯抑止に効果的とのエビデンスも蓄積されつつある。そうした観点からも、記事で提示された類型分類は実践的含意を持つ。ただし、学術的レビューとしては、「サイコパス」というラベルを適用する際には慎重さが必要であり、必要に応じて「反社会的人格傾向」「共感欠如型加害者」といった言い換えも用いながら、根拠に基づく議論を行うべきことを指摘しておきたい。
3. 権力関係下の「強いられた同意」:性的同意の境界と心理操作
(記事の主張の再確認):権威者や上司など立場の強い者が、弱い立場の相手に性的関係を事実上強要するケースでは、表面的には同意があるように見えても実質的には強制であり、被害者は「強いられた同意」に縛られてしまう——記事はこの問題を指摘し、それも性加害として認識を広めるべきだと論じた。これは、近年盛んになっている**「性的同意 (sexual consent)」**をめぐる議論とも響き合う重要な論点である。学術的には、被害者がYesと言ったかNoと言ったかだけでは性的同意の有無を判断できず、その同意が自由意思に基づくものか、脅迫・圧力・欺罔によって形ばかりのものになっていないかを慎重に評価すべきだとされる。以下では、この種の「権力による性的強要」の心理と法制度について検討する。
(権力勾配による性的強要の心理):人は自分より強い権限を持つ人物から要求を受けたとき、たとえそれが不本意でも断りづらい傾向がある。心理学で有名なミルグラムの実験(電気ショック実験)が示したように、権威者からの命令に人は服従しやすい。職場や学校における上司-部下、教員-生徒といった関係では、明示的な暴力や脅迫がなくても、上位者がほのめかす期待に対し下位者は従順に応えねばならないというプレッシャーを感じやすい。これは組織内の権力勾配の問題であり、性的関係においても例外ではない。上司が部下に「君の将来のためだ」などと言い含めて関係を迫る場合、部下は内心拒否したくても、それによって職場で不利益を被るのではと恐れたり、失望させたら申し訳ないという心理にかられたりする。DV(家庭内暴力)の文脈でも、被害者(主に妻)は加害者(夫)の機嫌を損ねてさらに暴力を振るわれるのを避けるため、仕方なく夫の性要求に応じるということが起こる。つまり、恐怖による服従や心理的圧迫による迎合が同意と見なされてしまう状況が確かに存在する。被害者の内心では「No」と叫んでいても、口では「Yes」と言わざるを得ない──記事で述べられた「心の底では嫌と思っていても『yes』と言わせる」状況は、まさにこうした現象を指す。被害者は自分が言ってしまった「Yes」によって、さらに苦しい立場に追い込まれる。すなわち、自責の念や恥辱感である。「自分は嫌だったのになぜ拒絶できなかったのか」「同意してしまった自分にも責任があるのでは」と思い詰め、被害申告もしづらくなる。加害者側もそこを巧みに突いてくる。記事にあるように「同意したじゃないか」と被害者に思い込ませたり、「むしろ君の方が誘ってきたんだろう」と責任転嫁したりする。結果として被害者は真実を訴えられなくなり、泣き寝入りを強いられる。こうした心理操作の上手い加害者は、記事が言う通り男性にも女性にも存在し得る。男性上司-女性部下の典型に限らず、例えば女性教員が男子生徒に情的な恩着せがましい態度で関係を迫る、といった逆パターンもあり得る。現実に海外では女教師による男子生徒への性的関係強要事件も報じられているし、日本国内でも女性上司が男性部下にセクハラを行った例もある。この点で記事筆者が「男性だけでなく女性も行い得る」と注意しているのは適切である。
(「同意」の法的扱いと国際比較):法的には、強姦や強制わいせつの犯罪成立には暴行・脅迫によって被害者の反抗が著しく困難であったことなどを要件とするのが従来の要件であった(日本では2017年改正刑法までそのように運用されてきた)。しかし、明示的な暴力や脅迫がなくとも被害者が抵抗できない状況はありうるとして、近年は要件緩和の議論が進んでいる。海外では、カナダが1983年に刑法を改正して強姦概念を廃し「性的暴行」とし、暴行・脅迫の有無にかかわらず不同意の性交は処罰対象としたのを皮切りに、多くの国で「異議のない不同意性交」の処罰が可能となってきた。たとえばドイツも2016年に「No means No」原則を立法化し、明示的拒否があったにもかかわらず性行為に及んだ場合は違法とした。またスウェーデンやイギリスなど更に一歩進めて「Yes means Yes」、すなわち明確な同意がない性交はレイプとみなすという同意中心主義に転換した国もある。これらは立場の弱い者が沈黙や曖昧な態度しか示せなかった場合でも保護しようとする立法政策である。日本でも2023年に刑法の性犯罪規定が再度改正され、暴行・脅迫要件に代わって「性交同意の有無」を重視する規定が導入される見込みである(改正法施行は2023年7月以降予定)。具体的には、相手が恐怖や心理的抵抗困難な状況に乗じて性交した場合を処罰する類型や、酩酊・薬物・心理的障害で判断不能な相手と性交した場合など、様々な不同意性交類型が明文化されることとなった ([PDF] 実践に適合した研究を目指して 一記憶の信用性評価を手がかりに一)。これらの変更の背景には、まさに記事で指摘されたような「拒否できない環境」に乗じた性加害を罰する必要性が認識されたことがある ([PDF] 実践に適合した研究を目指して 一記憶の信用性評価を手がかりに一)。権力関係下の強要もその一つで、今後は「監護者わいせつ・性交等罪」(監護者=保護や指導の立場にある者が18歳未満を姦淫した場合の罪)だけでなく、成人間でも相手の生活やキャリアに支配的影響を及ぼしうる関係性での性的強要が幅広く問題とされよう。記事で例示されていた「フリーランスに対する関係強要」などは、労働契約上の優越的地位の乱用にもあたり、刑事とは別にパワハラ・労働法上の問題として処理されることも考えられるが、被害者保護という観点では刑事罰の有無以上に「それは合意とは言えない不当な行為なのだ」という社会通念を確立することが重要である。筆者が「それが『加害』であることはもっと周知されるべき」と述べたのはまさにこの点で、被害者自身も周囲も「あなたは同意したのだから被害ではない」と誤解しないような啓発が求められる。心理的には、被害者が自らを被害者と認められない状況では支援にも繋がらず、加害者の思う壺である。周囲が適切に「それは性的強要だ」と認知し、被害者の尊厳を守ることが必要だ。
(心理操作とマインドコントロール):権力関係に限らず、記事で論じられた「強いられた同意」の背後には高度な心理操作(マニピュレーション)があることが多い。加害者が被害者に「あなたが望んだことだ」と思い込ませる洗脳的手法は、カルト宗教の入信強要や悪質なセクハラで見られる。これは社会心理学でいう認知的不協和の解消メカニズムを逆手に取ったもので、被害者は「自分がYesと言った以上、これは自分の意思に違いない」と感じることで心の矛盾を減らそうとしてしまう。記事が触れたケースでは、被害者が「自分が積極的に望んだ形にすらとらされていることがある」とあったが、まさにこれはガスライティング(相手に自己判断への自信を失わせ、現実認識を歪める心理操作)とも通じるものだ。巧妙な加害者は被害者に罪悪感を植え付け、「自分も悪かったのだ」と自己処罰的な思考に陥らせる。例えば不倫関係において既婚男性が「君が誘ってきたんじゃないか」と責めれば、女性は「私が誘惑したのかもしれない…」と自分を責めるようになる。このような心理的罠に陥った被害者は、救済を求めるどころか加害者をかばうことさえある(DV被害者が警察に対し加害者をかばう供述をする現象はよく知られている)。従って、捜査官や支援者は被害者の発言を額面通りに受け取るだけでなく、その背後にどんな力学が働いているかを想像する必要がある。記事が「DV問題に関する知見が参考になる」と述べたのももっともで、DV文脈で確立された被害者支援の知見(例えば被害者がなぜ逃げ出さないのか、なぜ加害者を庇うのか、といった一見不合理な行動の心理的背景)を性的同意の問題にも応用すべきである。
(取調べ・裁判での配慮):権力者による性的強要事件が刑事事件化した場合、被害者は自分が「嫌と言えなかった」ことに強い後悔や羞恥を感じていることが多い。そのため、警察や法廷で「なぜ拒まなかったのか」といった質問を受けると、深く傷つき萎縮してしまう恐れがある。これは先に述べた二次被害をさらに増幅させるものだ。理想的には、捜査段階で心理学の専門家が被害者の供述を分析し、「この方は当時断ればどんな不利益があるか恐れを抱いていました。その心理状態では拒絶は難しかったでしょう」といった補足を意見書として提出するなどの工夫が望ましい。裁判員裁判などでは、専門委員制度(心理学の有識者が裁判所に助言する)や心理分析結果の証拠化なども検討に値するだろう。国際的には、被害者が権力関係の下で抵抗できなかったという点に陪審や裁判官の理解を得るため、検察側が専門家証言を用意することもある。加えて、「性的同意は常に自由意思に基づくべき」という理念を社会全体に浸透させる啓発活動も重要だ。昨今のMeToo運動や職場のハラスメント防止研修などで、かつては見過ごされがちだった微妙な強要の問題に光が当たってきた。記事の指摘したような「強いられた同意」も、そうした文脈で今後ますます認識が深まると期待される。学術的レビューとして言えば、この問題に関する記事筆者の主張は概ね現代の知見と合致しており、特に被害者の心理的拘束についての説明は妥当である。今後の課題は、それをいかに法的に扱うか(証明や線引きをどうするか)という点だが、国際的な立法例を参考にしつつ日本でも議論が進んでいるところである。結論として、権力関係下の性加害は「見えにくい性犯罪」として潜在してきたが、その悪質性と被害実態を踏まえた対応が必要であり、記事が提起した警鐘は適切かつ有益である。
4. 集団による性加害:リーダーシップと同調圧力の力学
(記事の主張の再確認):複数人が関与する集団強姦事件では、カリスマ的な首謀者(リーダー)が存在し、周囲のメンバーは同調圧力や支配によって犯行に加わっているケースが多いと記事は述べていた。特にリーダー格がサイコパスの場合、その人物が被害者のみならず共犯者達の心理も巧みに操って犯行を遂行するため、一層悪質で危険だという指摘であった。逆に、リーダーがサイコパスでない場合でもグループの文化的伝統や仲間意識が背景にあって、メンバー達は「やらねば失礼」「皆がやっているから」と考えて加担してしまうことがあるとも述べられていた。これらの分析は、社会心理学の集団過程に関する知見と符合する部分が多く、妥当性が高いと考えられる。以下、リーダーシップと同調の心理、およびそれが捜査・司法に及ぼす影響について考察する。
(リーダーの存在と暴力エスカレーション):複数犯のレイプでは単独犯に比べ暴力の度合いが増す傾向があり、それがなぜかという点について学術研究がある。イギリスの研究者Woodhamsらは、複数犯強姦71件を分析し、「リーダーに追随する心理」が暴力の激化に寄与していると結論づけた (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。具体的には、暴力レベルの高い強姦ではリーダー格の加害者の攻撃行動がトリガーとなり、他のメンバーがそれを模倣・増幅することで、全体として残虐な暴行へと発展していた (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。リーダーが先に被害者に暴行を加えると、それが暗黙の「基準」となり、他の者もそれに倣って暴行を行う。するとリーダー自身も「皆もやっているのだから」とさらなる暴力を正当化し、歯止めが効かなくなる (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham) (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。まさに「フォロー・ザ・リーダー」(follow the leader)現象であり、研究者はこれが集団レイプの一つの顕著な特徴だとしている (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham) (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。記事で述べられた「先輩がしているから自分もしないと」という同調圧力や、「リーダーの存在が重要」という指摘は、この実証結果と一致する。また、その研究では犯行グループの多くが10代後半から20代の若者で、仲間からの影響を受けやすい年齢であったことも言及されている (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。思春期の若者は仲間集団への帰属意識が強く、拒否すると自分が嘲笑や攻撃の対象になることを恐れ、迎合してしまう傾向がある (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)。記事でも「拒否すれば仲間はずれや屈辱を味わうから断れなかった」という若手メンバーの心理が述べられていた (‘Follow the leader’ mentality a hallmark of gang rape – University of Birmingham)が、これは発達心理学的にも裏付けられる。一種の集団浅慮(グループシンク)や没個性化のプロセスも関与しているだろう。複数人で一人を襲う状況では、個人の責任感が拡散し「皆がやっているから自分一人やめようと言えない」との認知になりやすい。自分自身も加害行為に手を染めることで罪悪感を麻痺させる面もある。記事が「黙って従うメンバーは、訊き出さないと本音を言わないが、心中では『言い訳だと批判される』と思って沈黙している」と指摘した点は、実際の捜査でもしばしば問題になる。共犯者の一人ひとりは「自分は仕方なく従った」と感じていても、警察や世間からその弁解は通らないだろうと思い込み、本当のところを話さない。すると事件の全貌解明が難しくなる。この構図は記事の言う通りである。従って、捜査官は共犯者らの人間関係・力関係に着目し、誰が主導し誰が従属的だったかを丁寧に洗い出す必要がある。先述の田中検事の指摘にもあったように、**「外部から見えにくい集団内の支配構造を解明する必要がある」**というのは、まさにこの点に当てはまる。実行行為そのものは全員が等しく暴行犯であっても、背景事情としてリーダーの強い働きかけがあったならば、司法の場でもそこを評価し量刑に反映させることが公正な処遇に繋がると考えられる(リーダーに厳罰、従属者には軽減など)。イギリスでは実際に、判決で首謀者格をより重く処罰する傾向があるとの分析もある (Gang rapes are usually led by single individual, analysis of attacks …)。
(リーダーの人格と集団文化):記事では、リーダーがサイコパスである場合を特に危険としたが、実際の事件でも主犯格に反社会的人格の色彩が強い例が見られる。カナダのケベック州で起きた集団強姦事件の調査では、主犯の青年が極めて反社会的で暴力的な性格を持ち、仲間を扇動するカリスマ性もあったことが報告されている。一方、同じグループの中にもただの追従者で犯罪歴もない者も含まれていた。こうしたケースでは、犯罪計画の立案や被害者へのアプローチは主犯が主導し、他の者は与えられた役割を果たすだけだったりする。犯行後、主犯は自分だけ逃れようと仲間に罪をなすりつけるなどの行動も見られ、人間関係が崩壊することもある。しかし仲間側も弱み(共犯という事実)を握られているため、なかなか真相を話せない。これはまさにサイコパス的リーダーに利用された共犯者の悲劇と言える。記事の言う「実は『加害者』とされる人も『被害者』であることがある」は、この点を指摘しているものと思われる。ただし、法的には自らも暴行に加わった以上刑事責任は免れない場合がほとんどである。情状の問題として考慮されるに留まろう。日本でも過去の集団暴行事件で、リーダー格の男に脅される形でレイプに参加させられた青年が、裁判で「拒めば自分が暴行されると思った」と証言し、多少の量刑斟酌を受けた例がある(非公開事例のため文献等はないが、判決理由で従属性が考慮された)。このようにリーダーの人格的影響は重大だが、記事の指摘するもう一つのパターン「リーダーがサイコパスでない場合」(=伝統による場合)も看過できない。大学サークルの悪しきノリや体育会系組織の性的不祥事などは、一人ひとりは凶悪犯ではなくとも集団全体で見れば極めて逸脱した行為が恒常化していることがある。例えば、20世紀の日本の大学では新入生歓迎コンパで女性に対する性的悪ふざけ(裸にする、一気飲みさせて意識朦朧にしていたずらする等)が一部で慣行化していたという報告がある。このような文化では、その場の全員が「伝統だから」「笑いを取るため」と正当化し、罪悪感を共有して希薄化させてしまう。一種の集団的責任拡散と規範の転倒が起きている。記事が昭和の宴会芸に触れ「トップが率先して廃止しないといけない」と述べたのはこの帰属儀式的悪習のことで、組織文化の改革なくして下位メンバーだけ罰しても解決しないという示唆である。国際的にも、軍隊やフaternities(米大学の男子学生社交クラブ)のレイプ事件では、その組織固有の酒文化・女性蔑視文化が背景にあるとの分析がある。従って、集団犯行の防止にはリーダー個人の問題と同時に、組織全体の規範への介入が必要だ。教育的介入としては、記事のいう「性的同意に関する教育」「ノーと言える訓練」も重要だが、具体的には大学等での性教育・同意教育プログラムや、企業研修でのハラスメント研修などが挙げられる。アメリカの大学では新入生に必ずオンラインで性的同意に関する教育モジュールを受講させるところも増えている。また、一部の大学では男性学生に対し「バイスタンダー介入」教育(性暴力の兆候を見たら止めに入るよう教える)を行い、グループ内で暴走する者を仲間内で制止する文化を作ろうと試みている。日本でも近年「性暴力を許さない」という学生有志の活動や、大学当局による啓発が広まりつつある。このような予防的アプローチは、記事の問題提起を受けて今後さらに充実させるべきだろう。
(捜査・司法上の留意点):集団性犯罪事件の捜査では、前述の通りリーダーと従属者の役割分析が重要になる。さらに、物的証拠の確保と各人の供述の分離も課題だ。共犯事件では、捜査段階で共犯者同士が口裏合わせをする可能性が高く、警察は速やかに身柄を確保して別個に取り調べる必要がある。心理的には、従属者ほど自白しやすい傾向があるため(罪悪感も感じているし主犯への恐怖もあるため早く解放されたい心理が働く)、適切に働きかければ事件全体の解明協力が得られるかもしれない。しかしその際も、誘導尋問にならないよう注意し、事実を語ってもらうよう誠実に接する必要がある。なぜなら、仮に捜査官に「君も被害者だったんだろう?脅されてやっただけだよな?」と過度に誘導されると、供述の任意性や信用性に問題が生じかねないからである。司法の場では、共犯者それぞれの証言が食い違うことも多いが、それは必ずしも嘘とは限らず、各人の見た範囲や立場が違うからというだけの場合もある。同じ現場に居ても、リーダー格と末端では視点も情報量も異なる。そのため、裁判では各証言を総合し矛盾点を吟味することになるが、できれば検察側は共犯者の動機や立場に関する背景証拠(チャット履歴や事前のやり取り記録など)も提出し、誰が主導したかを示す客観証拠を示せると望ましい。記事が「指導者側が疑いを持つことが必要」と述べた背景には、例えば大学当局や会社の上司などが内部告発や異変の兆候に敏感になることで、犯行を未然に防いだり早期発見したりできるという期待がある。現に、ある大学の集団わいせつ事件では、部外者がSNSに投稿した写真から「この飲み会はおかしい」と気付いた教員が調査し発覚した例もある。このように第三者の視点でグループ文化を監督することも有効だろう。
総じて、集団による性加害の心理についての記事の分析は、社会心理学の知見および国際的研究結果と整合的であり、高く評価できる。特にリーダーの影響と同調圧力に着目した点は的確であり、それを踏まえた防止策(教育や監督)提言も妥当である。学術的に付け加えるなら、こうした集団犯行は単独犯とは異なるダイナミクスを持つため、捜査・裁判でも個別の事情を汲み取った対応が必要という点である。記事の枠外だが、量刑論としても、複数犯では犯行が大胆化・凶悪化しやすい分厳罰が科されるべきという見解と、逆に主体性の低い従犯には一定の情状を認めるべきという見解のバランスが問われる。刑事政策的には、リーダー格への対処(例えば仮釈放の慎重化や再犯防止プログラム強化)を重点的に行うことが効果的だろう。いずれにせよ、記事が示唆したような「見えない力学」を明らかにする視点を持つことが、今後の同種事件対応において鍵になると考えられる。
5. 独身偽装(欺瞞による性的関係)と性的同意の境界
(記事の主張の再確認):既婚であることを隠して女性と性的関係を持つ「独身偽装」は、現行法では刑事罰の対象ではないが、筆者は本来これも性犯罪として扱うべき悪質な行為だと述べた。この行為を行う男性はサイコパスである場合が多く、被害女性に深刻な精神的ダメージを与えているのに、女性は社会的非難(「不倫した」という烙印)を恐れて声を上げにくいと指摘された。ここでは、性的同意が**欺罔(ぎもう)**によって得られた場合の問題、および「性加害」としての評価について検討する。また、記事が言う「サイコパスの唯我独尊」という人格要因と被害者の心理的影響についても考察する。
(欺罔による性的同意の法的扱い:国際比較):刑法学上、相手を騙して性的関係を持つ行為を処罰すべきかどうかは議論のあるテーマである。多くの国の強姦罪(rape)の定義は、「暴力・脅迫」または「不同意」による性交に限定され、相手に嘘をついて性交同意を得た場合(いわゆる欺罔性交)は、特定の場合を除き犯罪とされてこなかった。例えば、医者が治療行為と偽って患者に性的行為をする、映画のオーディションと称して性行為を強いる等、一部の明白な詐欺的性交は各国で違法とされることがある(英米法では**“fraud in the factum”と呼ばれるケースで、性的行為そのものの本質を欺いた場合)。しかし、「独身だ」と偽る、「愛している」と嘘をつく等は伝統的に法の介入範囲外とされてきた。理由としては、嘘で相手を誘惑する行為まで処罰すると線引きが曖昧になり、「収入を誇張した」「整形を隠した」といった類まで罰するのかという問題が出てくるためである。また、同意自体はある(相手は自発的に性行為に応じている)以上、刑事罰を科すのは過剰ではないかとの意見も根強い。しかし近年、この問題に再注目する動きがある。イスラエルでは2008年、アラブ系男性がユダヤ人女性に自分はユダヤ人で独身だと偽って性交し訴えられた事件で、裁判所が「女性の同意は欺罔によって得られた無効なもの」として強姦罪を適用し有罪判決を出した。この判決は種族偏見の影響も指摘され議論を呼んだが、世界的に「rape by deception(欺罔によるレイプ)」という概念が注目されるきっかけとなった。また、イングランド・ウェールズでも2010年代に、女性に性別を偽って(実際は女性なのに男性と偽装)性的関係を持った事例で強姦罪が適用される判例が複数出た。これらは「相手の人格の重要部分を偽った場合」に同意が無効と評価された例である。では既婚であることを隠すのはどうか。英国法では現状、既婚隠しは強姦に当たらないと解されている。ただし被害女性は民事で損害賠償を請求できる余地があり、日本でも「貞操権侵害」として慰謝料が認められる場合がある(もっとも記事が述べるようにその額は低く抑えられがちである)。日本の刑法では、類似の概念として「準強制性交等罪」があり、これは相手の心神喪失・抗拒不能状態に乗じた性交を処罰する規定である(旧来の強制性交等罪の改正形)。欺罔はこれには直接当てはまらないが、例えば結婚詐欺師が催眠商法めいた手口で相手を信じ込ませ判断力を著しく低下させていた、など特殊事情があれば準強制の適用を検討する余地はあるかもしれない。しかし現実にはハードルが高く、独身偽装そのものを罰する法律は日本には存在しない。フランスなど一部では「姦誘罪」といったものがあり、婚約や結婚を偽って性交する行為を罰する旧法があったが、多くは廃止されている。こうした状況を見ると、記事筆者の「性犯罪にすべき」という提案は、現行の法体系にない新たなカテゴリーを求める挑戦的な意見と言える。学術的には、この問題は性的自己決定権の保護法益**をどこまで拡張するかに関わる。もし性的同意が相手の欺罔によって歪められたなら、それは真の自己決定とは言えないから刑法で保護すべきだ、と考えるか、いや恋愛に嘘はつきものだから国家がそこに踏み込むべきでない、と考えるかで意見が割れる。記事からは前者の立場(自己決定の侵害だ)を支持する姿勢が読み取れる。実際問題、独身偽装の被害女性の中には、自分が知らないうちに不倫関係にされていたことを知り、強いショックと嫌悪感からPTSD症状を呈する人もいるという。彼女らにとってはレイプ被害に近い精神的外傷であるとの主張もなされており、社会的にも「不倫ではなく性被害だ」と訴える声が上がっている。このような被害実態が明らかになるにつれ、法も対応を迫られる可能性がある。学術界でも、性的同意の欺罔問題について再評価しようという動きが若干ある。例えば米国では、一部の州議会で「コンドームを故意に外す行為(ステルシング)」「HIV陽性を隠す行為」等を性的同意を無効にする要因として刑罰法規に組み込む立法が試みられ、ステルシングについてはカリフォルニア州で民事上違法とする法律が成立した。これらは健康被害リスクに関する欺罔だが、婚姻状況の欺罔も女性の人生設計や名誉に重大な影響を与えうるものとして看過できないとの主張もある。日本では民事の範疇に留まっているが、社会の意識変化次第では刑事立法議論が起こる可能性は否定できない。
(サイコパス的人格要因と被害者心理):法の話はさておき、記事が独身偽装する男性の人格にサイコパス性を見ている点は興味深い。確かに、このような行為を平然と繰り返すには高度な反社会性と他者への無関心が求められる。妻を騙し、愛人を騙し、双方を操る。普通の神経では強い罪悪感や板挟みのストレスで長期間はできないだろう。しかし人格障害的特性を持つ者は、それを苦も無くこなす。記事で述べられていた、「男尊女卑だからではなく唯我独尊だからやるのだ」という指摘は鋭い分析である。つまり「女性を見下す文化のせい」と片付けるより、本人の良心の欠如・利己主義こそ原因であり、仮に責められた時は社会環境のせいにして反省を装うこともあるが、それも計算ずくだろうという洞察である。まさにサイコパス的狡猾さ・無責任さを言い当てている。被害女性への影響として記事が説明する「サンクコスト効果」も心理学の用語として正確である。被害者は、自分が費やした時間や感情(コスト)を無駄にしたと認めたくないために、相手を擁護する認知を取ってしまう。さらに「自分は被害者だった」と認めること自体が自己像を大きく傷つけるため、それを避ける心理も働く。典型的には「彼も本当は私を愛していたのだ」とか「彼には事情があったのだ」といった解釈にしがみつく。この現象は詐欺被害者にも見られ、詐欺師に騙された人が「いや、あの人は悪い人じゃない」と庇うことがあるのと同様である。こうなると、周囲が「それは被害だ」と説得してもなかなか聞き入れない。記事で言及されていた具体例では、相手男性が「好きすぎて既婚を言えなかっただけ、純愛だ」と吹き込んだとあるが、それも典型的な加害者の戯言である。にもかかわらず女性はそれを信じ、自分に言い聞かせてしまう。こうして関係をずるずる続けてしまえば、被害は深刻化し加害者の思う壺である。周囲からは「不倫を続けるなんて本人も同罪」と見られてしまうが、実態としては心理的に追い詰められて正常な判断ができていない被害者なのだ。記事では最終的に「本当に純愛なら騙すはずがない」と論駁しているが、まさにその通りで、被害者にはこの論理的指摘を自分で理解できる状態に回復してもらう必要がある。これは心理カウンセリングや被害者支援を通じて徐々に可能になる。まずは加害男性と距離を取らせ、フラットな視点を取り戻す支援が肝要だろう。
(被害者の法的救済と支援):独身偽装の被害者は前述のように刑事告訴には躊躇しがちである。そもそも犯罪成立が難しい現状では警察も取り合わないかもしれない。そこで頼りになるのは民事訴訟だが、加害男性に資力がなかったり、勝訴しても僅かな慰謝料(数十万円程度)にしかならなかったりすることも多い。しかも訴えれば世間に不倫関係が知られてしまうリスクがあり、社会的烙印やネット中傷を恐れて泣き寝入りするケースがほとんどだろう。従って、法的救済よりもカウンセリングなどの心のケアや、必要に応じて婦人相談所による一時保護(DVに近いケースでは)などが重視される。記事筆者は弁護士としておそらく被害女性側の相談も受けているものと推察されるが、すぐ法的措置というより、まず被害者の安全と心理回復を図ることに重点を置いているように見える。サイコパス加害者から距離を置き、彼の心理を理解するよう話していくとあったが、これは被害者が「自分が悪かったのではない」と気づくために加害者の異常性を認識させるアプローチである。専門家の中には、被害者が「あの人は人格障害だから私のせいじゃなかったんだ」と理解することが救いになる場合があると指摘する者もいる。マーサ・スタウトの著書『良心をもたない人たち』でも、被害者がソシオパス(サイコパス)に出会った場合、それを見抜き離れることが自己防衛の鍵だと説いている。記事が参考文献として挙げたような指南書を通じて、被害者自身が「自分がされたことは巧妙な搾取であり、自分のせいではない」と確信を持てれば、回復への大きな一歩となる。法的には、刑事罰の是非は議論が必要だが、少なくとも民事上の賠償制度は被害実態に見合うよう改善が望ましいとの声もある。日本では不倫の慰謝料は配偶者に対しては高額だが、騙された第三者に対しては格段に低い。これは「婚姻の平和」を守る法理から来ているが、今後、第三者が完全に欺かれていたケースでは高額慰謝料を認めるなどの司法判断が示されれば、抑止にも繋がるだろう。
(評価とまとめ):独身偽装についての記事の主張は、法的現状からすれば過激にも思えるが、被害者視点に立てば理解できる内容である。犯罪心理学的には、繰り返し嘘をついて女性を弄ぶ男性の中に精神病質者の存在を見るのは蓋然性があるし、被害者心理学的にも、欺罔による性被害が深刻なトラウマを残し得ることは事例が示す通りである。問題は、それを「性犯罪」と定義し刑事罰を科すことの可否である。学術的には肯定・否定双方に理があり、本稿では結論を出す立場にはない。ただ、筆者の指摘で注目すべきは、現行制度では加害男性がリスクをコントロールできてしまっているという点である。つまり、妻にばれたら妻から愛人女性への慰謝料請求で相手女性にダメージを与え、女性はそれを恐れて告発しない。自分(加害男性)は刑事罰もなく慰謝料も低額か払わずに済む。こうした構造は確かに不公正であり、社会的弱者である女性が泣き寝入りする典型といえる。これを是正するには、法改正でなくとも運用上の配慮(例えば妻側からの慰謝料請求訴訟で、相手女性が完全に騙されていた場合には減額事由とする等)が考えられるかもしれない。国会や法曹界でも近年議論が出始めており、性被害当事者の声も無視できない状況になってきた。結論として、独身偽装の性加害性についての記事の見解は、犯罪学・被害者学の視点から共感できる部分が大きい。学術レビューとしては、これをただちに「犯罪」と位置付けるには慎重な検討が必要としつつ、被害者の自己決定を守るという大義のもと、何らかの救済策・抑止策を講じるべきとの方向性には意義があると評価する。
6. 性的グルーミング:児童・若年者に対する巧妙な性加害
(記事の主張の再確認):性的グルーミングとは、若年者に対して時間をかけて信頼を得た上で性的関係に持ち込む手口であり、筆者はこれもサイコパスが常習的に行う性加害の一種と位置づけた。具体例としてホストクラブの手口や、既婚教師が複数の児童を虐待するケースなどを挙げ、他人の心理操作を趣味とするサイコパスにとって子どもは格好の獲物だと警告している。また、参考文献に基づき、児童に対する性的虐待では加害者は必ずしも同性愛者ではなく女性とも表向き関係を持っていること、犯行動機は性欲に限らず被害者支配欲が大きな割合を占めること、被害少年に共犯行為をさせて口止めする手口があることなどが紹介されていた。これらの指摘は、児童虐待の実態研究や捜査上の経験と合致するものであり、本節では性的グルーミング行為の特徴と心理についてさらに掘り下げる。
(グルーミングの段階とテクニック):児童に対する性的グルーミングは、一般に次のような段階を踏むとされる。第一に、標的選択(子どもの中でも親の監督が緩かったり情緒的に孤立していたりする子を狙う)、第二に関係構築(優しさや賞品を与えて子どもの信頼を得る)、第三に性的話題への移行(ボディータッチや性的な会話で子どもの境界線を下げる)、第四に実際の虐待行為、そして第五に秘密の強要(「これは愛情表現だから誰にも言うな」等と口止めする)といった具合である。このプロセスを見ると明らかなように、加害者には計画性と対人操作能力が要求される。サイコパス的特性を持つ者はここでも有利で、罪悪感なく嘘をつき演技できるため子どもや周囲の大人を欺きやすい。記事にあった「ホストクラブの一類型」という指摘も、本質は同じである。ホストは女性客を落とすために心理操作の技術を駆使し、一種のグルーミングを行う。対象が未成年か大人かの違いはあれど、相手を心理的に依存させて搾取する構図は酷似している。既婚教師の例も典型的なグルーミングで、親や同僚教師からは熱心で面倒見の良い先生と思われる一方、裏では生徒に個別に接近し心を掴んで性行為を強いる。こうした加害者は往々にして社会的地位があり信用されているため、被害が発覚しにくい。被害児童が勇気を出して訴えても、「あの先生がそんなことするはずない」と信じてもらえないケースもある。記事で強調されていた「サイコパスには表層的な魅力がある」「理想の男性に擬態する」という点は、このような加害者像の説明として的確である。実際、アメリカの連続児童虐待犯Jerry Sandusky(大学のコーチで長年少年を性的虐待)は、周囲からは人格者と見られており、養護施設への寄付活動など社会貢献もしていたため、疑われるのが遅れたという事例がある。彼もまた妻がおり、異性愛者としての顔を持っていた。つまり記事にもあったように、児童性加害者=同性愛者という俗説は誤りで、異性愛関係を持ちながら少年への支配欲を持つ者も多い。
(動機:性的欲求 vs 支配欲):児童への性加害には、確かに純粋な小児性愛(ペドフィリア)的性嗜好によるものと、そうでないものがある。ペドフィリアは医学的には成年者が思春期前の子どもに持続的な性的興奮を感じる状態で、これは一種の性的指向とも言える。しかし全ての児童虐待犯がペドフィリアではない。記事で紹介された田中検事の記述も、「異性パートナーがいる場合も少なくない」「性欲とは限らず支配欲の現れの場合が多い」としており、性欲倒錯では説明できないタイプの存在を指摘している。スポーツ指導者の例では、自分の権力下に才能ある少年を置きたいという歪んだ優越願望が主因とされ、性的行為自体はその手段に過ぎない。こうしたケースでは、被害者を服従させ辱めること自体に達成感を感じており、性そのものは二次的である。筆者が「趣味の心理操作に性欲処理を兼ねている」という表現をしていたが、まさに性行為は付随的であり本質は他者を意のままに操ることに快感を覚えているのだ。精神分析学的な見方をすれば、これはサディズム(加虐性欲)の一種とも言えるし、あるいは自己の無力感を補償する権力欲求の発露とも言える。いずれにせよ、子どもという無力な存在を標的に選ぶこと自体、性的対象として魅力を感じているというより支配しやすさゆえである場合も多いだろう。記事が「他人の人生をコントロールしたいサイコパスにとって子どもは格好の獲物」と述べたのは言い得て妙である。まさにその通りで、子どもは大人に比べ反抗も訴追も難しく、しかも性的行為によって将来にわたり傷を残せる(相手の人生に影響を与えられる)点で、加害者にとっては極めてコスパの良いターゲットなのである。この残酷なロジックを持つ人間は稀だが、存在することを我々は認識しなければならない。
(捜査と司法の課題):児童を狙う性犯罪は、その秘匿性ゆえに捜査が困難である。子どもは恥や恐怖から話したがらないし、加害者を慕う感情すら持っている場合もある。記事にあったように、男性被害者(少年)は女性以上に申告をためらう傾向がある。男の子が性被害に遭うこと自体が社会では想定されにくく、また男児本人も「男なのに襲われた」と思うと強い屈辱を感じることが知られている。そのため泣き寝入りが多く、被害が顕在化しにくい。さらに悪質なのは、加害者が被害者を加害行為に巻き込む点である。記事の引用にもあった通り、「被害者を共犯者に仕立て罪悪感から口封じする」という手法は実際たびたび報告されている。複数の子どもが被害に遭っている場合、早い段階で被害者Aを取り込み、次の被害者Bへの誘い役にさせたり、性的行為を他の子の前で行わせたりして、Aに「自分もやってしまった」という後ろめたさを背負わせるのだ。こうなるとAはもう自分だけ被害者とは言えず、誰にも相談できない。これは性虐待事件の隠蔽策として極めて効果的であり、加害者が計画的に行っている場合もある。捜査においては、このような複雑な被害者間力学を解きほぐす必要がある。被害者でありつつ加害行為にも関与させられた子どもは特にケアが必要で、彼らを責めず被害部分に目を向けさせるカウンセリングが要る。司法上も、そうした子どもに法的責任を問うのは避けるべきであり、年齢や状況次第では児童相談所の保護対象にするなど柔軟な対応が望ましい。日本では近年、児童相談所と警察・検察の連携が強まり、児童虐待事案では多職種アプローチが取られるようになってきた。また、子どもの供述を引き出すには司法面接という専門技術が活用される。子どもへの聞き取りは訓練を受けた面接官が一人で行い、その様子を別室で捜査関係者がビデオモニターで見る方法で、子どもに余計な心理的負担をかけず証言を得る工夫である ([PDF] 心理学的知見に基づく 子どもの供述特性と司法面接)。このような手法により、子どもの心を守りつつ事実解明を図ることができる(記事で挙げられていた文献 ([PDF] 心理学的知見に基づく 子どもの供述特性と司法面接)にも、司法面接のスキルを成人被害者聴取に応用できないかという検討が見られる)。司法面接で重要なのは、子どもが自由に話せる環境と誘導しない質問であり、これによってグルーミング被害の詳細を子どもが語ってくれれば、有力な証拠となる。映像記録を裁判でも用いることで、子どもが繰り返し証言する負担を減らす取り組みもなされている。
(予防:社会と保護者の役割):性的グルーミングの防止には、社会全体の警戒と、何より保護者の注意が不可欠だ。記事でも「親御さんは特に気をつけてほしい」と書かれていた。実際、親が加害者に騙されていると子どもは逃げ場がないため、親への啓発は最重要である。例えば学校でやたらと子どもに近づきたがる大人や、やたらと子どもを褒めたり贈り物をするコーチなどには注意せよ、など、具体的な兆候を周知する必要がある。イギリスでは児童グルーミング対策として、警察が不審なチャット等を監視し、保護者に注意喚起するシステムもある。また、インターネット上のグルーミング(SNSで子どもに接近するケース)が増えているため、欧米では「児童オンライン保護法」の整備も進む。日本でも2021年に改正少年犯罪防止法でSNS事業者に18歳未満利用者への見知らぬ大人からのメッセージを制限する努力義務が課された(いわゆる「青少年インターネット環境整備法」改正)。しかし巧妙な大人は年齢を偽ったり子どもを別アプリに誘導したりと手管があるので、技術的対策だけでは不十分だ。結局、子ども自身への教育も大事で、知らない人に個人情報を教えない、不審な誘いは断る、といったネットリテラシー教育が必要だろう。
(評価):記事で扱われた性的グルーミングの問題は、犯罪心理学・捜査実務双方で非常に重視されるテーマであり、筆者の論考は概ね的確であった。特に、「異性のパートナーがいる場合もある」「支配欲が動機である場合が多い」など引用文献を踏まえた説明は、世間の誤解を正す意味でも重要である。さらに、被害者を共犯化するという高度な隠蔽策にも触れており、学術的に見ても見落としがちな点を押さえている。サイコパスとの関連付けも、上記のように多くのグルーミング加害者に該当するわけではないが、極めて悪質な反復加害者はしばしばその傾向を持つことを考えれば、有用な視点だ。ただし注意点として、世論が「あいつはサイコパスだから更生不能だ」と過度に決めつけることのないようにし、あくまで慎重な専門家の鑑定等に基づき扱うべきことは前述のとおりである。いずれにせよ、児童の性的自己決定権は法律上特に守られて然るべきで(多くの国で一定年齢未満との性交自体をたとえ同意があっても犯罪としているのはそのため)、それを巧妙に踏みにじるグルーミング行為は断固たる対処が必要である。記事の問題提起はその点で全く正当であり、子どもを守るために大人社会が連携して監視・摘発していくべき旨の結論は、学術的知見とも合致する。
国際的視点からの比較・考察
以上、記事の各主張を犯罪心理学・被害者心理学・捜査実務の知見から検討した。総じて、記事内容は実務家の経験談ながら学術的知見とも大きく矛盾せず、むしろ適切な問題提起が多かったように評価できる。本章では、それらの論点をさらに国際的視野で捉え直し、各国の対応や研究上の位置づけについて簡潔にまとめる。
まず性犯罪被害者の供述の信用性については、国際的にも重要課題とされている。欧米の多くの国では、性犯罪裁判において「被害者の証言のみでは有罪にできない」という法則(かつてのcorroboration rule)は廃止されているが、実際には被害者証言の信用性が重大な争点となるのは日本と同様である。特に陪審制の国では、陪審員の持つ先入観(レイプ神話)が評決に影響しないよう、検察側が注意深く証拠を提示する必要がある。カナダやオーストラリアでは、被害者が強姦後に示す典型的反応(直後に通報しない、一貫しない証言をする等)は不自然ではないという趣旨の専門証言が認められた例がある。また、法廷での直接対面尋問が被害者に与えるストレスを軽減する措置も各国で講じられている。例えばイギリスでは、性犯罪被害者は裁判で証言する際、裁判官の許可により被告人と対峙しないようスクリーン(衝立)を設置したり、あるいは別室からのビデオリンクで証言したりすることが可能だ。また、事前に警察が録画した被害者インタビュー映像を証拠として提出し、それを証言の代わりとする制度(映像聴取の証拠化)もある。日本でも2021年の刑事訴訟法改正で性犯罪被害者に対するビデオリンク証人尋問が拡大され、証言時に付き添い人を付けることもできるようになった。これらは二次被害軽減策として国際的潮流と言える。さらに、性犯罪の審理では被害者の性的履歴を不当に持ち出さないレイプシールド法も重要だ。米国やイギリスでは被害者の過去の性的行動は原則証拠禁止であり、公平な審理に資する。日本でも2023年刑法改正で類似の規定が設けられる予定で、国際基準に近づきつつある。
性加害者の心理類型やサイコパスに関しては、海外の学術研究が数多く蓄積している。前述したGrothの類型やその後のPrentky & Knightの分類などは、犯罪者の治療プログラムや捜査プロファイリングに応用されている。米国の連邦捜査局(FBI)は、シリアルレイプ犯のプロファイル構築に心理学者を交え、犯人のサディスティック傾向や組織的計画性を重視している。また、カナダのPenile Plethysmography(陰茎容積計)など生理学的測定で性犯罪者の興奮パターンを調べ、サディズムや小児性愛の有無を評価する試みも行われてきた。一方、サイコパス研究はカナダを中心に盛んで、特に性的サイコパスに関する知見も蓄積している。HareやRiceらの研究によれば、サイコパス受刑者は性犯罪再犯率が非常に高く、そのため仮釈放や社会復帰プログラムの選定においてサイコパシーチェックは重視される。アメリカの一部州では、極めて危険な性犯罪者(多くがサイコパスや重度の性的倒錯)は刑期終了後も性的異常者に対する民事的拘禁(Sexually Violent Predator law)によって治療目的で施設収容を継続する制度がある。これは犯罪心理学の知見を立法化したものとも言え、社会防衛のためには人格傾向に踏み込んだ対策もやむなしという考えである。ただし、欧州ではこうした措置は人権上問題視されやすく、国によって対応は様々である。日本ではまだサイコパス犯罪者に特化した処遇はないが、今後議論の可能性はあるだろう。
権力者による性的強要については、国際的なムーブメントとして2017年以降のMeToo運動が特筆される。ハリウッドの大物プロデューサーによる女優への長年の性的強要が告発された事件を皮切りに、各国で職場や組織内権力者のセクシュアルハラスメントが次々と表面化した。これにより、法制度も見直しが進んだ。フランスでは2018年に「性的自己決定に対するいかなる非合意の侵害も処罰対象」と法律を改正し、被害者が抵抗不能だったか否かに関わらず不同意性交をレイプと定義するようになった(従来から暴行・脅迫要件はなかったが、より包括的に不同意を強調する改正)。また、職権や地位を利用した性的関係強要は職場のパワハラ防止規定や労働法上の義務違反として厳格に扱われるようになっている。国連機関など国際組織でもセクハラへの厳しい処分規定が設けられ、権力者側への抑止が強化された。つまり、刑事罰だけでなく組織内規範や社会的制裁によってもこの問題に対処しようという流れである。日本も2020年のパワハラ防止法施行で企業にセクハラ防止措置を義務付け、違反企業は公表される仕組みとなった。学術的には、こうした権力と性の問題は**権力犯罪 (power crime)**として分析される。古典的にミルグラム実験やスタンフォード監獄実験が示したように、人は権力構造に絡むと平時とは異なる行動を取る。権力を持つ側はそれを乱用しがちで、持たない側はそれに服従しがちである。これを抑えるには、権力乱用に厳しい外部監視が必要という点は国際的に共通認識だろう。
集団による性犯罪は、国によっては紛争下の戦略的レイプ(ジェノサイドレイプ)などとも関連し、社会問題の規模が異なる。インドやパキスタンでは近年、女性に対する集団暴行事件が注目を浴び法改正が行われた。特に2012年インドのデリーでの女子学生集団暴行殺人事件は世界的に報道され、インド政府は刑法を改正して集団強姦に対する量刑を終身刑・死刑まで引き上げた。また、バングラデシュでも2020年に集団強姦の最高刑を死刑にする政令が出された。これらは社会的な強い糾弾に応じたもので、単独犯に比して集団犯は特に悪質という認識が背景にある。社会心理学的研究は前述のように、集団犯行の特性を解明しつつあり、それが犯罪学や量刑論にも影響を与えている。西欧諸国では死刑こそないが、主犯と従犯の区別や被害者数の多さなどが量刑に考慮されるのは一般的である。日本も量刑において共犯者間の役割を考慮することは判例上定着しており、特に首謀者は重く処断される傾向にある。今後は、リーダーが若年者を扇動した場合などは教育的観点からも何らかの特則(例えばリーダー加重刑や教唆犯処罰の強化)を検討する余地があるかもしれない。もっとも、誰がリーダーかの認定は容易でないこともあり、一概に法定化は難しいだろう。学術研究の成果をソフトロー(ガイドラインなど)で生かし、捜査・審理で上手に機能させるのが現実的だと思われる。
**独身偽装(性的欺罔)**については国際的に統一見解はなく、各国法でも扱いは分かれる。イスラエルの判例を除けば、刑事罰とするのは相当ハードルが高い。とはいえ、#MeToo以降の流れで、性行為における「インフォームド・コンセント」(十分な情報に基づく同意)の重要性が認識され始めている。性的関係においても相手から重大な事実を隠されていた場合、その同意は無効ではないかという議論は倫理学者の間でもある。例えばオーストラリアの倫理学者ミラーは、性的同意の妥当性には相手に関するある程度の真実性が要件であると主張している。しかし一方で、恋愛における虚栄(見栄を張る嘘)は普遍的現象であり、法規範に馴染まないとの反論も強い。各国の立法事実(どの程度この問題が深刻か)も異なるため、一律の国際基準は存在しないのが現状だ。日本でこの点が注目されるようになったのは比較的最近であり、今後被害者の声が蓄積すれば何らかの法的手当てが議論される可能性はある。学術の役割としては、まず実態調査を行い被害の深刻さをデータで示すことが必要だろう。その上で、刑事か民事か、立法か判例で対応するかといった選択肢を検討することになる。
性的グルーミングと児童保護に関しては、国際的には欧米が進んでいる。英国は2000年代に既に「児童に対するグルーミング」を犯罪化し、成人が16歳未満の者と知りながらオンラインで性的目的で接触を図る行為そのものを処罰できるようにした。米国でも連邦法・州法でインターネットを使った未成年誘引は重罪とされている。さらに成人の地位利用による未成年者(18歳未満)への性行為も、一種のレイプとして扱われる国が多い。例えばドイツやフランスでは、親や教員など監護的地位にある者が18歳未満と性的関係を持つと、たとえ同意があっても処罰対象だ。これは日本の「条例違反」(いわゆる淫行条例)よりも重く刑法で禁じているもので、保護年齢を高めに設定した特別規定と言える。日本でも2023年改正刑法で18歳未満の人に現に監護・保護等の関係にある者(親や教員、養護施設職員など)が姦淫した場合に処罰する規定が新設されている(従来は都道府県の青少年保護育成条例で対処していたが、刑法で全国一律に規制した)。これらは国際的な児童保護の流れに沿ったものであり、日本もようやくキャッチアップし始めた段階と言える。捜査手法でも国際協力が進み、各国警察のサイバーパトロールやおとり捜査でグルーマー(グルーミングをする人)を捕捉する取り組みがある。INTERPOLや各国のインターネットホットラインが連携し、児童虐待の疑いがある通信を監視・通報するネットワークも存在する。学術研究では、児童虐待の被害実態や加害者心理に関する国別比較も行われており、日本からも検察官や警察官がケーススタディを報告している。グルーミング加害者の再犯防止としては、認知行動療法的手法(犯罪への歪んだ考えを修正するプログラム)や薬物療法(性欲抑制剤の投与、いわゆるケミカル・キャストレーション)も議論されている。韓国やポーランドなどでは特定の重度性犯罪者にホルモン薬投与を義務付ける法律もあり、賛否を呼んでいる。これも国によって対応が割れる分野だが、学術的には効果検証が進められている。
国際比較を全体としてまとめると、日本は長らく性犯罪に対して保守的な法運用をしてきたが、近年は欧米の知見や社会運動の影響で急速に改革が進みつつある。記事が指摘したような諸問題(被害者の扱い、同意の概念、潜在的な加害類型の存在など)は、どれも国際的にもホットなトピックであり、その意味で筆者の問題意識はグローバルスタンダードと共鳴する部分が大きい。とりわけ「性加害による苦痛は加害者家族にも及ぶ」「刑事裁判制度の在り方」等の指摘は、日本では弁護士の口から出たこともあり注目に値する。海外では**Restorative Justice(修復的司法)**の考え方を性犯罪にも適用しようという試みがあり、加害者に被害者の苦痛を理解させ反省を促す対話プログラム等も試験的に行われている。記事筆者が「加害者にも家族にも苦痛をもたらす」と述べたのは、加害者の社会復帰や再犯防止には周囲の協力が必要で、性犯罪は誰も幸せにしない行為だと強調したかったのだろう。国際的にも、性暴力撲滅は単に処罰を重くするだけでなく、教育・福祉・心理療法など統合的なアプローチで取り組むべきとの認識が広がっている。
総括・結論
本稿では、ある弁護士による性加害者の心理に関するウェブ記事の内容を詳細に要約し、その主張を犯罪心理学・被害者心理学・捜査実務の観点から批判的に検討してきた。記事の主張は多岐にわたったが、大きく分ければ次の点に整理できる。
- 性暴力被害の深刻さと被害者供述の信用性問題:性被害者の記憶はトラウマによって変容しやすく、供述の一貫性だけで真偽を判断するのは危険だという指摘。これは心理学的研究からも裏付けられ、被害者の証言を評価する際には専門知識の導入や慎重な姿勢が必要であることを確認した。一方で、記憶の不確かさが冤罪のリスクも内包するため、捜査段階での裏付けや客観証拠の収集が極めて重要であることも論じた。日本の司法制度は近年改善が進むが、さらなる被害者保護策とバイアス除去の取り組みが求められる。
- 性加害者の心理類型とサイコパス:記事はレイプ犯を主に3類型に分け、中でもサイコパス的な支配型加害者の危険性を強調した。これは学術的知見とも整合し、再犯を繰り返す凶悪犯の多くに反社会的人格が関与することが示唆された。ただし全ての性犯罪者をサイコパスと決めつけるのは誤りであり、文化的要因や機会犯罪者も存在する。性犯罪の動機は「性欲vs権力欲」の二元論ではなく複合的であり、個々人の背景に応じた対応策が必要となる。サイコパス概念自体は有用だが、誤用や乱用に注意しつつ科学的手法で評価・対処する必要がある。
- 権力関係下の強要と「強いられた同意」:上司‐部下など優位者が被害者の抵抗を封じたまま性的同意を取り付けるケースの問題性が指摘された。これは性的同意概念の核心に関わる問題で、被害者の自由意志が奪われた同意は真の同意ではないことを確認した。DVの被害心理とも通底し、同意の形式のみでは判断できない状況が現実に起こり得る。権力勾配による性加害は従来見過ごされがちだったが、近年法整備や社会認識が進みつつある。被害者が自己責任と感じてしまわぬよう教育と周知が必要であり、また捜査・裁判でもその特性を理解した運用が求められる。
- 集団による性加害とリーダー/同調の影響:複数犯の性犯罪ではリーダー格の存在と同調圧力が犯行を助長するとの指摘を検証した。研究や事例からも、カリスマ的リーダーに追随して暴力がエスカレートする現象が確認され、記事の見解は妥当だった。防止にはリーダー役への対策(教育者の監視、リーダー自身の更生指導)と、メンバーへの同調圧力対抗策(性的同意教育)が重要となる。集団犯行の捜査では内部力学の解明が鍵となり、司法でも首謀者と従属者の役割に応じた対応が公正さに繋がる。集団的性加害は文化や伝統が背景の場合もあり、組織風土の改革も含めた包括的取り組みが必要である。
- 独身偽装という欺罔的性加害:既婚者が嘘をついて性的関係を持つケースの悪質性と、被害者が声を上げにくい構造が指摘された。法的には犯罪とされていないが、被害者の受ける心理的外傷や不利益は甚大であり、性被害と捉えるべきとの主張には一理ある。国際比較では議論が分かれるものの、性的同意の「質」に踏み込む問題として学術的検討に値する。特に本件では加害者にサイコパス的特徴がある場合も多く、被害者の視点では巧妙な精神的虐待といえる。社会的には現在民事救済が主だが、刑事立法を含め議論が今後進む可能性がある。少なくとも被害者支援と啓発を通じ、泣き寝入りしないで済む環境を整えることが急務であろう。
- 性的グルーミングと児童性虐待:子どもや若年者を狙い、恋愛関係に見せかけて性的虐待するグルーミング行為の実態について、記事はサイコパスの常習的犯行と位置づけて詳細に説明していた。これも、児童虐待捜査の文献に裏打ちされた知見と符合し、加害者の支配欲や手口(心理操作、被害者の共犯化など)について的確な指摘がなされていた。児童に対する性加害は被害が潜在化しやすく、発見と立証が難しいため、捜査官には高度な専門知識と慎重な面接技法が要求される。国際的にグルーミングは明確な犯罪として厳しく取り締まられており、日本も同様の流れにある。被害防止には、親を含む周囲の警戒、子ども自身への教育、オンライン環境の整備など多方面の対策が求められる。記事が喚起したように、子どもを狙う性的捕食者の存在を社会全体で認識し、断固とした措置を講じることが必要だ。
以上の検討を通じて明らかになったのは、性加害・性被害の問題は極めて複雑で多層的であり、単純な善悪論ではなく心理学・社会学・法学の知見を総合して理解し対応すべきということである。記事の筆者は弁護士という実務家の立場から、自身の経験と調査に基づき多角的な視点を提示していた。その内容には学術的にも傾聴に値する洞察が多く、特にサイコパス的加害者の存在や被害者心理の機微に関する言及は、社会一般の認識を高めるのに有用だと考えられる。一方で、学術レビューとしては、記事の主張を裏付けるエビデンスを補強し、不足している視点を補完することに努めた。例えば、被害者供述の信用性問題ではその裏面にある冤罪リスクにも触れ、サイコパス概念では乱用の危険性に注意を喚起した。また、国際的な動向と比較することで、日本の取り組みの現状と課題を浮き彫りにした。
結論として、性加害・性被害の心理的側面についての社会的理解と刑事司法制度の適切な運用には、以下のような包括的アプローチが必要であると提言したい:
- エビデンスに基づく政策と教育:性暴力の実態や心理的影響についての研究結果を積極的に政策立案に取り入れ、警察・検察・裁判官への研修や一般市民への教育啓発を行う。特に「トラウマによる記憶影響」「同意とは何か」「加害者の類型とリスク」等のテーマは重要である。
- 被害者中心の司法手続:被害者の心情に配慮した捜査・公判手続きを整備し、二次被害を最小限に抑える。専門家の関与、証言方法の工夫、不要なプライバシー侵害の防止など、多面的に被害者を支える仕組みを法制度に組み込む。
- 加害者の危険性評価と再犯防止:加害者の心理アセスメントを充実させ、サイコパス等高リスク者を適切に識別して対処する。刑務所内での更生プログラムを個別化し、出所後も必要に応じてフォローアップ(保護観察、治療継続)を行う体制を強化する。
- 社会文化の変革:性暴力を許容・黙認してきた文化や神話(例えば「男は多かれ少なかれそういうもの」「被害者にも非がある」等)を打破する。これにはメディア報道の改善、学校教育での包括的性教育、企業や団体の意識改革などが含まれる。
- 法の見直し:実態にそぐわない法規定があれば改正を検討する。不同意性交の定義、欺罔による性交の扱い、親告罪要件(※2017年改正で撤廃済み)など、時代と共に見直すべき点は専門委員会で継続的に議論する。また、被害者保護法制や民事救済制度の拡充も進める。
性暴力は極めて根深い社会問題であり、その撲滅・低減には法・心理・社会のあらゆる手段を総動員する必要がある。犯罪心理学や被害者学の知見は、単に理論に留まらず現実の制度・運用に反映されてこそ意義を持つ。本稿で扱った内容は、その一端として、性加害者の異質な心理や被害者の複雑な心境を理解する手掛かりを提供するものであった。記事のレビューを通じて得られた教訓は、性暴力問題に対して常に被害者の視点と加害者の心理の双方を念頭に置き、偏見なく科学的に対処する姿勢の重要性である。それが最終的には、被害者の救済と加害者の真の更生、ひいては安全な社会の実現に資する道であろう。本稿の考察が、性加害・性被害の心理的側面に関する社会的理解を深め、刑事司法の適正化に寄与する一助となれば幸いである。